第222話 招かざる者(3)
「あいつジェシカ女史の弟って言っても、妾腹だそうじゃん。幾ら正妻の子供で年上って言ってもさ、ジェシカ女史は女なのに、未だに女より評価されないなんて、悲惨だよな。あれやっぱ妾腹ってことが三十近くなっても響いてるんだろうな。
過酷なことを言うようだが、実際フィーロービッシャー子爵は、妾の子は家系を繋ぐための種馬としか思ってないんだろう。実質はこれからもジェシカ女史で……、なまじ彼女が有能だから、奴は要らない子なんだろうな。
ヴァレリアがあんなで、よかったなカイト君は。そのおかげでヴァレリアの父上は、しょうがないからおまえを使わないといけないから」
「うちだって男爵様の後継ぎは実質お嬢様ですよ。俺は名前だけの入り婿」
「ああやだやだ、つまりここにはまともな貴族は僕だけで、あとは女子供と素性のおかしな奴ばっかってことか。お坊ちゃま君付きは言わばお遊びの二軍だ、仕方ないけど」
「なんて失礼な奴だよ」
僕はむかっとして言った。僕を苛めたことをまるで反省していないどころか、あれは単なる冗談だったと言わんばかりのオニールの態度に、僕は腹を据えかねていた。
僕は真剣にずっと苦しんでいたのに、こいつらのせいで人づきあいが何もかも嫌になったと言っても過言じゃないくらいなのに、他方苛めた奴らは楽しく青春を謳歌し、年齢相応に身につけるものは身につけて、しかも頭に来るのが、女を紹介してやるなんて台詞を吐けるほど女の知り合いもたくさんいる人生だなんて!
こんな馬鹿がなんで僕より幸せそうなのか、へらへらして、昔のことだから忘れろなんて、あまりに理不尽すぎる。
「どうせ領地の継承も怪しい三男の分際で偉そうに……。将来的にカイトもクライドも爵位を持てるけど、おまえだけはそうじゃないくせにね。おまえは何処まで行っても三流だ」
「おっ、なんだ、それを言うのかお坊ちゃま君は。嫌な奴だな。僕は傷ついたぜ」
「勝手に傷つけよ。もう昔のようにはいかないからな。僕を苛めた奴らには、絶対復讐してやるんだ」
「復讐ならもう達成されてんじゃん。おまえ、八人のうち三人はあのとき何もかも閣下に没収食らって、平民になっちゃったよ」
「えっ?」
「そいつらの親父が余計な反論をして手討ちになったから、家も財産も貴族籍も接収されちゃってさ。親父はぶっ殺されてるから、稼ぎ手もいなくて、そいつらの人生なんて悲惨なもんだぜ。あと別の一人は、別件で十代のうちに死んでるし。お坊ちゃま君は自分が権力持ってるって自覚しとけよ、おまえのチクリひとつで何人の人生が狂ったと思ってんの」
「で、でももともとはおまえらが悪い。人を苦しめた因果応報だ、僕が傷つくことじゃない」
「まあな」
意外にもオニールは同意した。
「八人のうち、十年後には半分脱落、まあよくあることだよ。ここはそういう世界だからな。奴らは運が悪かった。普通に考えて伯爵家の奴をどつきまわすなんて、僕らもちょっと非常識だったしな。因果応報かと言えば、まあそうなるんだろう。ってことでもういいじゃん。僕は運がいいからここに返り咲いたけどな」
「おまえも落ちぶれろ」
「そんなに嫌うなよ。きっと縁があるんだって」
「嫌だよ」
「タティがね、タティがさ、さっきタティが、タティタティ、大好きだよおー」
オニールが、何の脈絡もなく嘲って口をとがらせたかと思うと、無礼を言って僕を怒らせた。
「何だよそれっ!」
「ここ最近のお坊ちゃま君の口癖。朝からまあ、タティがタティがタティが。うぜーうぜー、タティはおまえのママかっ! でもこれ結構似てるだろ?」
オニールは笑って自分を指差し、カイトに同意を求めた。
「形態模写には自信があるんだぜ。ちなみに得意なのはガーゴイル像」
「う、うーん、何とやら」
「クズめ!」
僕は憤慨して言った。
「おいおい、今なんて言った? 僕ちんは存在がアメージングじゃないか?」
「アメーバの間違いだろう!」
「あっ、今の二人のやり取りちょっと笑っちまいました。ナイス」
どう考えてもおべっか丸出しの調子で、カイトが指を鳴らしてはしゃいだ。
「全然面白くない」
僕はむっとした。
「すみません」
「てかカイト君は、そのヴァレリアがいないと露骨に生き生きしてるのはなんでなんだ。僕はカイト君が笑ったり、冗談言ってるの初めて見たときはひっくり返りそうになったぜ」
「カイトはもともとこういう性格だよ。無駄に明るい。変なポーズ取ったりしてさ。それによく無意味なことしゃべってるし」
「いや、無意味ではないでしょうに……」
「いやいや、性格根暗だろ? 言うこと理屈っぽいし、ふざけてもはずしてること多いし。ヴァレリアん家では、いっつも死んだような顔してやがったし。昔から、あんまり無駄口きいてるとこも見たことなかったよ」
