第233話 タティの可愛い独占欲
……わけはないのだ。両手で顔を覆っていたら。
タティは一度ドアに頭からぶつかり、派手な音を立てた。それからよろよろとして今度は確かにドアを手で開けてから部屋から出て行った。僕はタティが今ので眼鏡を割ったんじゃないかと思って心配したが、両手で顔を覆っていたから眼鏡はどうやら大丈夫だったようだ。
タティは昔からそうなのだが、今のは空間把握能力や状況判断能力にも問題があったような気がする。これは果たしてドジという範疇で片づけていいのやら、まさかあんなおとなしい女の子がドアに激突するとは思わなかった僕とシエラは驚き、その隙に僕はタティを追いかけ、幸いタティは足が遅いので、部屋を出たすぐその先であっさり腕を掴まえた。
本人としては全力疾走のつもりか知らないが、傍目にはどう見てももたもたしていたので、ちょうどとろいバッタを押さえるような感じだ。
「離してっ」
タティは僕の手を振り切ろうとしたが、僕は手を離さなかった。
「待って、タティ、これにはいろいろと事情があるんだよ。何度も言っていると思うけど、頼むから分かって欲しいんだ」
「分かっていますっ。もう分かりましたから、手を離してくださいっ」
「いや、分かってない」
「分かっていますったら」
「じゃあ何が分かったの?」
「アレックス様が、シエラ様を選ぶことです……」
「そうじゃないんだって……、ただ今は事情が許さないんだ、タティにはちょっとそれを分かって貰いたいんだ。これは、僕個人の考えではどうにもならないんだよ。王子様の気が変わってやっぱりシエラを引き取るか、どうにかしてくれないと。状況が変わらないとさ」
「だから、分かりましたっ」
「いや、分かってないよ」
「離してくださいっ」
「嫌だよ。僕はタティと結婚するんだ」
タティは振り返って僕を見上げ、かぶりを振った。その目は涙ににじんでいた。
「そんなこと……、本気で言っていらっしゃるんですか? わたしなんて、いいところなんてひとつもないのに……。
わたしなんて全然美人じゃないし、何だかすらっとしてないし、魔力もなくて、お荷物で、おまけに年だってシエラ様より二つも上なの。シエラ様どころか、わたしなんて、アレックス様よりもお姉さんですもの。年上の女なんて、いい笑い者。もう、いいとこなしなんです」
毎度のことながら、僕はタティが何をそんなに自分を卑下するのかが分からなかった。
僕に言わせればタティがシエラより劣っていることなんて、家柄くらいのものだ。でもそれは僕と結婚したらいいことだし、美人かどうかなんて、それは人の好みにだって左右されるものだし、確かにシエラは兄さんが上玉だなんて言うくらい上等な美人かもしれないが、でもそれだけと言うか、それ以外には特にシエラに惹かれるものはないのだ。
でも僕はタティと一緒にいたいと思う。年齢のことだって、言わなければ十八歳も二十歳もそんなに見た目の違いはないような気はする。兄さんなんか僕とカイトを一緒くたに扱うのだ、大人からすると、そのくらいどうでもいいことなのではなかろうか。
「タティは童顔なんだし、シエラと同じ十八歳で通るよ」
僕は言った。
「そんなこと気にしてたの? タティはずっと?」
「だって、わたしなんてちっとも取り柄がなくて……。
アレックス様、女って、やっぱり若さがいちばんの武器なんですよ。それだけは、どんな女の子にも、誰にでも平等にある取り柄なんです。逆に言えば家柄がいいわけでも、特別美人でもなく、魔法使いにもなれなかったわたしには、それしかなかった。でも、最近ではもうそれすら……。全部持っているあの方を見ていると、自分がひたすらみじめで……」
