第214話 夢の陰謀
数ある亡き王女の肖像画群を見上げながら、オニールがまた何やら訳知り顔で馬鹿らしいことを語ることもあった。頭のおかしいことに、僕が虎視眈々と懲戒処分にしてやろうと狙っていることも知らず、この男はどうも自分がこの中でも重要人物であると思い込んでいるようだった。
「もったいない。こんな絶世の美少女が早死にとはね」
オニールは言った。
「でもフェリア王女が御病弱って言うけどさ。実は王弟であるハロルド・ウィシャート公も、結構な夭折だったんだよな。ティーンエイジャーの王女の悲劇に隠れているけど、前公も確か三十歳前に逝っちゃってるんだよ。そんなだからトバイア公は若いうちから実権持つようになっちゃって、好き勝手やってたんだろ? 押さえつける父親がいないもんだから。
誰もがなかなかはっきり言わないんだけど、僕が思うに、王家直系には短命が出やすいんだよ。過去の近親相姦の影響か何かで。
王家の家系図を辿るとさ、七十過ぎまで御健在のハーキュリーズ五世陛下がどっちかと言うと例外的で、八割方は早死にしてるんだよね。
まあ一世紀、二世紀前の王家の方々の人生がどうだったかなんて、興味がない奴が大半なんだけど。僕は勉強家だからな」
「つまり、王家は病弱短命の家系ってことか?」
「簡単に言うとな」
カイトの質問に、オニールはまるで学者先生みたいな偉そうな顔をした。
カイトはあんな奴の話になんかつきあってやることはないのに、また気をまわして僕とオニールの調停役をやろうとしているのが鬱陶しいことだった。だが僕はオニールとはどうしたってうまが合わない。彼は所謂僕みたいな誠実にやってる人間を、嘲笑ったり、傷つける側の人間だとひと目で分かるような奴だからだ。軽そうな見た目もそうだし、子供の頃の素行がすべてを物語っている。
お茶が出されたのをいいことに、そこのテーブルについて遠慮なく持参のお菓子をかじっているハリエットのほうが、まだましな態度というものだ。
「隠しているけどまずそうだろうと僕は睨んでる。極端な近親婚をやめた後も、重篤な遺伝疾患が、残っちゃったんじゃないかね。
昨年末の夜会のときにも思ったんだけどさ、フレデリック王子が美形だってところに大多数の注目が集まっていたけど、僕はどうも彼が青白くて細いのが気になってね、どう見てもヤバい雰囲気しないか。
ここだけの話、王女の侍女に生ませたっていうのも、怪しいと思ってさ。本当は、老王が王女自身に手を出した結果なんじゃないかと睨んでるわけ。体裁上侍女が生んだとするしかなかったような、こう、陰鬱で独特の陰謀の臭いがするんだよな。
根拠なら勿論あるよ。陛下のフェリア王女への溺愛っぷりは未だに語り草だし、何よりフェリア王女とフレデリック王子は、実に十七歳、年が離れている」
「十七歳……」
「そっ。十七歳差の姉弟だ。十分親子に成り得る年齢差だよ。おまけにご丁寧にも王女様は死ぬ前の三年寝込んでるって、それもう怪しいなんてもんじゃない。病気とか言ってるけど、どうせ最初は病気じゃなくて妊娠だったんだろ。出産して知らん顔で表舞台に戻るつもりが、もともと身体が弱くはあったから、分娩に失敗して身体壊してそのまま起き上がれなくなったんだ」
「ふむ」
「そうすると王子殿下が、フェリア王女より美しいなんて言われちゃってる理由も説明がつくしね。たかだか侍女に産ませたはずの王子が、常識的に考えて、血統のいい代々の王子や王女たちの中でも優れて美人だと言われていたフェリア王女よりもっと美貌なんてことが起こりうるか?
