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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第238話 模範的倒錯(3)

「まあね。よく言われるよ」


事実なので、僕は機嫌よく頷いた。


「マスター・カタリーナ・スペルマンっていうのは、知ってると思うけど、サンセリウスでいちばん実力のある魔術師であり、かつ陛下の専属でもある。

代々優秀な魔術師を輩出しているスペルマン伯爵家の出身だけど、中でもカタリーナ師は昔から天才の名を欲しいままにしていたみたいだね。でもその名声が知れ渡ったのは、やっぱり先の南北戦線での活躍が大きいだろう。彼女の爆炎魔法でコルヴァール兵数千騎を焼き払ったっていうのは有名だよ。昔から天才カタリーナが歩いた後には、焦土しか残らないなんて伝説めいた話まで流れたくらいの天才魔術師。敵方の王太子の首を飛ばしたときのことだよ。英雄ハーキュリーズ五世にカタリーナありって言われてる。

戦争になれば泥を被るどころの話じゃない、虐殺を請け負わないといけないから、鋼鉄の神経を持っていないと、とてもじゃないけど権力者の魔術師は務まらないって言うけど、女の人でもやれる人はやれるんだよね。それに魔術師は公的女房役だからね。だから王妃様は生前、カタリーナ師に大層嫉妬していらしたって。

あと、知ってるだろうけど、マスターの称号を名乗れると、魔術師業界では大物ってことになるらしいね。娘のマデリンはまだ名乗ってなかったね」

「マスターを持ってる魔術師なんて、他にいましたっけ? ルイーズ様も名乗ってないですよね」

「トバイアの魔術師が名乗ってたよ。ほら、あの長身痩躯の不気味な感じの」


カイトは少し考え、手を叩いた。


「憶えています。ウィシャート公に影のように寄り添っていましたね。最近だと昨年末の夜会で見ました」

「うん。あいつが確かマスターのはず。確か名前を……、何だったかな、あの不気味な外見に似合わない名前……、そう、マスター・シリウスって言ってたよ。僕あいつの声が嫌いなんだ。子供心に、恐いって印象が強くて」


さっきから何か話が脱線して、かなりどうでもいい話題になりつつあったし、大して興味もなかったので、僕はそろそろ話をそらしたかった。


「トバイア公が亡くなってしまいましたが、そうすると専属契約をしていた魔術師ってどうなるんですかね? 契約の儀式をしていなければ、単なるお役御免でいいんでしょうけど、契約を済ませていた場合って何かしらのペナルティはあるんですか? 従属契約不履行、つまり主人を守り切れなかったわけでしょう」

「単純明快な話さ。契約をしていたら、主人の心臓が止まったら自分も死ぬ。主人を埋葬する猶予くらいはあるかもしれないけど、自分に呪術をかけてるんだから、自由放免とはならない。

だから魔術師は自分の生命を護るごとくに主人を護る必要があるんだよ。マスター・シリウスは、もう何処かで死んだかもね」

「なるほど……」


カイトは考え深げに腕組みをした。まだ彼の好奇心の火は尽きていないようだ。それどころか、次に何を僕に質問しようかと考えを纏めている気配がする。カイトはおしゃべりが鬱陶しいが、そう言えば好奇心旺盛なのも鬱陶しい奴だった。


「これ何?」


そこで僕は、適当にテーブルの隅を指差した。テーブルの上に、ちょうど便箋のような紙が放り投げてあったのに気づいたからだ。

とにかく会話を変える必要があったのだ。僕は知識をひけらかすのは好きだが、こんな夜遅くに、延々こんな話を解説し続けるというのはさすがに面倒臭い。こういう話は昼間にでもハリエットに聞いて欲しいものだ。


