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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
247/304

第247話 佳客(4)

面会をしたはいいが、案の定アレクシスに怖がられ、泣く泣く寝室から撤退して来たリドリー様は、一端はご自分の所領へ帰られることになった。

その日、兄さんは前々から謁見予定があったようで、時間が来ると公爵には礼を払った上でルイーズをともない出かけて行った。しかしアレクシスを助けられそうな展開は兄さんとしても思いがけなかったのだろう。かなり後ろ髪を引かれる様子で、公爵様に丁重にするように、僕に言いつけられた。

アレクシスが正気に戻れるというのは、僕にとっても何よりの朗報だった。やっぱりお母さんとは、いろんな話をしてみたい。でも十四歳から先の記憶を完全消去してしまおうというこの計画によって、リドリー様がおっしゃるには、アレクシスの時間はもしかすると十四歳当時に戻ってしまうかもしれないということだった。つまり経過した身体的な時間を巻き戻すことはできないが、記憶やそれに基づく経験、歳月をなかったことにするためで、つまり精神年齢とか、発達段階みたいなことだと思う。

それでは僕のお母さんを期待するのは、難しいだろうと、僕は内心の思いは口にしないでおいた。十四歳の女の子には、赤ん坊を可愛がることはできても、二十歳の男のお母さんはできないことと同じ理屈ということだ。でもそれは仕方がない。

概観としては、アレクシスは十四歳のときに悪い悪魔の魔法にかかって、それ以来ずっと眠り続け、そして次に目覚めたときには二十年の歳月が経過していたというような形にするらしい。アレクシスが傷つかないように、できるだけ優しいお伽話めいた具合に持って行きたいとリドリー様が言い、兄さんが賛成していた。


「目が覚めたら、あの子には父親がいるのです。もうあの瞳を曇らせるものは何ひとつないのです。そしてこれまで悲しく心細い思いをさせてしまったことを償います。

ギルバート卿、私はアレクシスをトワイニング公女として我が城に迎えようと思うのです。ルイスも納得してくれていますし、恐らく妻や周辺の者たちも説き伏せることはできるでしょう。妾腹の公女という扱いになりますが……、あの子は男子ではないから、バンナード以下の継承順位に影響が出ることもない。私が希望を強く言えば、それほど反対者は出ないはず。私の評判は傷つくでしょうが、そんなことはあの子の最善の幸福に比べたら些細なことです。

あの子のために素敵な部屋や庭園を用意して、これから先の人生は、本来あるべきだったトワイニングの姫君として、心安らかに暮らせるようにしてやりたいと思うのです。ティファニーと共に暮らすことはもはや叶いませんが、娘のアレクシスと共に暮らすことなら許されるはず。それでアレクシスの不遇や不名誉をすべて払拭できるとは限りませんが、少なくともこれまでよりも格段に、世間のあの子に対する待遇がよくなるでしょう」

「猊下、例の……、聖杖による施術は、いつ頃行うことができますか」

「マリーシアもまた私の手元に来て、まだ日が浅いので、まずはあの子のことをこれからいろいろと教育してやらなくてはなりません。何しろ、マリーシアもまた母親の人生を継承したかのような悲惨な思いをさせられて暮らしていたのです。トバイア公も、さすがに自分の血を引く娘を寝所に連れて行くような真似はしていなかったようですが、女子にはそれ以外に使い道がないとばかり、あの子はなんと、トバイア公の別荘の床磨きをさせられていたそうです!」

「……」

「可哀想に、マリーシアの手はひどく荒れていました……。世が世なら、今頃は華やかに着飾って、人々の称賛や喝采を浴び、血統から言えば十分、フレデリック殿下のお妃になることだって叶う娘がですよ。

それなのにマリーシアは貴族の娘らしい振る舞いも知らず、幸いも知らず、教養も与えられず、いつもおどおどびくびくして……、あの子はね、相手の顔色を必死で窺うのです。内気な性格もあるでしょうが、可哀想に、それは彼女が常にそういう無惨な扱いを受け続けて来たという証左なのです。

私は本当に、女や子供を見捨てるという決断が、後にどのような影響を及ぼすのかということを、身を持って思い知りました……。だからこれから先は私がアレクシスとマリーシアを抱きしめてやらなければ……。家族を守るのもまた父親の仕事なのです。ルイスもバンナードも今では私の手など必要ないほどに大きく逞しくなりましたが、これからはアレクシスとマリーシアが私を頼ってくれるはず」

「なるほど、家族が増えて……、ですか」

「はい。しかしここはマリーシアが頼みの綱ですから、まずはどうにかしてあの子を一人前の神官姫に育ててやることが私の使命だと考えています。現在は神聖魔法について、そして聖杖を扱う心構えや伝統などを教え込む過程にありますが、ひとまずはあの子に杖を持たせ、すぐにでもご連絡を差し上げます。それからもう一度、今度はマリーシアもまじえて話を致しましょう」

「分かりました」

「ええ。それでアレクシスに……、伯爵、私はあの子になんて言葉をかけたらいいでしょう。私は父親でありながら、アレクシスの性格も知らないのです」

「アレクシスは……、内気でしたよ。確かに、いつも周りの顔色を窺っていた。ティファニーの嫁ぎ先では、連れ子などむごい扱いだったようです。おとなしい性格で、気が弱すぎて友人もできず、いつも不安そうにしていたから、私が守ってやると約束をした……」

