第224話 恋しい君のために(2)
「言い訳は結構ですっ! それにシエラ姫っ!」
マデリンは、僕の後ろにささっと逃げ込もうとするシエラを呼びとめた。
「貴方は都合のいいときだけフレデリック様に甘えるの、もういい加減にして!
そういう、まるで殿下の好意を利用するみたいな……、貴方っていっつもそう。フレデリック様に何かして貰うことばかり期待して、彼の気持ちも知らないでっ!」
睨まれたシエラは、下を向いてもじもじする。
「でも、困ったことがあったら、何でも相談していいって、フレデリック様がおっしゃったの……」
「それは当り前だよっ。もうっ、そういうこと、なんで分からないの。貴方って、いちいち鈍すぎっ!」
マデリンはシエラを叱っても埒が明かないと判断したのか、イライラしたようにまた僕を見上げた。
「まったく……、本当はいろいろと言いたいことはあるけど、フレデリック様には名誉というものがあるし、わたしも権威ある方の魔術師だから、ここは冷静に、今はひとつだけ忠告しておくね。
殿下は物事に私情を挿まれるような方じゃない。でも先生はもうその方を連れて帰って、二度とここに連れて来ないでください。貴方が彼女を得たいならそれはそれで構わない、でも今後はそういうお馬鹿さんを連れて来て、フレデリック様に御迷惑をおかけするようなことは、金輪際しないようにして」
「いえ、僕は」
「フレデリック様は、陛下がおさだめあそばされた方を愛されます!
そちらのウィスラーナ家の方など、フレデリック様には最初から相応しくなかったわ。だから彼女は不要だから伯爵家のご次男に払い下げられただけ。決して勘違いしないことよ」
マデリンの口調は怒りに満ちて結構きつかったが、それは当然の話だった。
そして僕たちはシエラごとフレデリック王子のお部屋から、翻弄され打ち捨てられる粗大ごみ同然の対応で廊下に摘まみ出されることになった。バンナード公子が僕とシエラを掴み、ソファ席からカイトたちが控えるずっと向こう、部屋の入り口辺りにまで連行して、その中にシエラを押しやり、僕に至っては力ずくでそこに突き飛ばした。
よろけて背中から倒れそうになる僕をカイトが受けとめ、公子はすかさず射るように命令を発する。
「衛兵! この慮外者どもを今すぐ部屋から叩き出せ!
代筆! 今から僕の言うことを書きとめろ。アディンセル伯に苦情を入れます!」
間を置かずに気鋭の近衛兵たちがなだれ込んで僕らを包囲し、僕は生まれて初めて眼前に矛先を突きつけられた。
「バンナード公子、貴方は少し落ちついて」
「ファン卿、貴方こそ猛省をされるべきでしょう。貴方はあんな人間が本当に役に立つとお思いですか? だいたいギルバート・アディンセルと言えば、ウィシャート公爵の子飼いだった上に、公に劣らぬ好色ですよ。王宮の貴公子などと片腹痛い、要は無節操に遊び歩いている評判の色男だ。となればその弟も同様、どうせろくなものではないと、僕が杞憂した通りだった!」
「公子、貴方が彼を気に食わないのはよく分かりました。しかし、とにかく私の話を聞いてください」
かくして僕らは両脇を拘束されて部屋の外に引きずられ、口論するバンナード公子とファン・サウスオール卿の声が徐々に遠ざかり、背中の向こうで重い扉が閉ざされる音がした。
それは希望の扉がまたしても閉ざされたかのようだった。青い芝生の庭が急速に枯れて行く様を、目の当たりにしたかのようだった。物事はもっと慎重にするべきだった。廊下に放り出された僕は途方に暮れ、全身の血の気が引いて、これから先のことを考えると、ちょっと立っていられないくらいだった。殿下は僕を責めなかったが、側近たちの態度を見れば、確実に心証が悪くなったことくらいは想像できる。
これはつまり、こういうことだ。もし仮にタティがオニールを愛してるのとか、そういう馬鹿を言ったとしたら? 僕は間違いなくオニールをぶっ飛ばすだろう!
そして今後二度とオニールの顔を見ないで済むために、彼の人生が落伍するために打てる手は全部打つ。全力でむかつくオニールのことを潰す。そしてタティのことは罰として部屋に閉じ込める。
「ああー…」
僕は放り出された絢爛な廊下をふらふらと少し歩き、それから頭を抱えてしゃがみ込んだ。大失態。これは僕の人生史上最低最悪の大失態だった。シエラにはなんてことをしてくれたんだと、さすがに怒りたい気持ちもしたが、今はとにかく脱力して力が入らない。これでタティは助からない。アディンセル家も傾くだろう。だって殿下は僕と兄さんにも御立腹だ。
「まずったね。王子はシエラたんにマジ惚れっぽかった」
オニールがしゃがんでいる僕の頭上で言った。
「それに部屋にいる連中を見たかよ。美人に対する嫉妬もだろうけど、シエラたんが部屋に突入した途端、若い侍女の八割方が殺気立って、空気がえらいことになってた。
ここはそのうちお妃様とかが入ったら、もう血を見るかも分からんな。まあその前に僕らが血だらけになるかも分からんが」
「そう思うなら、もうちょっと深刻になったらどうなんです。おまえはときどき言動が軽すぎる。礼儀にも欠いているし」
「カイト君こそその悲観主義を人に押しつけんな。育ちが不幸な奴はこれだから嫌だぜ。閣下の懸念はそこじゃないかな。アレックス様がおまえに影響されすぎるとヤバいって思ったっぽいぞ」
「慎重派と言ってくださいよ」
シエラも僕らと一緒に衛兵によって放り出されたので、彼女も僕らとひとかたまりになって一緒にいたのだが、すぐ横でさっそくハリエットに罵倒されていた。しかしそのときの僕はそれを止めようという気持ちには、なれなかった。
また殿下の部屋から出て来た数人の若い侍女たちが、クスクス笑いながら話しているのが、こんなときに限って聞こえたりする。オニールの指摘通りと言っていいのか、彼女たちは悪意をもって、シエラがそこにいるのを、分かっていて聞こえるように言っているのだ。