「タティ、二十歳でそんなこと言ってたら、ジェシカやルイーズはどうなるんだ。怒られるよ」
「それは、そうですけどっ……」
「年なんて関係ないって言うか、タティ、僕と同い年じゃないか。大事なのは見た目だよ」
「見た目……」
「いや、つまりタティは若く見えるってこと。って言うか男がみんな年下好きと思うのもどうかと思うんだけど。年下の女にもいろいろあるんだよ。身体目当ての男なら、女は年下の女ってなりがちだろうけど、僕は女性とそれだけの関係って望んでいないし、そうなるとやっぱり年齢より気の強い女がちょっと苦手だしさ。一生のパートナーにするのって結局は、大事なのって内面なんじゃないかな」
僕はたたみかけた。
「ねえタティ、病気が治って嬉しくない? 僕は嬉しいよ。タティが元気になって、こうやって前みたいに、毎日会えるなんて」
タティは下を向いたまま頷いた。
「タティにしてみたら、毎日のようにああしてシエラが部屋に来るのって、面白くないとは思うけど……」
「面白くないだなんて、ただ、赤楓騎士団にプリンセスシエラ・ファンクラブがあるなんてお話を聞いてしまうと、もう格の違いって言うか、そういうのを……。
わたしなんて彼女と張り合えるわけないのに、アレックス様、わたし、上手く言えませんけど、前はね、いつか貴方に相応しい人が現れたら、わたしは素直に身を引こうって、そういうふうに思っていたんですよ。だってわたし、きっと誰が見たって、明らかに貴方に釣り合っていないんですもの。
だけどいざそういう方が現れると、貴方を諦めたくないって思ってしまいました……。アレックス様を諦めたくないって。負けたくないって。
自分で思っていたよりわたしって、ずっと強欲で、嫉妬深くて、嫌な女だったんです。
そしてそんな自分の中にあるすごく嫌な感情が、ますます貴方に相応しくないって思えてきて、もう、どうしていいか……」
タティは両手で頬を抑えて、か弱く、今にも泣き出しそうな顔で震えていた。
僕はそれをじっと見て、もっと表情をよく見るためにちょっとその瓶底みたいな眼鏡を取りたい気持ちだったが、余計なことしてタティが怒ると嫌なので、それは我慢しておいた。
「シエラ様のおっしゃる通り、わたしが身を引くべきだって分かっているんです」
深刻にタティは言った。
「身分の低い女が、身分の高い方の好きな人を想うなんて……、そんなの非常識だって分かってます。先に出会ったのはわたしでも、この状況ではもうわたしが邪魔者だって、ちゃんと分かっているんです。
でも、わたしには貴方が運命の人なんです……。
素直でいい子のタティって、子供の頃から決して美人だとは言われたことがなくても、それだけはおまえのいいところだって、お母様やお父様やみんなに、褒めて貰えていたのに……、だけど本当のわたしは内面さえぐちゃぐちゃです……」
僕は、タティが訴えるほどこの問題について深刻になっていなかったというのが正直なところだった。勿論簡単な問題じゃないとは思っていたし、どうしていいか目処も立たない。対処法もないという八方塞がりの状況ではあった。
でも僕の感触としては、謁見のときのフレデリック王子はどうもシエラのことを何年も好きだった様子だった。だから今は八方塞がりでも、兄さんもおっしゃっていた通り、いずれ殿下の気が変わってくれれば、また風向きが違ってくるのではないかという希望観測はあった。
それに僕は幸せを噛みしめていたのだ。死んでしまうはずだったタティが、僕の目の前にいて元気にしている。しかも僕に他の女が好意を寄せているのを、嫉妬して怒っているのだ。タティが僕に嫉妬して不満を訴えている。つまり僕が好きだからなのだ。こんなに嬉しいことがあるだろうか?
