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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
248/304

第248話 佳客(5)

またすぐそこでは、白い衣装の年配の魔術師らしき人物が、リドリー様に何かしら苦言を呈しているようだ。性急すぎだとか、保証ができる段階じゃないと話している。六十歳くらいの人が喧々諤々やっているのは、たまに兄さんの執務室でも見る光景だから驚きはしないが、しかしリドリー様は、おっとりした対応であまりそれを取り合っていない。

リドリー様と僕が似ていると、ルイス公子などは言うのだが、僕は彼ほどお人好しじゃない気はしていた。外見だけでなく精神性もまた子孫に遺伝していくものだとすれば、僕はちゃんと兄さん寄りの部分も持っているのかもしれない。僕には人をぶった斬っておいて高笑いできるほどの豪快さはないが。

もっともそれに関しては、僕は同時に納得できないものを感じてはいる。つまり魂とは個々人の個性というものを、生まれたときから有しているのではないかということだ。赤ん坊や幼児にも、既に性格的差異や個性はあるらしい。僕が赤ん坊や子供に触れる機会はないが、自分を思い返してみても、環境や家族の影響だけがすべてではない部分はあるだろう。

そうでなければ、たとえばサヴィル男爵夫人は大変慈悲深い、いい評判しか聞かないような女性なのだが、そんな優しいお母さんがいる羨ましすぎる環境で育ったのに根性悪に育つオニールの説明がつかない……。あいつが最初から嫌な奴という個性因子を持っているから、顔も悪いのに性格も悪いという、どうしようもない人間になったということだ。

しかもお母さんが優しいために、駄目な息子を無駄に甘やかしたり褒めたりして、そのせいでオニールが分不相応に自己評価を上げ、調子に乗ってしまったという悪因果関係さえ導き出せる。

そもそもがあいつはお母さんがいない寂しさや苦しみも知らないでのうのうと生きている、許し難い奴なのだ。お母さんがちゃんといて、いつでも可愛がって貰える奴が、お母さんがいない僕を苛めていたなんてこんなふざけた話があるだろうか。どう考えても普通は逆なのに。そして結局僕にはお母さんは戻りそうにないのだ……。


「とにかく未来のことを考えましょう。全員が幸福になれる未来の可能性を探るのです」


リドリー様は、言い募る白衣の年配魔術師に言った。


「猊下、そんな大雑把なことより、とにかく私の話を聞いてください。重要なことです。私は伯爵の魔術師が怪しいと思うのです」

「怪しいとは……、いかなる意味でしょう?」

「貴方様もこの際そらとぼけるのはよすべきでしょう。何を素っ頓狂を仰せなのです。彼女には露骨なまでに光の精霊が取り巻いていたではありませんか。怪しいなんてものじゃない。あれは聖典にある聖ステラについて書かれている特徴そのものです。私はあんな壮麗な守護は初めて見ました。精霊たちが彼女の周りに自然と列を成し、手を取りあってワルツを踊っているのですよ。それだけじゃない。あの娘一人を護るためだけに想像を絶するおびただしい数の精霊やら何やらが取り巻いている。

猊下と彼女が同じ部屋に入った途端に、それらがみるみる湧き出して……、あれだけの見えない存在からの守護があれば、彼女はどんな危機に面しても必ず護られてきたでしょう。

断言してもいいですが、我が国に王女殿下がいない以上、彼女は現行もっとも尊い女性であり、しかも聖女と言ってよろしい存在です。あの魔術師はともすると、女神イシュタルと交信できるほどの者かもしれませんぞ。猊下もこの特異さにはお気づきだったでしょう。これは精霊たちが我らに真実を伝えるために、敢えてあのような行動に出たに違いないのです」

「ああ、あの方は随分と才能がおありのようでしたね」

「才能ですって? 才能ですって? あれは才能どころの話じゃないでしょう!

猊下、もしかすると我々はまだ何か重大な見落としをしているのではないでしょうね?

そもそも最初から、何かが間違っているのではありませんか。あの伯爵はあまり歯切れのいい態度ではなかったし、何かを隠しているようでもあった。

先刻の女性は、我々が探している姫君とは、まったく別人ということはないのですか。年頃といい、魔力の質といい、実はあの魔術師がプリンセス・アレクシスなのでは? いや、私はほとんど確信に近い形でそれを直感しているのです」

「では貴方は、トバイア・ウィシャートのところに送られたのは、そもそもアレクシスではないと言うのですか?」

「そうです。ええ、そうです! 何故ならアムブローズ・アディンセルはティファニーの子供が誰の子供であるかを承知していたはずです。前伯が義理を知る男なら、身代わりの娘を用立ててくれたのかもしれない。そしてアレクシス姫のことは以降別人の魔術師として仕立てた」

「いえ、それは考えられません。何故なら、私がアレクシスを見間違うわけがないからです。アレクシスは確かに間違いなくあの子でしたよ。貴方はそのような不確かな疑念は収めておきなさい。突然の訪問を受けてくださったアディンセル伯に対しても非礼が過ぎるでしょう」

「まだそんな分からないことを。若者に毛が生えた程度の青二才のことなど、もっとずけずけ問いただしてやればよろしかったのですよ!」


白衣の魔術師はリドリー様を一喝した。


「本来であれば由緒正しき聖王女の血を引きし麗しの公爵令嬢たるアレクシス様をですよ、世が世なら王妃となってさえ間違いがないというほどの高貴で優美で誉れ高き我らが姫を、あの生臭ウィシャートめなどに渡した己の罪を恥じ入り、身が縮むほどに恐縮しているべき伯爵風情が、トワイニング家の当主に対しまあ堂々としおって!!

