第215話 優等生スタープリンス(1)
「よく来た」
フレデリック王子殿下は僕らの訪問を、快活な笑顔で迎えた。
金糸の刺繍の入った青い衣装に青いマント。洗練された王族の立ち振る舞い。彼はわざわざ腰かけていたソファを立ち、殿下御自ら僕らのほうに歩み寄ってくださった。
しかし僕はその不意打ちの親しげな歓待に対し、何とも対応を取ることができずに、ただただ息を飲む。
それと言うのもとにかく殿下は顔立ちが秀麗すぎて、相対する度に唖然としてしまうからだ。金色巻き毛が頬にかかり、睫毛が長く、色が白い。その美貌はまるで神がその御手で細工した精巧な人形のように完璧だ。誰もが心を奪われずにはいられない、絶世の、麗しの、薔薇のような……王子様なのだ。残念なことだが、こうして近くに寄るとよく分かる。彼の男らしい雰囲気、もっと言えば男特有のあの側に近寄られるだけでイライラする雰囲気が。
殿下のこのまぎらわしい見た目のおかげで、僕は毎回引っかかりかけているのだが、毎回見惚れた直後にこの詐欺のような違和感に気がつき、猛烈にがっかり感が襲って来てしょうがなかった。このキラキラ王子に責任はないのだが、僕は今度も心の中でげんなりした。
ともあれ僕は華麗なるフレデリック王子殿下に、恭しく最上級の礼をした。
それから王子殿下に対する御挨拶の口上を述べ、一同を代表する形で一人殿下の御側に近づき、跪いて、その御手を取る。崇拝と服従の接吻をするためだ。
直系王族の御身体に触れるなんて、そうそう許されることではないので、僕は些細な失敗もないよう、厳重に所作を正しくする。緊張のあまりに手と膝が震えている気がした。
何せ男爵令嬢の婚外子という殿下の生まれのことで、諸侯、取り分けトバイア陣営の人々の間では、一時期散々下賤腹なんて叩かれていたものだったのだ。僕としても実際のところ、ある時点までは州領主よりも身分の低い女が母親の王子なんて、いまいち得心がいかないという気持ちが無きにしも非ずだった。
しかし結局フレデリック王子は王統に属する者として陛下が公認され、トバイアこそが陛下に疎まれて舞台から排除された今、こうなると、世継ぎの王子様に対して、そんな考えを持っていたこと自体が恐れ多くてたまらない。
「待っていたよ、先生」
しかしそんな僕の頭の中など知る由もなかったのだろう。
キスを済ませ、僕が立ち上がると同時に、殿下は随分親しげな調子で仰せになった。
「せ、先生でございますか」
「そう呼ばれるのは嫌か?」
「い、いえ、とんでもございません。すべては輝けるフレデリック王子殿下の御心のままに……。
あの、殿下におかれましては御機嫌麗しく……、不肖ながら、殿下のお役に立てればいいのですが……」
しかし僕がしどろもどろになると、フレデリック様は真顔になってきっぱり言った。
「無論だ。当然お役には立って貰うよ。そのつもりで仕官するわけだろう。こちらとしても、そのためにおまえを採用した。能力は如何なく発揮してくれ。期待している」
おおよそ想定通りのことだが、フレデリック様はその甘い容姿に反して、まったく内気な様子がない。眼差しは強く、眉目凛々しく、いかにも物怖じのない完全無欠の優等生な感じがしていて、僕はその意味でも完全に対応に戸惑うことになった。
出来のいい年下の奴なんて、考えてみたら厄介なものだ。冷静になってみると不出来な町の不良や、年下の女以上にどうしていいか分からない。
だから僕はただフレデリック様の御顔をみつめていた。何か僕からお話を切り出すべきだろうか、それとも殿下が何か仰せになられるのを従順に待つべきか。
彼が微笑んでいないとき、その白い横顔は確かに神による芸術品のようであり、僕はちょうどあのことを思い出していた。王城の廊下に確かに居並ぶ、あの有翼乙女たちの像のことだ。彼女らは人の形をしていながら人ではない。そして石像には、生命も宿らない。
と、そのエメラルドの双眸が、いきなり僕のほうに動いた。
「美しい、グリーンアイズは、セリウス王の祝福と申しますね……」
僕は絞り出すように言い、殿下は頷いた。
「緑色は真なる太陽の色、と言われているな。ある学説によると、太陽の光は緑色なのだとか。かの聖イシュタルはセリウスの翡翠の眼差しを深く愛したそうだ。
実際……、この眼は少し特別でね。太陽を正視できる。万物を見通す神の眼、とはいかないかもしれないが」
