第241話 優柔不断な男の魅力で(1)
僕はドアを開けてしまってから、なんで今すぐこの問題に飛び込む必要があったのか、なんで今は素通りをしなかったのかという冷静な考えが浮かんだが、開けてしまったからにはもう遅い。
「昨日の夜、私たちはこのベッドにいたから」
純粋なのは結構だが、シエラのあの可愛らしい勘違いも、そのうち誰かが正してあげないといけないのだろうと思う。紛争を招きかねないので、僕はやめておくが、彼女を初めて抱く男は幸せ者だ。手取り足取り、楽しめる。
室内にはタティとシエラがいて、どうやら予想通りの展開だったようだ。僕のベッドの横に立って、二人が対峙していたのだ。どっちもそう気の強い女ではないから、鋭利なナイフのような暴言が飛び交っていたり、掴みあいになるっていうほどの迫力ではなかったが、空気だけは言い表し様がないくらい険悪であり、僕はドアを閉じてただちにまわれ右をしたい気分だった。
「アレックス様!」
しかし、できれば気がつかないで欲しかったのに、僕がドアを開けたことに二人は気づいた。僕をみつけて、シエラがほっとしたような笑顔を浮かべる。
「アレックス様、貴方からも言ってあげて。私たちは、もう夫婦も同然の仲だって。
それなのに昨晩のこと、タティさんにお話しているのに、タティさんが信じてくれないの」
「さ、昨晩? 昨晩のことって……?」
僕は冷や汗を流しながらも笑顔を作ったが声が上擦った。タティが、軽蔑しているような目で僕を見ているせいだ。まずいことなんて何ひとつしていないのに、これではまるで何かがあったみたいに思われてしまう。でもなんて言ったらいいんだろうか? 僕はもがいた。
「昨日の夜、ここで二人きりで過ごしたことよ」
「す、過ごし……」
二人きりで過ごしていたか過ごしていないかと言われれば、それは、過ごしていたとなるだろう。でも「夜に二人きりで過ごした」と聞いて、大半の人が連想するような過ごし方は、断じてしていないはずだ。
「私、初めてよ」
だがシエラは頬を赤らめて、僕にはにかんだ。
「男の人に胸を触られたのも……、お姫様抱っこも。ドキドキしたけど、嬉しかった」
「シッ、シエラ、君っ、それはっ……」
確かにシエラの胸を掴んだ憶えはあるので、シエラの言うことに虚偽はないのだ。僕はたちまち動揺する。あれはタティの胸と間違えたんだと、言い訳したかったが、それは言ってもたぶん言い訳以下にしかならないだろう。だって僕は胸を揉んだのだ。手の中に柔らかいシエラのおっぱいの感触は残っている。
「私、貴方の可愛い花嫁さんになるわね」
シエラは長い髪を揺らし、ぴょこんと跳ねて、僕を見上げた。
「シ、シエラ、シエラは知らないかもしれないけど、女の胸を触ることなんて、別にその……、それほど特別なことじゃないんだ」
僕はタティの様子をチラチラと窺いながら、どうにか世間知らずのシエラを丸め込もうと思って頑張った。
「そう、だってほら、シエラだって身体洗うとき、おっぱいを……」
僕がつい、自分の胸の辺りを掴む手つきをしたせいか、タティの視線が左頬に突き刺さったので、僕は慌てて言い直した。
「つ、つまりねっ、つまり僕が言いたいのは、そんなことで結婚相手を決めるのは、すごく軽率なことだと思うんだ。胸を揉まれたくらいのことで。初めて胸を揉んだ相手が運命の相手とは限ら」
「揉んだんですか!?」
いきなり横からタティが叫んだ。
「えっ?」
「そうよ」
シエラが恥じらって頷く。
「昨日の夜、そこのアレックス様のベッドの中でね。最初はびっくりしたし、恥ずかしかったけど、私、アレックス様ならって……思ったの」
「そんなっ、アレックス様っ……!」
「いやっ、タティ、タティ、落ちついて。いいかい、つまり……、つまりこれは、そんなに大袈裟なことじゃないと思うんだ。だってほら、おっぱいってその、揉むためにあるんだし」
「違いますっ!」
タティは即座に主張した。
