第239話 無頓着な夜
テーブルに置かれた細工物のランプのもと、深夜に友人と向かい合って語りあうのは悪くないものだ。
「で、さっきシエラ様が突撃して来たって?」
カイトが椅子に座り直し言うので、僕は頷いた。さっきのことを、軽く話したのだ。
「そうなんだ。困っちゃってさ。赤ちゃんを作りましょうなんて言われちゃって」
僕が言うと、カイトが噴き出した。
「あ、赤ちゃん?」
「そう。赤ちゃんが出来たら結婚ってなると思ってるんだよ。女って単純だよね、でも話を聞いてみると、何だかね……、つまりシエラもキャベツ畑の住人だった」
「キャベツ畑の住人?」
「祈るだけでコウノトリが来ると思い込んでるってこと。赤ちゃんを作りましょうなんて言うから、誘ってるのかと思ったら、そうじゃないんだよ。彼女はお伽話の国の住人で、服も脱がないで抱き合うだけで赤ん坊が出来ると、したり顔で僕に教えてくれたよ。
彼女の国の常識によると、男女が同じベッドで一晩眠ると、朝には何故か女の腹に赤ん坊が発生するということらしい。お触りしなくてもね。そんな概念はシエラにはないんだ」
「そらまた……。じゃあシエラ様の頭の中じゃ、娼館は何のために存在していることになっているんでしょうね?」
「シエラなんか、そんなのあるってことすら知らないかもよ。知ってても、変態男が趣味で行く場所って感じじゃないか」
「ある意味、当たってますが……」
僕は椅子の背もたれに背中を預け、手足を伸ばした。
「かと言って甘え上手と言うか、彼女は僕の人生にまったくいなかったタイプだから、可愛いんだけどどうしていいか分からなくてね。あの無邪気さと言うか天真爛漫さは、育ちのよさなんだろうと思うんだけど。
シエラがアンポンタンで助かったって思ってるところさ。もし悪知恵の働く女なら、フレデリック様の好意を利用するなりして、かなり権勢を振るえそうな気がするんだよね。
僕に対してだって、何もベッドに潜り込まなくたってさ、たとえば自分と結婚しないとアディンセル家にとってためにならないと、脅迫するとかね。まあやりすぎるといろいろとあれだけど、徐々に、王子様の陰に隠れてさ、かなり蜜を吸えそう。
それを思いつかないのが、シエラが世間知らずってことなんだろうけど。はっきり言ってその点は助かってる」
「確かにねえ。と言うかそんなことを考えられる女なら、ロベルト候の補佐とまではいかなくても、彼の助けにはなれたかもしれませんが」
「ロベルト様か……、そう言えば、彼の噂は何だかよく聞こえて来るね。兄さんがランベリー州を貰うってこともあるだろうけど、最近は誰かしらが彼のことを話してる気がするよ。ロベルト、ロベルトって」
「ふむ、そいつは共時性ってやつですかねえ」
カイトは腕を組んだ。
「神秘学かい?」
「ええ、まあ。それは処刑されてなお妹を心配する彼が、そういうメッセージを貴方に送っているってことなのかも。シエラ様のことを託したい的な」
僕は眉を顰めた。
「あんまりそういうこと言うなよ、責任感じるじゃないか。おまえはどっちの味方だよ。タティとシエラ」
「それは、タティですよ。それはそうなんですけど……、何やら、シエラ様の立場もつらいもんがあるでしょう。お兄様が処刑されて家が取り潰されてですよ、王子様の妾になれってな話はまあ本人に通知はなされていないとは言え、薄々感じてはいるでしょうし……、本当なら泣き暮らしているような心境なんじゃないかなとね。
彼女を取り巻く状況は、女が一人で背負うには、重荷すぎるだろうに。それを傍から見て、けなげにまあよくやっていると思うんですよ。周りに当たり散らしたりだとかもなくて、貴方にも文句ひとつ、不満ひとつぶつけない。それどころか、必ず微笑みかけてくれるでしょう。あれはいい子ですよ。彼女は本当に、育ちがいいって言うか、心根がいい子なんでしょうねえ。
それだけに、タティが戻った辺りからはこう、いよいよ精神状態が危ういなと感じることもあったりして、不憫っつうか……。
それにシエラ様のところの兄弟構成って、どうやら長男の下に妹が二人でしょ。死んだ妹たちに重ねているわけでもないんですけど、何かねえ、やり切れないなってね」
カイトは頬杖をついた。
「どうにか、万事解決するような方向に持って行ってあげられればいいんですけど」
「でも僕はシエラと結婚とかって考えられない。タティと結婚するんだし。仮にタティがいなかったとしても、殿下の関心があった時点でもう駄目。どんなに美人でも、性格が可愛くてもね。そんなリスクは取れないよ。アディンセル家が第一だ」
「まあ、そらそうです」