「左様でございますか。見えないものが視えるというようなこともおありですか」
「いや、神秘的な視力に関してはそうでもない。そうだな、せいぜい真っ昼間に飛ばしてしまった凧を探すのには便利というくらいだ。太陽の光が視界を遮らないから。便利だよ」
すると何処からか咳払いが聞こえた。見ると、ずっと向こうの柱のところにいるバンナードという青年が、こちらを厳しく睨んでいる。
フレデリック様は笑って軽く両手を上げた。
「あの、彼は何かお気に召さないことでも。以前も彼には何か、失礼をしてしまったのかと思っていたのです」
「気にしなくていい。バンナードは、いつも大抵のことが気に入らない。
最初は誰でもそうなのだが、おまえもそう緊張をされては困るな。これは飽くまでも私的な会談だ、リラックスしてくれ。
まずはここにいる私の部下を紹介しよう。彼は私の諮問官ファン・サウスオール卿、現行私のブレーンというやつだ。ファンはかつて姉上の……、姉上の乳兄弟だった。この知的な風貌からしてお分かりのように、彼は学者であり優れた魔術師でもある。それから医師のナタリー・ライズ。ナタリーは直轄領の子爵令嬢だが、同じく頭脳明晰な彼女は姉上の侍女から医師へと華麗な転身を遂げた」
殿下が仰せになると、紹介された両名は、僕に正式の堅い挨拶をした。女の医師というだけでもめずらしいことなのだが、高齢の陛下の御側にならばともかく、何故十七歳の若い王子の側に日中から医者がついているのか僕は疑問を感じた。が、それについて考えている間もなく殿下の紹介は続いた。僕は慌ててそれに従う。僕はフレデリック王子の一言一句を逃してはならない立場だった。
「そして私の魔術師のマデリン・スペルマン」
次にフレデリック殿下は傍らにいる若い女性を指示した。見るからに活発な性格が想像できる、明るい雰囲気の女性だ。彼女は動作が元気で軽やかで、ちょっときゃぴきゃぴしている感じだ。
見たところ、フレデリック様と同じ年くらいだと思うので、普通に考えれば彼の乳姉妹だと思うところなのだが、スペルマンという名前が気にかかる。
「スペルマンと言うと、かのカタリーナ師の血縁か何かでいらっしゃるのでしょうか」
「娘だよ。マデリンはカタリーナの娘」
フレデリック様に紹介され、マデリンと呼ばれた女性は短いスカートの端を持って僕に挨拶をした。あまり見るわけにはいかないのだが、彼女はスカートの丈がかなり短い。王子付きの魔術師が、いいのだろうかと思うほどだ。
また彼女はつややかな茶色の髪を、随分細工が派手な髪留めで片側に結っていた。それに服装も化粧も洗練された都会仕様のもので、この女性もルイーズ同様、かなりこだわりのお洒落があるような感じだった。
「フレデリック様、わたしも発言をしてもよろしいですか?」
と、マデリン魔術師が殿下に伺いを立てた。話し方は案の定明るく楽しげで、わくわくしているような声だった。
「構わないよマデリン」
殿下は華麗な動作で許可をする。
「アディンセル先生は魔力をお持ちですね」
すかさず、マデリンは僕を見て言った。
「それも割かし強い魔力。でも幼少時に精霊と契約をなさらなかったのですね」
「ええ」
「それはもったいなかったわ。貴方は努力次第で、一流になれたかもしれないのに。でも貴方は神聖魔法に適性がおありよ。そうでしょう?」
マデリンは親しげな笑顔で僕に返答を求めたが、魔法使いになる訓練なんてしていない僕には、その辺はよく分からないので曖昧に首を振った。
「遠慮深い方。ハンサムだし。嫌いじゃないわ」
マデリンは微笑んだ。
そして僕に向かいながら、横にいるフレデリック様に視線だけを向けた。
「彼はきっと、貴方のお役に立ってくれるでしょう……。ねえ殿下」
フレデリック様は同意した。
「そうだろうね。そのために呼んだ以上は」
マデリンは左手を頬に添え、また僕を見上げた。
「ところでアディンセル先生は独身ですか?」
「えっ? ええ……」
「よかった! それって何より。だってイケメンさんが既婚者ってことくらい、気分が悪いこともないものね」
「あちらの紳士は?」
「彼も独身よ。まだ一度も結婚されたことはないらしいわ。まあね、幼い頃からフェリア様ほどお美しい方を間近で見てお育ちになったんだから、他の女なんて目に入らないのかも。その意味ではファン様は、哀しい犠牲者ね」
「なるほど」