「あっ、これはですね」


僕が近づいて便箋を手に取ろうとするより先に、カイトは慌てた身のこなしでそれを掴んで後ろに隠した。

しかし鋭敏なる僕は鋭く言った。


「督促状だな。字が見えた」

「いえ、あのー」

「何の借金? 貸してご覧」

「いや、いいんですよ。何でもないです」

「もしかしてヴァレリアに買った婚約指輪とか?」

「ご名答」


カイトはすぐに認めた。

僕は呆れた。


「借金してまで指輪買うなよ。愛してもない女のためにさ。君をいたわってくれるわけでもない、顔を見ると文句をつけたり、下男呼ばわりするような女だぞ」

「でも俺には親から受け継いだ代々の指輪みたいなのってないですし、こういうことは、きちんとしておきたいから。金なら後になれば稼げるようになるかもしれないし。でも結婚は人生で一回きりでしょう」


カイトは督促状の紙をポケットに押し込みながら言った。


「ヴァレリアのためにそこまで考えてるの?」

「まあ、政略婚っても、縁あってのことでしょうしね。ウェブスター家のお嬢様なんて、普通は俺みたいな男は、どうあったって嫁に貰えないわけですから……。

俺と結婚することで、お嬢様には確かに嫌な思いをさせることにはなるでしょう。平民の妻だ何だとね。階級社会で白い目を向けられることの怖さは俺がよく知ってる。一生屈辱がついてまわるんです。

でもお嬢様は、もし本人にその素養があればですが、貴方や、閣下と結婚することだってできるくらいの家柄の娘なんですよ。明らかにこの結婚は、彼女にとって不服で、不幸なものなんです。だからせめて大事にしないと」

「君、なんていい奴だよ……」

「逆の立場なら、やっぱり嫌だろうと思うだけですよ。男爵令嬢の自分が、周りには幾らでも独身の貴公子がいるっていうのに、どうしてこんな男とってね。だから俺はお嬢様を失望させないように、精一杯大事にしないと……」

「そう。そうか、じゃあそれ、僕が君に無償で融資するよ。その借金は取り敢えず僕が払うから。変な高利貸しとかから金を借りたら、大変なことになるんだよ」

「いえ、大丈夫です。これは自分で」


カイトは僕の目を見てきっぱり言った。


「自分の結婚のことですから、俺が自分でちゃんとしたい。男の責任として」

「でもさ、これから結婚指輪も買うんだろう?」

「何とかしますよ」

「じゃあ、僕にできることは?」


カイトは首を横に振る。


「じゃあせめて、君の給金を上げるように兄さんにかけあうよ」


カイトは笑った。


「それは有難いです。是非」


それから僕は席についた。おもてなしを受けるためだ。しかし小さいテーブルの上に出されたのは妙に濃い色をした飲み物だった。使い古したカップ、それは構わない。僕は寛大な人間だ。あんまり他人の生活ぶりにガタガタ言わない。男の一人暮らしに食器まで期待しない。

が、出されたカップの中にやかんから注がれた液体が問題だ。


「これ何?」


僕がカップを覗きながら聞くと、カイトは平然と言った。


「お茶ですけど」

「濁ってる……。冷めてるし」

「三日前に淹れたんですよ。やかんに」


カイトはテーブル机の上に無造作に置かれたやかんを持ち上げて、振って見せた。


「……大丈夫なのか?」

「まだ夏じゃないですからね。腐ってないですよ。三日くらいならいけるはず」

「これヴァレリアに出さないほうがいいよ……」

「ですかねえ」


僕は、カップの中の濁ったお茶をみつめた。まるで森の中の澱んだ池の水のようだと思うのだが、ここには小さな生き物は棲んでいるのだろうか? 飛び込んでみると、お伽の国に行けるかもしれない。


「平気ですって、さっき飲みましたし」

「頑健な君と繊細な僕を一緒にしないでくれ……」

「じゃあ、何か厨房で貰って来ます」


カイトは特に気を悪くした様子はなかったが、気を遣ったのだろう。部屋を出て行こうとしたので、僕はそれを制した。


「いい、悪かった。僕は今夜の寝床を提供して貰えるだけでいいんだ」


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