「そんなに心配はいらないよ。シエラって夢見る女の子だから、そのうち新しい恋に目覚めるよ。だって僕を王子様とか思っちゃうような子なんだよ。だったら、フレデリック様が年下っぽい外見じゃなくなってご覧って。きっとシエラは瞳に星を宿らせて「運命の人に子供の頃から出会っていたのに気づかなかった」っていう感じの展開になるのが目に見えてる」
「そうですか? 女ってそんな簡単ですかね?」
「シエラに限ってはそうだよ。タティはとろいしシエラは天然だし、女って他愛ない。
シエラなんて権力者に気に入られてるんだから、あとは自分の決断ひとつで努力もなしに簡単に人生整っちゃうんだよ。羨ましい限りさ」
カイトは息を吐いた。
「でもお妃様になるって目は、ないわけでしょうからねえ。仮にお兄様のことがなかったとしても、王家と侯爵家じゃ貴賎婚ですから、おいそれと結婚は認められないでしょうし。
王子様のところに行くとなったら、結局のところみじめな立場でしょうよ。愛妾だの寵姫だのと、耳触りのいい呼ばれ方したって要するに日陰者ってことですから」
「日陰者か……」
「そう。世の中のお妾さんは、ほぼ例外なく後ろ指さされて生きてるんですよ。たとえ贅沢な暮らしをさせてくれる男の愛人と言ったって、サンセリウスは制度的に一夫一婦制が確立していますからね。宗教的な観点もあり、妻と妾とでは立場がまったく違っていて、妾は第二夫人ではなく、言うなれば妻と永遠の誓いを立てた妻帯男を姦淫の罪に誘い込む毒蛇ってポジションです。
世の中の多くの良識ある人たちは、不倫や浮気に寛容ではないでしょう。特に妻っていう立場にある大半の女性たちは、妻の立場を脅かす愛人女を脊髄反射的に憎悪するでしょうしね。人より一段下に見られる人生ってのは、つらいもんがありますよ。
しかも次期国王の愛妾っていうのは、只のお妾さんとは違って国中の人間がその存在と、お役目の内容を知っているっていう、まあオニールなんかは専属売春婦だダッチワイフだ言ってましたけどね、あいつの言い分は、実際中傷と言うよりはある意味正直な感想で、どうしてもそういうふうな目で見てしまう男は多い。
だから辱めじゃないですけど、王子様の愛人なんていう立ち位置ってのは、余程タフな女でもないと、なかなか務まらないことですよ。シエラ様じゃ無理。王子様もそうしたくないとおっしゃっていたわけですし」
「まあ、確かにね……」
僕も頬杖をついた。
「殿下の場合はお若い公女様と結婚するまでの、練習台みたいな感じだとも言うしね」
「そうですよ」
「じゃあ、他にいい方法ないかな。別に殿下じゃなくたって、誰だっていいんだよ。シエラが僕以外の誰かに興味を持って、要するに僕から興味が離れるなら。シエラが僕のことを諦めてくれさえしたら、そうすれば、全部丸く収まるのに。
せっかくタティの肺病が治ったのに、何だか状況は半年前より後退しているって感じでさ。どうしたらいいか……」
するとカイトは言った。
「まあ、女に嫌われる方法なら幾らでもありますよ。世の中の男たちの多くが簡単に体現している通り。性格が悪いとか乱暴だとかいうのが嫌われるのなら分かりますけど、食事の仕方ひとつで嫌われますからね。そう、中にはその容姿だけで女を寄せつけないバリアを張れるエキスパートも。連中は女に不快感を抱かせるプロフェッショナルですよ。
女には俺たちには分からない独自の評価基準があって、それに違反すると二度と恋愛対象とは見てくれないってわけです」
「じゃあ、どうすればいいだろう」
「取り敢えず貴方の場合は、女にとって無条件で評価がつく点が幾つかあるんですよ。身分、財力、イケメン高身長って辺り。勉強ができるってのも、これは一般的に言ってかなりポイントが高いはず。だからそれを潰すくらいのことをしなくちゃいけません。
いっそ今夜、抱いてくれなんつって突撃して来たシエラ様に、貴方のエロい本性を見せてやればよかったのに。そうすれば驚かれて、速攻で嫌われたかも」
「嫌われなかったらどうする。喜ばれたら」
僕は言った。
「おや、貴方にそんな腕がおありとは」
カイトがからかうように目を細めた。
「みくびるな」
僕は主張した。
「まあ、彼女はアレックス様に惚れてるんだから、そう乱暴にしなきゃ嫌われないか……。結構、受け入れちまって、そのまま溺れちゃったりするのかな」
カイトは再びテーブルに頬杖をついた。
「もう貴方なしではいられないとか言われちゃったりして。いいなあ。いいなあ。はあ」
「そうだよ。そんなことをしたら、もっと僕を好きになるかも」
「そうですか」
「僕は夜の帝王と呼ばれてもいいくらいなんだぞ」
「その発想は、どっから持っていらしたんで」
「にじみ出る男の魅力」
「なるほど。ま、今夜はよく眠って明日また考えましょう。ほら時計を見てください」
カイトが取り出した懐中時計の針は、午前二時を指していた。
僕は頷いた。
「じゃあベッドを借りるよ。悪いね」
「どうぞ。俺は床で寝ますんで」




