第226話 恋しい君のために(4)
それからバンナード公子は本当にサンメープル城に同行し、僕らは帰還のその足でタティのいる城内離宮まで彼を案内した。
バンナード公子は上背があり、血統のよさを窺わせる上品さと洗練された礼儀正しさを備えた美青年なのだが、勉強ができてなおかつ聖騎士の称号なんていうものを与えられてしまうほどの武芸の才があり、容姿がよく身分もある、おおよそ欠点なしの人間にはつきもののプライドの高さと、近寄り難さみたいなものがあった。
マデリンが性格が穏やかだみたいなことを言っていたが、とてもそうとは思えない。全然友好的じゃない。お高くとまっている雰囲気を本人は分かっているのかどうか知らないが、オーウェル公子みたいに攻撃して来ないだけで、無愛想と排他的、拒絶的な感じは共通する気がした。
「フレデリック殿下は僕に御怒りでしたか……?」
それでもこのことだけは把握をしておこうと、僕がたずねると、離宮に続く小道を歩くバンナード公子は碧灰色の眼差しを僕に向け、冷ややかに応じた。
立ち振る舞いが妙に格好いいせいか、僕のやや後方を歩くハリエットが魔法の杖を握り締め、口を開けて公子を見ている。その後ろを歩くカイトやオニールと比較すると、ひと山幾らの彼らがあまりに薄汚れていて可哀想なくらいにはイケメンだが、格好よさで言うと、たぶん僕の次くらいだろう。
「殿下は御聡明な御方です。そして神族直系であらせられる尊き御方。貴方やシエラ姫のような、有象無象のくだらない人種に惑わされるような、低次元の場所に生きる方ではありません。
シエラ姫はどうやら貴方に好意を持っている様子でしたが、僕が申し上げておきたいのはあの娘が二度とフレデリック様の前に姿を現さないように、適切に管理して頂きたいということだけです」
「いえっ、それは大きな誤解なんです! このことは、是非、バンナード様のほうから殿下にどうか言上頂きたいのが、僕はシエラ姫とはまったくその、勘繰られるような関係ではないんです。僕が自分で申し開きができればいいのですがフレデリック様は」
「いずれにしても、お好きになさればいいのです」
バンナード公子は僕を遮って言った。
「えっ、何を……」
「率直に言って貴方がシエラ姫と貴方の幼なじみですか、そのどちらを好いていようと、どちらを選ぼうと、知ったことではありません。それはフレデリック様も同じ御気持ちでしょう。ですから、何も言い訳の必要などありません。
それどころか、貴方はどちらかを選んで、今年にでも結婚をなさればいい。僕は是非ともそれをお勧めしますよ。そうなさったほうが、貴方自身も責任を得て、少しは落ちつかれるのではないかと思いますし――」
公子は僕をやや嘲笑うかのように見た。
「何より貴方の素行不良を、フレデリック様に伝染させて頂きたくはないのです。僕はたった今、申し上げましたね。フレデリック様は、そんな低次元の場所に生きる方ではないと。
だいたい我らが王子殿下に、女のことで煩っている時間が、あるとでもお思いですか? 国王陛下は頑健な御方ですが、既に齢七十を越えていらっしゃる。大国の王子には、これからまだまだ学ばねばならないこと、やらねばならないことが山のようにあるのです。殿下もそれはよく御理解なさっている。御自分の立ち位置や、与えられた使命というものをね。よって女の問題は、当面は二の次です。
勿論、世継ぎを作ることはできるだけ早く取りかかって頂く必要がありますが。しかし恋愛ごっこなどをして、いちいち女の機嫌を窺っている暇はないので、女の相手などはいずれ義務的なもので結構。
とにかく女というものは、いちいちフレデリック様の御気持ちを大事なことからそらせ、あつかましくも普通の男に求めるような愛と献身を要求し、さもなければ惑わせる苛立たしい存在でしかありませんから。
何処の誰が妃となるにせよ、フレデリック様の夫婦関係は飽くまで形だけのもので構わないのです。そうは思いませんか」
「え、ええ……」
「お分かりですかアディンセル殿」
「随分……、殿下を御尊敬申し上げていらっしゃるんですね。僕も同じ気持ちではありますが……」
「当然です。あの方は神に連なりし御方ですよ」
バンナード公子は不意に声に情熱を込めた。
「七百年という歳月の間に、ローズウッド王家の血は確かに薄まり、太陽を正視できるというような特質は、近年では顕在し得なかったことなのです。それは、陛下におかれてさえもそうなのです。しかしフレデリック様、あの美しい方には、その特異な能力が備わっている!
