第225話 恋しい君のために(3)
「ねえ、シエラ・ウィスラーナを連れて来たのは誰なの。あの落ちぶれた女のこと」
「彼女、最低ね……、何様のつもりなの? あの人を助けないで、ですって。まるでご自分が天下のヒロイン気取りよ。彼女が言っていたあの人って、誰の事だか知りませんけど、その子が可哀想」
「だいたいあの女はフレデリック様の何なの? それで今度はフレデリック様とアディンセル様の、板挟みってわけ? 何故いつも彼女なのよ。落ちぶれた侯爵の妹に、いったい何の価値があるって言うの?」
「彼女に価値なんかないわ。馬鹿言わないでよシャーリー。今では直轄領出身のわたしたちのほうが、プリンセスとして格上だって言うのに」
「彼女がフレデリック様の愛妾にならないのは残念ね。ここにいらしたら、わたしたちでたっぷりいびって、死にたくなるくらいに苛めて差し上げるのに。彼女に仕える従順な召使いのふりをして。シエラ・ウィスラーナのことは、前から鼻についていたのよ」
「同感。大嫌いだわ、あの女。田舎者のくせに、わたしたちのフレデリック様に特別扱いされて。それも王子様にあの態度って、いったい何様!?」
「彼女はすごく自信家で、ご自分が聖女様だとでも思っていらっしゃるのよ」
「うふふ、貴方たちって人が悪いわね。聞こえているんじゃないかしら」
「あら、貴方もよ」
彼女たちが行ってしまった後、シエラは唇を噛んでうつむいた。
ハリエットが腕組みをして、シエラにたたみかける。
「やっぱりね。やっぱり貴方って、みんなの嫌われ者。もっとも薔薇君様に対してあんな図々しい態度では、反感買いそうだって、予想はついていたけど。
タティのこと、いったいどうしてくれるのよ!
タティがもしこのまま死ぬようなことにでもなってご覧なさい、わたし、貴方のこと、絶対一生許さないからっ!」
カイトが気を遣って、二人を執り成した。
「ま、まあまあね。何やらここは、えらい殺伐として……、ま、年の近い女の方が大勢集まれば、多少のグループができてっていうのは普通にあること……、シエラ様も、通りがかりの厭味なんか気にすることはないですよ。誰にだって気が合わない人間ってのは、いるものですし……。
俺なんてもう、しょっちゅう、ほうぼうから叩かれているんですよ。平民がアレックス様の側に仕えるのは生意気だ、やれ発言が、やれ態度がって」
「ありがとうカイトさん。でもいいの。私は平気よ。私は他の人たちと違っているから、誰にも理解なんてされないの。だって、こんなこと、いつものことだもの……」
と、そのとき再び殿下のお部屋の方向から、バンナード公子が飛び出して来た。彼は周辺の廊下を見まわして、やがて僕らをみつけると、マントを揺らして大股でこちらに近づいて来てこう言った。
「今から同行して、その幼なじみの娘を回復させます」
「えっ、しかし……」
シエラが王子殿下に嘆願し、それが通ったというのに、部下である公子がタティの肺病を治すということは、フレデリック王子の意向に反することなのではないか――、という僕の言葉が発せられる前に、バンナード公子はシエラを睨んだ。
「よろしいですねシエラ姫。断っておきますがこれは僕の独断によるものです。
ファン卿が言うには、この話は何と取るにたらない、どうやらアディンセル殿を巡る女の戦いだそうなのですが、貴方のやり方は少々姑息です。恋敵の娘を消極的に処刑しろと、そういうずるいお願いを王子になさったわけでしたからね。僭越にも、苦しい選択をフレデリック様に迫ったのです。貴方はあれ以来ずっとフレデリック様を恨んでいらっしゃるようですが、逆恨みにも、ほどがあるでしょう。
だから殿下とは別の個人的考えとして、僕は悪いがこの際貴方でないほうを支持しようと思いまして。
僕の家系はもともと神に仕える神官家ですから、どうしても、立場が弱いほうに味方をしたくなる性分なんですよ」
「フレデリック様が、そうおっしゃったの?」
「いいえ、これは僕の意思です」
慌ててフレデリック様のお部屋にとって返そうとするシエラの腕を、バンナード公子が掴んだ。
「お待ちなさい。越権行為です」
「離してください。何故邪魔をするの。貴方は本当に嫌な性格だわ。バンナード様が私の邪魔をするのをやめさせてって、フレデリック様にもう一度お願いしなくては」
「なりません。これは警告ですシエラ姫。おとなしく引き下がらなければ、僕はフレデリック王子殿下の御名の許にシエラ・ウィスラーナの生存権を今この場をもって剥奪する。
フレデリック様が貴方に甘いからと言って、誰もがそれと同じ意見だとは思わないことですよ。たかだか侯爵の妹風情が、調子に乗るのも大概になさい」
「本当は、フレデリック様が貴方に命令したのですね? そうなんでしょう」
「だったらどうだと言うのです」
「なんて酷い嘘つきなの……。あの方は女との約束なんて、破っても構わないと思っている不届き者よ。私がアレックス様を好きだと言ったから、タティさんを元気にして、私に仕返ししようとなさっているんだわ。だからフレデリック様は大嫌い。いつも、いつも私の気持ちなんてお構いなし」
「黙りなさい。何が仕返しですか。フレデリック様が貴方のためにどれほど心を砕いてくださっているか、貴方は考えもしないのですか。
本当ならば貴方など、ロベルト・ウィスラーナが死んだ時点で待遇は地に落ちていて当然だったんですよ。二年前のあの時点で、国王陛下はウィスラーナ家のことなど既に眼中になかったのです。貴方が今もそうしていられるのは、ひとえにフレデリック様が貴方の行く末を案じて、貴方を庇ってくださったからですよ。
それを、ここまでして頂いてまだそのような善がりを言うとは、まったく世間知らずはこれだから……、貴方のような愚かな女に仕返しなど、フレデリック様がそんなせせこましい考え方をされる方だと思いますか!」
結局フレデリック様はバンナード公子が独断でやったことにして、タティを助けてくれようとしたわけなのだった。
つまり殿下としては、バンナード公子を使うことでシエラの我侭と僕の嘆願の両方を立てる、そういうふうにしてくれようとしたのだと思う。が、バンナード公子の動き方があからさまだったと言うか、どうも彼にはシエラに気を遣って行動するというつもりがなかったためにいきなりばれてしまった。
この件は全体として見ると、年下のハリエットの挑発に、負けてなるものかとなったシエラが、でも自分では口喧嘩に勝てないから、殿下に自分の味方をしてと、突発的にそういうお願いをしたという、そういうことだったのだろう。
それによるいちばんの被害者は、あわや生命を落としかけたタティだったが、どうやら最悪の事態だけはこれで回避できそうだと、シエラを叱るバンナード公子を見ながら僕は思った。