「アレックス様、そんな考えっておかしいわ。女の身体はオモチャじゃないんですよ。おっぱいは赤ちゃんに、お乳を飲ませてあげるためにあるのよ……」
「タティ、それは違うよ。いや、女の身体がオモチャじゃないっていうことには同意だけど、女のおっぱいは赤ちゃんの物じゃない。赤ちゃんには、貸すだけだよ。食べ物が他にないときだけ」
僕は主張した。
「おっぱいは揉むためのもの」
「それってつまり、シエラ様の言っていることって、本当のことなんですね……?」
「えっ? いや、だからつまりおっぱいっていうのは、揉む……」
「アレックス様、一緒に私たちの赤ちゃんのお名前を考えましょう」
右横からシエラが言った。
「いやっ、シエラ、赤ちゃんなんて出来てないよ」
「そんなこと分からないわ。だって私、神様にお祈りしたのよ。早くアレックス様の赤ちゃんが出来ますようにって」
「だって、昨日は赤ちゃん作ってない」
「……よく、分かりました」
タティが憮然として言った。
「えっ?」
僕は翻弄されるままタティを振り向く。
「アレックス様のエッチッ! やっぱり貴方は、伯爵様にそっくりよ。前から気づいていたもの、貴方は気が多いって」
「タティ、タティ。それは違うよ。次元が。向こうはプロだよ。女をたぶらかすことの。女は気がついたら服を脱がされてる感じ」
「いいえ、ちっとも違いませんっ。アレックス様はご自分が思っているよりもずっとずっと、女の子が大好きなの」
「タティ、でもさ、僕が男が大好きだったら気持ち悪いと思うよ? タティより男が好きなんてなったらどうするの? それこそ発狂ものじゃない? 考えてご覧。そんな無茶苦茶な展開、目も当てられないって」
「浮気したのに訳分からないこと言って、誤魔化さないでくださいっ!」
「タ、タティ、違うんだ。誤解だよ。浮気なんてしてないって。僕がそんな男に見える!?」
タティはうつむき、小声でエステルとか、マリーシアとか、呟いた。
「タティ……、まだ根に持ってたのか。でもあれはどっちも間違いだったんだって。だいたいマリーシアなんてそれ以前のことだよ。話だってしたことないんだし、それに結局彼女、僕の何だったと思う?」
「何なんですか?」
「それは後で教えてあげるよ、間抜けすぎて、タティが笑うような結末だから。
それに、あのときは僕はまだガキだったんだ。でも僕はこの何ヶ月かで、なんて言うかすごく男として……、成熟したって言うのかな。成熟した大人の男の魅力っていう感じの雰囲気、タティは感じてない?」
「感じませんっ」
「そ、そう……、まあタティは病み上がりだから、まだ見分けがついてないのかも。とにかくタティは何も分かってないよ」
「いいえ、分かってますっ」
「いや、そうじゃないよ」
「分かっていますっ。わたしは貴方の好きな女の子の条件に、何ひとつ当てはまらないってことも、全部っ!」
「タティ、タティ……」
「でもシエラ様を見て。シエラ様は、ほとんど貴方の理想通りです! だから、貴方がシエラ様を好きになったって、不思議じゃないって思ってました!
だけどまさかシエラ様ともうそういうことまで……、それならそれで、別に認めたらよろしいのに、わたしに負い目なんか感じなくたって、貴方は女なんて簡単に切り捨てられるご身分なんだから。
どうせお妾になった時点で、わたしは世間的にも、貴方の中でも、その程度の扱いだって、分かっていたもの。なのに貴方は口当たりのいい言葉で、そうじゃないって言い続けるの。でも実際はこれだもの。
でももう花嫁さんがみつかったのなら、わたしにはお暇をくださいっ」
「……お暇貰ったら、どうするの?」
「それは、後で考えますっ」
「僕はタティが好きだよ。出て行かないで」
僕は言った。
すると一瞬、タティの表情が緩んだので、ほっとしたのも束の間、すかさずシエラが僕に言った。
「タティさんばかりずるいわ。私にも好きって、おっしゃってください」
「えっ? す、好きだよシエラ」
「嬉しい!」
シエラが喜び、機嫌が直ったと思ったタティがまた怒った。