しかも陛下は待望の男子を上げたその侍女とやらを取り立てたわけでもない。世継ぎの王子を生むなんてとんでもない手柄を上げたはずの女の存在が、どうしたことかまったく何処にも見えないんだ。本人は勿論、この十七年間というもの、女の一族が利権目当てにでしゃばって来たとか、援軍を得るためにどさまわりしてるって話も一切ない。
単なるやり捨ての結果なはずの王子を、長年可愛がっていた弟の忘れ形見を潰してまで優先したことも。フェリア王女が、幾ら身体が弱いと言っても十代で伏せってそのまま死んでしまったなんてこともさ、王家づきの魔術師や、医学の権威どもはいったい何をしていたんだよって話。
どう考えても単なる病弱じゃない、父親との姦淫、更には禁忌の子供の出産のショックで心身ともに壊したんじゃないかと、そう仮定するといろんなことにいちいち説明がつくんだよ。
まだあるぞ。例えばトバイア公の件だ。トバイア公が王女に懸想していたのは有名な話だが、彼だってあるとき突然別の女と結婚した。確かに彼はプレイボーイだったようだが、若年の王女に粘着して、何年も尻を追いかけまわしていたわけだし、それが仮にフェリア王女を妃とすれば、ハーキュリーズ王の治世の継承の表明となり、自分が国王となった後の批判的勢力をかわせるって政治的青写真に基づいていた事だとするならなおさら彼が王女から手を引く選択肢なんかはないわけだ。なのに、いきなりそれだよ。
巷に流れる王女の身体が弱いから結婚はやめたなんていう説は、所詮馬鹿げた子供騙しさ。
重要だったのは、フェリア王女には高い国民人気があり、ローズウッド王朝の英雄王の娘という栄光、トロフィーの役割があったってことだ。言うまでもないが彼女は聖女イメージが強い。だから、遊び人の傍系ウィシャート公にいまいち欠けていた正統さ、誠実さを補うのにこの上ない配偶者だった。
なのに、それをいきなり投げ出すなんて、甚だ不自然だと思わないか。身体の弱い王女を妻にしたとなればある種の美談にすらなるのに、絶対おかしい。鼻先にぶらさがった美貌の王女とそれに付随する権益を何故諦める必要が?
そこには不承不承そうせざるを得ない、何か強力な、あの傍若無人と名高いトバイア公を王女から引き下がらせるような何かとんでもない理由が存在したに違いない。
つまりだカイト君、それこそが先刻話した王女の妊娠だったんだよ――!」
オニールは大衆劇の名探偵か何かみたいに、得意になって声を強めた。
「つまり僕はこう考えたんだ。陛下はトバイア公が王女に懸想しているのを知り、それを機にトバイア公のことを可愛い甥ではなく、恋敵として見るようになってしまった。娘の心を奪った男への嫉妬の炎は燃え上がり、嫉妬の狂気は王の中に燻っていた美しい王女への自制心の箍をはずした。彼は娘の寝室へ行き、密かな恋をはぐくんでいた想いあう二人の仲を永久に裂いた――。
その結果生まれたフレデリック王子とは、あれはまさに、どうしても世継ぎが欲しかった、それも特別な選ばれた王子欲しさの老王の暴挙の結果だ。
晩節になって、ますます神族に連なるローズウッド王家を特別視し、その選民性に固執するあまり、彼は王子の母親になるべきは傍系の娘程度では相応しくなく、直系王女でなければ駄目だと考えるようになったんだ。かつて圧倒的な才知と美とを欲しいままにしていた王族が君臨する時代を、懐古する価値観が陛下にもあったんだよ。
そしてその価値観に突き動かされた挙句の、危険な配合ですってね。これぞ、懐古主義的超絶インブリード王子の誕生秘話だ。親子で交配とか、どんなアウトローだ。キティレベル」
しかし自画自賛して盛り上がるオニールと対照的に、カイトは首を傾げた。
