第251話 月と秘匿(2)
「トバイア・ウィシャートのこと?」
「ええ。ウィシャート公爵様は乱心したご子息に殺された、悲劇の公爵という話は聞いたことがありましたけど、実はそんなに酷い方だったなんて、本当になんて言っていいか……。
でも、マリーシア様のお父様なんでしょう? マリーシア様は、ウィシャート公爵様の娘なんでしょう?」
「ああ……」
「そんな方の娘なら、そりゃあ美しくもなりますよね……。生まれたときから絶世の美人になることが約束されていますよね」
「タティ、もしかしてマリーシアに嫉妬してるの?」
「嫉妬なんて。ただ、本当のことを言ってるだけです。アレックス様が、マリーシア様との縁談のこと、すごく嬉しそうに話してるから」
「僕、嬉しそうだった?」
「嬉しそうでしたっ」
「そうかな、そんなことないって。タティは妄想で文句言ったら駄目だよ」
「妄想じゃ……、妄想ですけど……」
「ほら。でも実際問題、どうしたって縁談なんて成立し得ない。マリーシアとは、それは……、正直なところ、会ってみたいとは思うよ。彼女は正真正銘アレクシスの子供で……、……、つまり僕の妹だからね。
でも、気持ちはなんて言うか恋愛対象っていうのとはもう微妙に違っている感じかな。夜会の夜の憧れの美少女が血縁者だなんてがっかりだけど、今はただ妹を心配してる。妹って言ってもいまいち実感はないけど、とにかく血の繋がった目下の幼い人間を配慮してあげたいって言うか。
会っても何を話していいか分からないっていうのが本当のところなんだけど。だって、五歳も年下の女の子なんて、もうほんと、どう接していいかも分からない。ハリエットですら持て余すのに更に下なんだよ。しかも妹なんて。世間の兄妹はどんなことを話しているんだろう」
「分かりません。わたしも、お兄様とはあまり話したことがないから」
タティは首を振った。
「そうか」
「ええ」
「タティのお兄様は眼鏡じゃないんだってね。コンチータが言ってたよ」
タティは笑った。
「ええ」
「どんな人?」
「いい人です。たぶん」
「格好いい?」
「いいえ」
僕はブーツの先を見て苦笑した。
「ハリエット様は、上手くやっていますか?」
「うん、まあまあ。ハリエットは、味方につけば心強い人間かな。ほら、彼女は口が達者だから、僕の迎撃機関として機能しそう。たぶん、僕がオニールが苦手だって気づいてくれたんだろうね。最近は自発的にオニールを牽制してくれるから助かってる」
「ハリエット様はすごくいい子よ。苛められている子をみつけると、普通はみんな、そんなことひどいって思ってもなかなか手を出せないでしょう。自分もそこに巻き込まれるんじゃないかって思って……、でも彼女はそういうのを絶対放っておかないで、率先して守ってあげるの。勇ましいんです」
「へえ」
「それに彼女はね、お家で義理のお母様に随分意地悪をされていたみたいなの。ご飯を貰えないとかそういうこと。お父様がお留守のとき、お邸の使用人に命令して、ハリエット様のお食事をわざと用意させないんですって。
ハリエット様のお家はね、カティス本家は、アディンセル伯爵家に必ず優秀な魔術師を出さないといけないっていう、そういうのがあって……」
タティは言った。
「ハリエット様のお母様は、精霊魔法に強かったのかな、そういう特殊な才能を見込まれて、カティス家に入った方だったんです。線の細い、独特の雰囲気を持っている綺麗な方でした。あまり裕福なお家の娘ではなかったそうだけれど、とにかくカティス家では、優秀な魔法使いを出さないといけないので」
僕は頷いた。魔術系の家系では、確かにそういう暗黙と言うか、プレッシャーみたいなものもあるのだ。だから魔術系の家系同士で婚姻を結んだり、優秀な魔力持ちの娘を引っ張って来たりということが、しばしば行われる。
「でも、ご結婚なさって、ハリエット様を生んでから、ハリエット様のお母様には子供が出来なかったんです。十年間、まったく出来なかったんです。男子を生めなかったんです。だから……」
タティの声が哀しさを帯びた。
「消された?」
タティがその言葉を言えずにいることに気づいて、僕が代わりに言った。タティは哀しげに僕を見た。
「結婚して十年はとても良心的だと誰もが言っていました……。ハリエット様のお母様のご実家は、カティス家に物を言える強い力は持っていなかったから、彼女を守ってくれる人がいなかったんです。新しい奥さんを貰うためには……、それなら離縁ができればいいのにと、わたしのお母様たちは言っていました。この国は本当に女にとってつらい国です。女には、何の権利もないんです。生きる権利すら。ハリエット様は自分が男の子だったら、自分がお母様を守ってあげられたって、お母様は今でも微笑って暮らせていたのにって、泣いていました……。
それで……、後妻さんが新しくカティス家に入ることになりました。その方がどういう方か、わたしは直接知らないんですけれど……、直轄領から輿入れした方なの。王家に仕える幾つかの魔術家系のひとつに連なるご令嬢で、家柄も古くて、いいお家の方よ。だからその方をお妾という立場にするわけにはいかなくて、ハリエット様のお母様はそういうことに……。
それで、その後妻さんは都会育ちの身分が高い出っていうことを、よく鼻にかける嫌な人なんですって。最初から自分はこの家に嫁いで来てやったっていう態度で、特にハリエット様や亡くなったお母様のこと、本当にひどく見下すんですって。そこがすごく頭に来るのって、言ってました。ハリエット様のお母様の肖像画は、全部捨てられたり焼かれたりして……、もう全然ないんですって」
「そう……」
「それでね、その継母さんはいつもハリエット様につらく当たるんですって。子供にご飯をあげないなんてあんまりひどいわ。でもお邸の使用人は前の女主人だったハリエット様のお母様のことを知っているから、今の女主人である義理のお母様の目を盗んで、こっそりお部屋にお菓子を持って来てくれていたんですって。そういうふうに、お父様が何日も戻らないと、ハリエット様はお菓子ばかり食べて過ごすはめになっていたみたい」
「それはひどいな。ダグラスは知らないのか?」
タティは首を振った。
「きっとご存知ないと思います。継母の虐めはいつの時代も陰湿で巧妙ですもの。直接知らない人を悪く言うなんてって思われるかもしれないけれど、ハリエット様は嘘を言うような子じゃないですし。ハリエット様が言うくらいだから、よっぽどひどかったのよ。
勿論、義理の子供を可愛がる心の優しい継母さんだっていらっしゃるのよ。子供にちゃんと気配りなさっている優しい方だってちゃんといらっしゃるんだけれど、残念ながらハリエット様のところはそうじゃなかったの。
だから……、ハリエット様はよくお菓子ばかり食べていると思うけど、それはお食事にいい思い出がないからなの。
本当のお母様は星になったの。あれは本当のお母様じゃないから、可愛がってくれなくても気にしないって強がっていたけど、弟も生まれてしまって……、だからもうお家に居場所がなかったのね。だから、早く家を出たかったって」
「それは知らなかった……」
「ハリエット様は強がりだから、つらいことをつらいとなかなか言えないところがあるんです。だからアレックス様、注意してあげてくださいね」
「分かった」
タティは微笑み、それからやや肩を落とした。
「……でも、今はちょっとだけハリエット様が羨ましい。わたしも魔力が消えなければ、今頃は貴方の魔術師になって、いつも一緒にいられたのに」