「そうですか……、それはさぞかしアレクシスも心強かったでしょう。貴方のことをきっと本当の弟のように思っていたことでしょう」


兄さんは曖昧に頷いた。


「アレクシスが私をどう思っていたのかは、今となっては自信はありません。彼女は何かにつけあまり意思表示をしていなかったようにも思うのです。しかし私はこの通りの性格ですから、何でも意見を押しつけていたかもしれない。

アレクシスが目覚めたら……、私は彼女を眠り姫と呼んであげましょう。その後のことは、今はまだ分かりませんが……。

いずれにしても猊下のご配慮の許、今後アレクシスがあの白亜の城の公女として心安らかに暮らせると言うのなら、私に異存はありません」

「かつては弟のようだったギルバート卿が、こんなにご立派になられているのを見たら、アレクシスはさぞかし驚くのでしょうね。年下の少年だったはずの貴方が、目を覚ましたら一人前の大人の男性になっている。まるでお伽話のようですが、二人の再会も楽しみです」


それから出立した兄さんに代わって、僕がリドリー様たちの接待役を務めたのだが、その間アレクシス以外のことで頭の中に渦巻いていたのは、マリーシアのことだった。

マリーシアが父親が異なるにせよ血の繋がった妹である以上、もはや異性として考えるべき相手ではなかったし、僕としてもそういうつもりではあるが、彼女の名前はやはり耳に心地がよく、その無事を知って気持ちは躍った。

それに僕の妹と言うなら、恋愛の対象として見ることはもうできないが、僕も兄として、彼女のためにできることはしてあげたい。

マリーシアがトバイアのことをどのように思っていたかは分からないし、どんな待遇だったかも詳しくは分からない、それでもオーウェル公子と同列に扱って貰っていないことは明らかだったし、今だって全然面識のない家に預けられて、もしかしたら不自由な思いをしているかもしれない。

リドリー様はお人柄からして、可哀想なマリーシアを虐待するような人間には思えないが、たとえ彼がそうであるとしても、彼の細君はどうだろうか? 結婚前に夫が他所の女と関係を持ち、子供を生ませていたというのは面白くないだろう。更にその孫娘を預かるなんて寝耳に水の話だろうし、いかにも邪魔に思うんじゃないだろうか?

それに長男のルイス公子だって、妻帯者とは言っても、彼は男だ。彼の細君は現在妊娠していて、今はとにかく大事にしなければならない身体だろう。夫婦は長らくご無沙汰かもしれない。おまけに言ってはあれだがルイス公子は少々頭が弱そうだ。そうなると、幾らマリーシアとは叔父と姪の関係になるとは言っても、居候の、家族の一員として認識しているわけでもない、立場の弱い美しい少女を見て、果たして欲情しないと断言できるだろうか?

弟のバンナード公子だってそうだ。彼は普段は王城に詰めていると言っても、美少女のマリーシアの話を聞いて突然帰って来るかもしれない。リドリー様の話だと、バンナード公子は二十二歳だそうだ。二十二歳。いかにも盛りがついている年齢ではないだろうか。十五歳のマリーシアからすると、二十歳は素敵なお兄さんだろうが、二十二歳なんて立派なおじさんだ。しかしバンナード公子はロリコンかもしれない。

そしてこんなことをずっと考えている僕はいったい何だ?

廊下には僕と共に、リドリー・トワイニング公爵一行がいる。ルイス公子が親しく僕に話しかけてくれている。彼は思った以上に親しみを込めて僕に接してくれているのだが、会話の内容が延々お菓子の話なのがいただけない。お菓子か、とにかく食べること。たぶん食べ過ぎででっぷりとつき出た腹……、彼の細君は、公爵家の跡取りという以外には、このルイス公子の何処かに惹かれる部分があるんだろうかと、余計なことを考え、それから男は地位と金さえあれば、だいぶ見た目が見劣りしても本来なら見向きもされないようないい女を、掴まえられるというような話を思い出した。

ルイス公子がせめてお菓子の専門家であれば有難く話を傾聴することができるのだが、しかし彼の口から出て来る話は大して内容のない、幼い子供が言っているような食べた感想ばかりだ。おおよそ中身がない男と、これは判断せざるを得ないほどのなんと言うか……。

僕なんてこの人に比べたら全然ボンクラじゃないと自信が持てるくらいの……。

こんな程度でも公爵家の長男として生まれれば、それで一生の安泰が約束され、立場を得るための努力も要らなければ何にも困らない……、当主になったら困ることもあるかもしれないが、愚物でも毒のない性格のようだから、出来のいい弟や、側近が敵対せずに助けてくれていれば、結構何とかなっていきそうな……。

しかし、そういうふうな勝手な推測で彼を見たら、たぶん失礼なのだろう。僕は彼のことをよく知りもしないのに、勝手な見解で他人の内側を決めつけるべきじゃない。もしかして僕がそう感じているのは、若い僕にはまだ人間を見る力というものがなく、僕の見る目の未熟さによって、物事が浅く見えているだけかもしれない。事実、公子はすごく優しい人のようだ。彼の細君は、そんな彼の優しさをすごく愛しているかもしれない。


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