「じゃあ、今は無理して明るくしてるのか?」
僕は心配になって聞いた。
「そういうわけではないですよ」
「根は暗いはずだ。そうだろ?」
「そういうわけでもない。何でしょうねえ、じゃあ閣下に拾って頂いて、性格が変わったのかな」
オニールは頷いた。
「確かに、閣下のおかげってのはあるのかもな。僕の考えでは、あの方はあれで案外、救済機関として機能する人っぽいんだよ。
本人は意図してやってるのかどうかは不明だが、政策だとか事業だとか、それ割と社会的弱者への恩恵として作用してるだろ。占星術師じゃないが、陰謀やアンダーグラウンドを探求する者としては、運命ってやつを否定するわけにはいかない……、本人が望むと望まざるとに係わらず、そういう星まわりの奴ってのはいるからな。
今のところ、足枷にしかなんない駄目な弟を背負っちゃってんのもそのひとつなんじゃねー?」
「な、なるほど」
「もっとも本人は嬉々としてお坊ちゃま君を構ってるから、いいんだろうけどさ」
「まあ、確かに」
カイトが何故か思い当たるような顔をした。
オニールは続けた。
「だってもう目が違うじゃん。お坊ちゃま君を見るときの目が。可愛くて仕方ないみたいな、赤ん坊に話しかけるようなさ、もうあちゃーって感じ。
閣下は親がいないってことでご自分が親代わりになろうとされたんだろうけどさ、弟をまるで姫君を育てるような育て方したんだよね、要するに。
だからそのせいでお坊ちゃま君は何かこう、頼りないって言うか、覇気がないって言うか。それに僕が見たところ、カイト君にも精神的に依存している感があるし……」
カイトはそこは否定すべきなのに、何故かどうとも言わずに、オニールから視線をそらして顔を撫でた。
「あまつさえカイト君は依存されるのが嫌いじゃないときてる。
おまえヴァレリアには素っ気ないくせに、お坊ちゃま君に頼られて居心地よくなっちゃってんじゃねーぞ。それだとヴァレリアが立つ瀬ないだろう、他の女ならいざ知らず、アレックス様に負けるとかどんだけ嫌われてるんだよ。それともおまえはゲイなのか?」
「何です!?」
「おまえについては未亡人に身体を売ってるとか、変な噂を聞いたことはあるけどさ。本当は男に身体売ってたんじゃないの?
だっておかしいよ、ずっとヴァレリアのこと無視してる。おまえに冷たくされて、ヴァレリアだってあれですごく傷ついてるんだよ。確かにヴァレリアはおまえを苛めたかもしれないし、僕としたらそれはちょっとやりすぎだって、そう思うことはあったよ。
でも婚約までしたのに、まだ一度もデートもなければ、好きだとかいう言葉だって、言ってやっていないんだって?」
「……」
「おまえからの婚約指輪、すんごい喜んでるよ。彼女はそんなこと言わないけど、僕には見てたら分かる。
なのに、ヴァレリアよりアレックス様にあれこれ世話焼いてちやほやしてんのは、まるでホモみたいだって言ってんの。傍から見ると。自覚ないのか?
あーあ、ホモなんて都市伝説だとばかり思っていたのによ、身近にいるとかあり得ねー。男に興奮されるとか恐すぎるわ。一応言っておくけど、僕のことはターゲットにしないでくれな」
「冗談じゃないですよ……」
「だいたいおまえしっかりしろみたいなことは、アレックス様に言わないわけ? 女みたいに甘えんなって」
なんでこうも会う人間会う人間が、僕を甘えていると評価するんだろうかと、最近の僕はこのことにもイライラしていた。
確かに少し前までの僕は多少そうだったかもしれないが、今はそうじゃないというのに、騎士として、逃げまくっていた剣の稽古すらやっているのに、前までの評価が僕という人間に対する先入観なり、固定観念なりになってしまっているのが実に面白くない。
カイトは言った。
「アレックス様は甘えているわけではないですよ。別に……。これは只の性格の問題でしょう。単純に、俺が俺がってことはされないから、誤解して取られてしまうと言うか。
それに同性のご兄弟ですから、どうしても何事においても閣下と比較されてしまいますからね、それで不必要に頼りないと取られてしまう」
「いいや。だとしても、ここには奇妙な依存関係が成立しているように僕には思えるね。
話を聞く限りでは、閣下はカイト君を信用しているみたいだけど、カイト君だって人間だからな。浅ましい平民ってことを除外して考えたって、いつ何を思いつくかは分からない。こういううんこたれのお坊ちゃまを操ることは、口達者でさかしいおまえには簡単のはず」
「そんなことしたら俺が閣下に消されるっての」
「だからリスクを考える意味でも、そろそろ僕のことも信用して貰わないと。今後は戦略的発展的関係が必要なんだ」




