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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第12章 佳客
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第229話 恋しい君のために(7)

そして僕とハリエットが、ほとんど同時にタティの部屋に飛び込もうとした。しかし女の寝室であることと、僕にはタティをこんな目にあわせてしまったという多少の気おくれがある分、ハリエットのほうが素早かった。

深呼吸をし、やや遅れて寝室に入ると、タティのベッドに寄り添って、ハリエットがもうタティの手を取っていた。

柔らかい午後の光の中、タティは上半身を起こし、背中のクッションに身体を預けていた。

黒い巻き毛がほつれている。少し痩せていたが、顔色はよかった。


「ハリエット様……、わたし、本当に病気が治ったの?」


タティの懐かしい声がしていた。

たった今までオニールを叱りつけていたハリエットが、年齢相応の少女の顔をしてはしゃいでいる。


「ええ、そうよ。そうよタティ!

バンナード公子、とにかくさっきの方が治してくれたの。あの方、トワイニング家っていう偉い家系の方でね、性格はちょっと嫌な感じだけど、神聖魔法が優れた家系なんですって、だから、すごい魔法を使って貴方を特別によ。

それって言うのも、アレックス様がね、なんと薔薇君様にタティを助けて欲しいって、王城にまでお願いに上がったからよ。ええ、そうよタティ、貴方のために!」

「さっきの方……、アレックス様に少し感じが似ていたので、最初はわたし、アレックス様かと思ってしまったの。

アレックス様がここにいらっしゃるなんて、夢かと思って……。でもアレックス様ってお呼びしたら、人違いですよって言われて……」

「えっ、似ている? そうね……、そう言われてみれば、何となくはそうかも。でもわたしは断然、バンナード公子のほうがハンサムだと思ったけど!」

「ハリエット様ったら」

「あら、本当のことだわ。あの方すごく格好いいでしょう。それに、アレックス様はタティの恋人だもの。だから余計にそう感じるのよ。つまりわたしって、売約済みの男性には一切興味を感じないタイプだから」

「ハリエット様は、実際に会っても、アレックス様を素敵だと思わなかったのですか?」


タティの質問に、ハリエットは得意顔で、饒舌にその理由を語った。


「勿論よ。勿論。どうして。それは、伯爵家の若い貴公子よ、アレックス様にだって、会うまでは多少期待していた部分もあったけど、でも実際会ったら全然。

だって彼ってなんて言うか優柔不断だし。基本が気弱なのよ、だから、わたしが引っ張ってあげなきゃって思わされるって言うのかしら。

それに聞いてタティ、しかも彼ってお役目の初日にキャンディを渡そうとするし。キャンディよ、信じられる? それってどういうこと? キャンディってっ!?

彼ってどうやらわたしを子供だと思ったみたいなの。だからそれでわたしのことを手懐けようと思ったみたいよ。失礼しちゃう。だって、十六歳のきちんとしたレディに向かってよ? 信じられないことだわ。だからそういう失礼な男は、悪いけどわたしの趣味じゃあないわ。本当よ。誓って、彼はわたしの趣味じゃない。

とにかくタティ、貴方にはたくさんお話したいことがあるのよ。すごくいろんなこと。でもその前に貴方は服を着替えなくちゃ。熱のせいで、寝汗を掻いているわ。それに、お腹いっぱい美味しい物を食べるの」

「美味しい物?」

「そうよ。タティの好きなケーキや、プディングや、それにチョコレートクリームをたくさん!」

「ハリエット様も一緒に」

「わあっ、それって最高にいい考え!」


そしてタティとハリエットは微笑みあった。

彼女たちは文通をする間柄の再従姉妹同士なのだが、実際随分仲がいいようだった。

ハリエットがこきおろすとまではいかないにしても、僕に対する評価がかなり散々なものであることを知ったのは、ちょっとショックではあったが、女の子同士の仲のいい様子は、純粋に見ていて好ましい。

タティはハリエットと久しぶりのおしゃべりを楽しみながら、ときどきぎこちなく僕のほうを見ていた。でも僕はタティに何と言ってあげていいか分からず、結局部屋の中で突っ立っていた。よかったとか、元気になったんだとか、ありふれた言葉は思い浮かんだがそれだってどれもしらじらしい。だって僕がタティを病気にしたようなものだったからだ。

僕は駄目な男だ。タティが元気になってくれて嬉しいのに、こういうとき、タティに喜んで貰えるような感動的な言葉を思いつかなかった。タティが生涯二度と忘れないような、男らしい、恋人らしい、僕の愛を象徴するような、そういう素敵な言葉を。

でもタティが元気になって笑ってる……。

瓶底みたいなレンズの嵌まった眼鏡をしているタティがそこにいることを、ほとんどの男は気がつかずに通りすぎるけど、僕は彼女がどんなに可愛いかよく知っている幸運な男の一人だ。

つらい思いをさせてごめん、もう二度と病気にさせない。

もう泣かさない。

今度こそちゃんと君の手を取りたい。


「お嬢ちゃん、そろそろ空気読めって」


ずっと立ち尽くす僕に代わって、意外にもオニールが言った。

言われたハリエットははっと気がつき、タティの手を離すと、慌ててベッドサイドから僕らがいるドアのほうに、小走りに戻って来る。


「ごめんなさい。まずは、そうよね」


カイトが何も言わずに僕の肩を叩いて部屋を出て行き、ハリエットとオニールが連れ立ってそれに続いた。

背中でドアが閉まったのを確認してから、僕はタティを見た。

タティも僕を見ている。


「アレックス様……」

「タティ……、最近どう? 僕はまあまあ。あの……」


上手いことを言ってコミュニケーションを図ろうと思ったものの、僕をみつめるタティを前にして言葉は続かなかった。

気持ちは昂って、何かすごくいいことを言いたいのに、どうしてもそれが纏まらない。僕はずっと内面の世界に親しんで生きていた割には、やっぱり肝心なときには自分の感情を把握することができなかった。衝動に突き動かされるままに、それでも拒絶される気配がないことをちゃんと確認してから、僕はタティのベッドのところまで近づいて、恐る恐るタティの身体を抱きしめた。

タティの感触と匂いが懐かしい……。


「会いたかった……」


そのときは結局気の利いた言葉なんて何ひとつ言えず、僕はただずっとそうしていた。

こういうのは、まるで三日前の兄さんとアレクシスみたいだと思ったが、僕が兄さんより男らしかったところは、泣きはしなかったというところだ。






その後常駐医を引っ張って来て、診察を受けさせると、彼もまたタティは健康であると当惑した顔をした。

肺病は罹ったら最後、死を待つだけの不治の病だというのが定説であるため、治るというのが考えられないことであるから、これは最初から診断ミスだったのではないかと、最後には数名の関連医師たちが、始末書を誰が書くかということで揉めるようなことになっていた。

バンナード公子がいつの間にか帰ってしまっていることに気づいたのは夕方遅くだったが、何せあのときの僕はタティのことで忙しかったのだ。


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