あれは間違いなく何かを隠蔽し、しかもそれを知られんがためにはったりをかましていたのですよ。だが猊下や私のように視る力のある者にそんなはったりは通るものではない。何度でも言いますが、あの魔術師がアレクシス様ですよ!」

「何ですって? そんな馬鹿な……」

「馬鹿も何も、そうとしか考えられないでしょう! しかしながらあの伯爵は猊下が婚外子の姫君のことを公表できなかったのをいいことに、姫君の才能を利用するために彼女を横領し、我々や、姫君自身のことすら騙しているに違いない。あの魔術師の容姿を見たでしょう?」

「ええ、大変に美しいお嬢さんでしたね。凛としたところが、フェリア王女殿下を想起させるようでした。美しいだけではなくて、気高いのです。年頃も、殿下が生きていらっしゃれば、同じくらいだったのではと考えていました」

「注目すべきはそこじゃない、彼女は貴方に顔がそっくりじゃありませんか!」


白衣の魔術師はまた大声を出した。


「目許の辺りに至っては、まさしく貴方様に瓜二つだった。なのに貴方様はいったいどちらに目をつけていらっしゃるやら……、いいですか。と言うのも、あの魔術師が貴方の娘のアレクシス様だからなのですよ。先刻会った娘のほうもなるほど確かに似てはいたが、より貴方に似ているのはどういうわけかあの魔術師です!

つまりですよ、あの魔術師は自分がアレクシス様である記憶や認識を何らかの手法で――、恐らくは催眠術か何かで取り上げられているのでしょう。幼い頃にそれをやられてしまっては、いかなスタープリンセスと言えど抗えなかったに違いない。そしておいたわしいことに、今は適当な名前や記憶を植えつけられているのでしょう。

トワイニング家の神官姫を勝手に自分の魔術師に据えるからには、馬鹿でもなければそれなりの偽装工作は行うものです。アレクシス様の記憶に架空の家族や友人、それなりの苦労話や、幼少期のありがちなエピソードを繋ぎあわせた偽の成育歴を上書きしたか、それともいっそ改名をし、最初からアレクシス様としては認識さえさせなかったやもしれない。

何しろアレクシスというお名前は、ティファニーにとってはこの世でいちばん憎い女の名前でしょう。ティファニーを下賤と切り捨て、大勢の前で吊るし上げた猊下の母君様のお名前なのですから。

かつて猊下の母君様は、手塩にかけて愛し育てた息子を育ちの悪い野良犬に盗られたと言って、それはそれは大騒ぎをしてでも貴方様を何とかティファニーと別れさせ、引き戻そうとなさっておられた。憶えておいででしょう。大奥様の決死の妨害を。ティファニーと聞いただけで優しげな顔つきが変わるほどに息子の恋人を憎んでいた。

そして結果として母君様とティファニーの戦いにおいては母君様の勝利に終わったわけですから、哀れティファニーは舞台から追い出された。それ以後彼女が辿った転落の人生を想えば、自分の娘をこの世にも憎しみのこもる名前で呼ばなければならないことは、捨てられた女にとっては耐えられるものではなかったかもしれない。

名前を口にするたびに、屈辱の記憶が甦るのです。屈辱の日々の記憶がね……、ティファニーが娘にまったく別の名前をつけなおして育てたとしても、何等不思議なことはありません」

「でも、アレクシスにはあんなに優れた魔力はなかったのです」

「そうは言ってもあれほどの聖杖の資格を見せつけられたのですよ! 彼女が間違いなく当代のステラの聖女ですよ! 猊下は何故分からないのです!

リドリー様、貴方は先刻、あの伯爵の首を絞めてでも本当のことを吐かせるべきだったのです。それを、まんまと取り逃がして。私は貴方のそのゆったりとした性格が口惜しい。あの男は今のうちに理論武装をし、今後我らを警戒して接することでしょうよ。今だって、ああしてアレクシス様の偽者を我々に掴ませようとしたのです」

「待ってください、ですからあの子は偽者ではないと何度言ったら分かるのです。確かにアレクシスは気のふれていたあの子なのです! これに間違いはありません。伯爵は我々に嘘は言っていないですよ。

そもそも私はあの子をこの手で抱いて沐浴をさせたことさえあるというのに、私が自分の子供を見間違うわけがないでしょう。魂の匂いも、瞳の色も、ほくろの位置さえ憶えているのですよ。それを、あの子が別人であるわけがない。

では貴方にお聞きしますが、あの魔術師はいったい誰なのですか!?」

「ですからそれは私が猊下にお伺いしたいのです! あれが神官姫でなかったら何なのかというほど顕著な特徴が出ていたではありませんか!」

「そんなまさか。でもあの魔術師はアレクシスではありません……。そんなはずはないのです。きっと貴方の勘違いでしょう。そんなはずはないのです」

「猊下、とにかくこの件には幾つかの重大な裏があるようです。第一には、アレクシス姫はそもそもトバイア・ウィシャートのところにやられていなかった可能性がある。第二に、幼い姫君に偽の記憶を植えつけ、別人に仕立て上げることで彼女自身を欺いているということ。そして第三には、アレクシス姫は本当は子供を産んでいなかったという可能性です。

それはそうですな、勿論そうです。何故なら聖ステラの聖女の資格は経産婦には宿らないのですから。あれほどはっきりと聖女の資格が顕れていた以上、伯爵の魔術師に仕立てられし本物のアレクシス様は、やはり私の疑っていた通り、未だ子供を産んだ経験がないということです」

「それは、確かに貴方の言う通りです。でも、アレクシスが子供を産んだことがないなら、それではあの子はいったい……」


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