タティは怒っていても可愛かった。
しかも今はすごくいいことを言ったので、僕は思わず浮かれてしまった。
だからそのまま不意をついてタティにキスした。一瞬だけ唇が触れる。
タティが、唇を押さえて唖然として僕を見上げた。
「アレックス様っ……」
それから顔を赤くし、何故こんなときに、廊下には人がいるのにそんなことをとわたわたし始める。
僕はにやけて言った。
「だって、タティがそんなに嫉妬するなんてすごい。初めて見たよ。やった!」
「やったって……、アレックス様、わたし、真面目に話しているんですよっ」
「うん」
僕は言って、タティの手をそっと取った。
「でも、そんなに嫉妬するなんて初めて見た。いいね、女の人に嫉妬されるって。そういうタティも、可愛いよ」
「アレックス様ったら……」
「ねえ、これ夢じゃないんだよ。タティ。タティが病気になってから、いろいろあって……、もう駄目かもって何度も思ったけど、でも今はこうして一緒にいられる」
「わたしももう何度も駄目かと思いました。きっと、もう駄目だって。もう会えないって。
わたしは子供の頃から、不幸ではなかったけれど、でもいつも幸せには届かないような気がしていたから……」
僕はタティの顔を覗き込んだ。
「幸せに届かない……?」
タティは哀しく呟いた。
「だってわたし、こんなだから。髪だってこんな。眼鏡で、鈍臭くて。だけどシエラ様はすごく綺麗。欠点なんて何処にもなくて、本当にお姫様そのもの。全然敵わないもの……」
「またあ、なんでそこで落ち込むかな」
「だって……」
「タティ、僕が好き?」
僕は言って、また顔を近づけた。
「アレックス様、あっ……」
タティは身じろぎをしたが、僕がそのまま唇を塞ぐと僕に従った。
どうせ廊下にいるのは用事のために通りかかった召使いと衛兵で、僕らの関係を分かっている人々ばかりな上に、この城は僕の家なのだ。家の中でキスをするのは、街角や路上でキスをする道徳知らずの淫乱破廉恥とは訳が違う。
やがて唇を離すと、深呼吸をして、タティが僕を見上げた。
「何だか、前より慣れていませんか……? まるで伯爵様みたい……」
「えっ? キスが?」
タティは赤い顔でうつむいた。
「持ち込み方が、自然すぎです……」
「そうかな? まあね、僕は男らしいからね」
「……」
「タティ、僕が運命の人だって思ってるの?」
「そ、そうですよ……」
タティは目をそらして言った。
「いけませんか……?」
「いいよ」
「いいよって……」
「いいことだよって意味。いい考えってこと」
「それは、分かってます……」
「タティ、タティは何か勘違いしているかもしれないんだけど」
「何ですか……?」
「男って別に世界でいちばん綺麗な女が欲しいわけじゃないんだよ。女の人がこだわっているほど、化粧も好きじゃないしさ。まあ中には顔さえよければ何でもいいって奴もいるかもしれないけど、僕はタティがいいよ」
「アレックス様、でも……」
「僕はタティがいい」
僕はタティをみつめて繰り返した。
「で、でもっ、わたしにはシエラ様よりいいところって、ないんです……」
「そんなことないよ。タティには、シエラに負けないいいところがあるよ」
「わたしの、いいところ……?」
タティは僕の言葉を確かめるように、そっと僕を見上げた。
「そうだよ。自信を持っていい」
そして僕とタティはみつめあった。
それはお互いの存在を、久しぶりにちゃんと認識しあった瞬間だった。
そうとも、僕は、タティと引き裂かれそうになっても僕はずっと、こういう瞬間を待っていたのだ。
随分時間はかかってしまったし、今もいろいろと邪魔は入っているけど、僕らは本来こうだったのだ。
僕はこの愛の歓びを伝えるべく、タティに微笑みかけた。
「タティはね、胸がいいんだ。僕、タティのおっぱい最高に好きだよ!」
しかし何故かタティはわあっと泣き出してしまった。
「えっ?」
僕は訳が分からず立ち尽くす。




