第24話 未練(2)
「ああ、なるほど……、そうか」
思いがけない突然のエステルのアドバイスだったが、僕は思わず感心して手を叩いた。
「確かにそれは、ロマンチックな演出だね」
「貴方に足りないのはそこですわ、アレックス様。だって貴方って、黙っていたら自分からはキスもしないんですもの。手を繋ぐのだって、いつもわたしからだったわ。
それでいつもだいたい、すっごく楽しいお話ばかり。洞窟の蝙蝠がどうとか。お庭の蟻の巣穴の話とか。後は、隣国の通貨の話。戦争の歴史とか。でも、星空のお話はお世辞じゃなく素敵だったけど」
エステルはそう言って、以前僕とデートしたときのことを扱き下ろした。
彼女には悪気はないのかもしれないが、僕はエステルの相変わらずのおしゃべりさと、それから見かけによらない気の強いところに、少し苦笑いした。
「それは君に喜んで貰おうと思って話していたんだ。別に僕が……その全部にものすごく興味があるわけじゃないよ。ただその中に君の好きな話があれば、話を広げられるかと思って、つまり共通の話題を探していたんだ。
僕だって、エステルが大抵つまらなそうにしてたことには気づいてたよ。城の中で、兄さんをみつけたときの君の反応と、すぐ後の僕への落差には心底傷ついていた。今から思えば、君は最初から兄さん目当てだったんだろうから、なるほど合点がいくけどさ。
だからキスもしなかったんだ。君に催促されない限りはね。好きじゃない男とするのは嫌だろうと思って。つまり自分からそうする度胸がないわけじゃないんだ、ただ君がとても積極的で……自分を売り込む才能のあることにはとても驚かされたけど。
でもまあ、ありがとう。今のアドバイスは今後の参考にさせて貰うよ」
「アレックス様って、意外と意地悪なことも言うのね……」
僕がお礼を言うと、エステルは唇を尖らせて何か呟いていた。
「兄さんと会うんだね」
あまりエステルと話すようなことは、少なくとも僕のほうにはもうないんだけど、せっかくいいアドバイスを貰ったのにこのまま立ち去るのも悪い気がして、挨拶代わりに僕がそうたずねると、エステルは頷いた。
「ええ」
彼女は今でもやっぱり少しも僕に対して悪びれる様子がなかったけど、エステルは少し背が小さくて、そのくせ意外にも物怖じしない性格が僕は可愛いと思っていて、それに彼女の唇から顎にかけてのラインや、さらさらの長い金髪はやっぱり懐かしいシェアのそれを思い出させた。だから彼女を目の前にしてしまうと、僕はあんまり怒り出す気持ちにはなれなかった。
「宝石がどうのっていうことは、アレックス様も新しい恋人ができたのですか?」
エステルの質問に、僕は何と言っていいか分からず、頭を掻いた。
「いや、まだ全然……、恋人になって貰ってないんだ」
「あら、本当に? じゃあ、これから愛を告白されるんですか?」
「まあ……、でも、彼女はあんまり僕のことが好きじゃないかもしれないんだ。
そこをどう上手いこと言ったら、結婚を承諾して貰えるかと思ってさ……」
「結婚!?」
僕の言葉に、エステルは目を丸くした。
「交際もしていないのに、もう結婚を考えていらっしゃるの? 彼女が、貴方のことを何とも思っていないかもしれないのに?」
「う、うん、変かな……?」
「いえ、変じゃないわ。変じゃないけど……驚いた。アレックス様って、本当に伯爵様とは真逆ですのね。
あの方は、こちらがどんなに上手く迫っても、会話に結婚のけの字も出てこないのに……。
ねえ……アレックス様」
エステルは、仔猫のような仕草で僕のことを見上げた。
「うん?」
「アレックス様はわたしとおつきあいをしていたとき、やっぱり結婚を……、考えてくださっていました? ほんの冗談でも……、少し、想像するだけでも」
エステルの質問に対し、僕は頷いた。
「勿論だよ。会ったその日から、ものすごく真剣に考えてた」
「そ……、………」
「……」
「……」
しばらく、何とも言い様のない沈黙が続いた。
何だか気まずいのとも違う、本当に変な空気が僕とエステルの間にあって、僕はどうしていいか分からず前髪を触ったり、鼻が詰まっているふりをして何度か無意味に鼻を吸い込んだりした。
少しの変な空白の後、消沈した笑顔でエステルはこう言った。
「はあ……、わたしって……。でも仕方、ないですよね、わたしが……。
じゃあ……、わたし、もう行きますね」
「ああ、うん」
「今度……、アレックス様のその恋がもし上手くいかなかったら、そのときはまた、わたしとデートしてくださいね」
「えっ? でも、君は兄さんと交際を……」
「いいんです。おつきあいして、すぐに分かったもの。ギルバート様、きっとわたしのことが遊びなんだって。
毎回ね、信じられないほど高価なプレゼントをくださるの。わたしなんかじゃ、家族みんなで働いたって、一生買えそうもないものを何でも買ってくださるのよ。
普通の人なら、絶対招待されないような王都の劇場の特別席、姫君御用達のファッションプラザ、最高級のレストラン……、あの方はわたしにとっては、まるで別世界みたいな日常を持っていらっしゃるの。
お話も楽しいし、お洒落だし、あの方といると、他の女性からの嫉妬の視線がものすごいんだから。居合わせたそこかしこのご令嬢が、本気で歯軋りしているんですよ。それに彼の周りの貴族たちまでわたしにちやほやしてくれて、それがどんなに気分がいいことか。
でも……、でも彼はわたしを見てないわ……、まるで別人みたいに優しく微笑みながら、ただ甘い夢を見ている……、でもそれはわたしも同じ、だから、まだ……お別れするつもりはないですけどね。
でも……どうしてもきっと遊びだって分かってしまう。いつか終わってしまうって……」
「そ、そんなものなの?」
「そうですよ。だから、ねえ……、きっとですからね」
僕はエステルが、彼女のほうでも兄さんのことなどまるで本気ではないみたいなことを言っていることに戸惑って、思わず彼女を見た。
でもその目を見て、すぐにそれが強がりであることが分かった。目は口ほどに物を言う。彼女の茶色い瞳には悲しみが宿っていて、震えているじゃないか。
恐らく兄さんがそろそろエステルに飽きているということが僕にも分かって、彼女に対して少し申し訳ない気持ちになった。飽きた女性に対する兄さんの態度の変わり様を、僕も少しは知っているからだ。
「以前、エステルとデートしたとき……、あまりプレゼントをしなくて悪かったね。
兄さんほど使えるお金がないってこともあるんだけど……、女の人がお金が好きだって、そのときはまだ知らなかったんだ」
僕がそう声をかけると、エステルは笑って、それから切ない瞳で僕を見上げた。
「アレックス様のそういうところ、本当はすごく可愛いと思っていたのに。
わたし……、どうして馬鹿なことしちゃったんでしょうね……」