これが何を示しているかお分かりですか? つまりあの方は明確なる先祖返りなのです」
「先祖返り……」
「ええ。だから見てお分かりのようにその御姿は神聖で神々しく、能力も最初から桁が違う。あの方は細身ですが、僕は既に腕力で敵いません。神の血が濃いのですよ。フレデリック様とは、近年の王族や僕のような卑小な傍系とは遥かに異なる、太陽神及び聖イシュタルにとても近い存在なのです。御本人は謙遜なさいますが、僕はそのように信じております。
だからこそ、僕はあの美しい方の導かれるまま、往かれるままに、何処までもついてゆくのです!」
そしてバンナード公子は鼻息荒く、殿下を激しく崇拝する気持ちと、自分こそが殿下の第一の従者であり、唯一の右腕であることなどを……、要するに自分こそが殿下にもっとも必要な人間なのだということを、念入りに熱狂的に自信満々に語った。
またタティを助けるなんて嫌だと言っていたシエラは、僕も公子もそれに応じないと分かると、怒ってさっさと自分の部屋に戻ってしまっていたが、立ち去り際に、まるで僕がシエラを苛めたみたいな非難の目を無言でじっと向けられるというのは、何かがおかしいと思うのは、また後で考えてみることにする。
やがていよいよタティの暮らす離宮に着くと、兄さんの特命を受けた連中が相変わらず離宮を囲んでタティとの面会を阻んでいたが、僕はそのときばかりはいつもの小隊長を離宮の柵のところまで呼びつけて、王子命令により道を開けるよう話して聞かせた。
バンナード公子はトワイニング公爵家の名前と紋章を提示し、僕は彼が王子殿下が派遣した王子の側近であることを重ねて保証した。
すると女だてらに鎧を着込んで剣を携帯し、小隊を率いていたバインド家の二十代半ばの令嬢は、この話に戸惑いを見せたが、僕に言った。
「お話は分かりました。しかし、それでもわたくしどもはここを退くわけにはいかないのです。この時期に、こんな生ぬるい任務さえまともに達成できないとあれば、わたくしは二度と騎士として登用されることはないでしょう。差し出がましいながら、王子殿下の書状なりを提示して頂かなければ……。
トワイニング公爵家はアディンセル伯爵家の上司ではありません。両家は階級的優劣があるとしても主従関係ではない。アレックス様のおっしゃる通り、こちらの方がその公子様であるということが事実であるにせよ、彼が王子殿下の命令で動いていることについて確認を取る必要があります。
ここでの権限者はアディンセル伯爵ギルバート閣下であり、それを覆せる命令権を貴方も、こちらの公子様も有していません。よって、ここをお通しするわけには参りません」
バンナード公子はそれに同意した。
「その通りです。僕にはこちらの所領及び城内において何の権限もない。しかし、王子命令でもなければ、見たこともない下級貴族の娘を救済する理由は僕にはありません」
「それはわたくしどもには係わりのない事情です」
バインド家の令嬢は毅然として、柵の鉄扉越しにバンナード公子を見上げた。
「騎士とは常に主の命令に従い、任務遂行あるのみです。些事かどうかは問題ではありません。それはわたくしの判断するところではないですから。
どうしても当該者に面会をご要請されるならば、どうぞ規定の段取りを。相応の証明書簡か、伯爵閣下の許可をお取りつけください」
「そんな面倒なことをどうしていつもいつもおまえに命令されないといけないんだ。退いたらいいだろう。今日は力づくでも退いて貰うよ。タティに会うのを邪魔するって言うなら」
僕はこれまでにも何度もこの離宮には来ていたのだが、その度にいつもタティとの面会を率先して妨害するこの騎士にはちょっと頭に来ていたこともあって、強く言った。
小隊長は応えた。
「その場合はわたくしどもも実力行使せざるを得ません。わたくしは常時四十名の隊員を率いております。伯爵閣下より、この離宮敷地内への侵入者対処として、アレックス様以外の人間の殺害許可が出ております。
アレックス様がもし貴方の魔術師に魔法行使を命じられれば、我々は全滅をしかねませんが、下級貴族の娘一人のために、同胞であり、代々身を挺してアディンセル伯爵家に仕えている善良にして将来有望な赤楓騎士団の若い騎士たちを虐殺した十字架が、あの離宮の中にいる娘本人にも一生涯課せられることになることはお忘れなく」
「可愛い顔して相変わらずむかつく言い方するな。オードはどういう教育しているんだ」
「こういう話になっていると知っていれば、書状のひとつもフレデリック様は御用意くださったことでしょう。もっとも僕ならわざわざ伯爵に逆らってまでと、強く進言したところですが。
いずれにしても、僕としてはこんなつまらない話に何時間もかけるつもりはありません」
バンナード公子が僕を遮って言った。