「オニール……、何つうか、その話は確かなのか? 確証は? 幾ら何でも父親が娘に手を出すっつうのは……。幾ら国王陛下がフェリア王女を溺愛していたっても、それはさすがに違和感がありますよ」
「何だって?」
「それだったら日頃の素行からしても、普通に考えて、トバイア公が王女様に手を出しちまったってのが妥当なのではないですか。それで公爵様の結婚後になって、王女様の妊娠発覚とか。
そもそも公爵様が王女様を狙ってたってのは事実なんでしょう。だったら、そっちのほうがだいぶ現実的ですよ。王子様とオーウェル公子様が同い年っていうのが、公爵様のたらしっぷりと、当時の混乱を如実に物語っている気がしませんか。
王女様が御倒れになったことだって、好きな男が他の女と結婚しちまって、もう生きる気力がなくなってしまったとか」
「待て待て、カイト君、カイト君。なに可愛げのないこと言ってんだ、小悧巧な平民が、一丁前に推理すんなよ。素人はこれだから嫌なんだ。そんなくだらねーことが真実なわけないじゃん。
その辺のことは勿論僕だって考えたさ。でもトバイア公こそが実は王子の父親とか、そんなのちょっと深夜の社交界に繰り出せばな、普通に流れまくってる、誰でも思いつくような浅いことなんだよ。おまえらみたいな素人が、飲み屋で国士気取りで国家を語ってる場合があるだろ、あれと一緒。事情通ぶりたい奴らがまず思いつくようなこと。だいたい公爵は王女激ラブだったんだから、一回くらいお願いしたかもってそんな単純な図式は誰でも思いつくようなことさ」
「下品だぞ」
オニールの場所を考えない言葉の使い方に、品位ある僕は注意を発した。
「でもな、真実とはそう生易しくはない。僕は一応プロなんだぜ。そして僕の考えは考察に考察が重ねられた深いものだ。王子の容姿も微妙に不健康そうな感じも、あれは言うなれば禁忌の血量。超近親交配による因果の顕在。
とにかく、フレデリック王子はフェリア王女が生んだ、老王陛下の子供だよ。単純計算で四分の三、自分の血を引く王子だぜ。そりゃあ王位を継がせるために、甥もぶっ殺すさ。間違いない」
そしてオニールは場所を考えないでくだらない妄想を延々偉そうに語り、やがて先刻の侍従に思いっきり睨まれたのだった。
それから時間ぴったりに女官が迎えに来て、僕らは四人とも殿下の私室に通された。僕は、最初から僕一人きりで殿下とお会いすることになるんだったらどうしようと思っていたので、カイトたちが一緒に部屋まで通して貰えると分かって、内心いちばん安堵していたかもしれない。
幾つかのアーチや薔薇の紋章をくぐり抜けた先に辿り着いた殿下の私室はとても広く、白と青い色調で統一された部屋だった。壁にはサンセリウス国旗、王家の薔薇の紋章、白薔薇騎士団の紋章、剣と盾、戦乱の英雄を描き出したタペストリー等、世継ぎの王子たるに相応しい勇猛果敢を表す品々がかけられ、また調度品から椅子にソファ、天上のシャンデリアに至るまで、何もかもが豪奢だった。それに部屋の中には使用人にしておくのが惜しいような、上品で見た目のいい女官や召使いたちがうじゃうじゃいる。故郷では使用人に傅かれている立場の名家の娘たちが選抜され、作法と箔をつけに集まっているのだろう。
そして居間の中央、大人数が腰かけられそうな大きなソファのところに、フレデリック王子がいらっしゃる。周囲に光の靄がかかったかのような不可思議な印象、ちょっと同じ人間とは思えないくらい圧倒的な美を誇る薔薇の王子が。
殿下の周りには、三十代の身なりのいい紳士がいて、何事か話している。その側には淑やかそうな黒髪の女性、それに十七、八歳と思われる女性がいる。
少し離れた柱のところには、バンナードと呼ばれていた騎士の姿もあった。




