第213話 薔薇色の人生(3)
「見てください、この絵」
カイトが暖炉のすぐ上にかけられている肖像画を指差して、僕に声をかけた。
それは一対の男女が寄り添うようにしている、つまり女性が椅子に腰かけ男性が横に立っているという、よくある構図の絵画だった。しかし描かれている人物に僕は思わず注視する。それは青色のドレスを御召しの麗しのフェリア王女と、そしてその隣で貴公子然としているのが、若い頃のトバイアだったのだ。
僕がルイーズの記憶の中で見た、まだ口髭をはやしていない頃の奴の姿が、そのまま切り取ったようにしてそこにあった。
自らの地位と美貌に驕り、根性は腐り切っていたが、不本意ながらあの男の若い頃の姿は、確かに文句のつけようのない美青年だ。そしてその絵の中の金髪貴公子は、椅子に腰かけた王女様に寄り添い優雅にその御手を取っている。あどけない王女様はきっとトバイアの本性など知りもしなかったのだろう、椅子に腰かけ、優しく微笑んでいらっしゃる。癖のない美しい金髪、瞳の色はやや緑の強いはしばみ色、そして頬は薔薇色だった。少し物憂げで、清楚な雰囲気の美少女だ。
この一対はどちらもとても美しく、華やかで、一見すると睦まじい恋人同士のようにも、夫婦のようにも思えた。
「こんな絵が残っているということは、やはり当初には、王女殿下と公爵様が、結婚される御予定があったんでしょうか?」
カイトが言った。
「さあね。只の従兄妹同士ってつもりの絵かも」
「でも、やっぱりちょっと噂が立っていただけあって、お似合いだったんですねえ。王女様がお美しいのは勿論ですけど、ウィシャート公爵様は、これまたいい男で……。
俺はこの公爵様ってのは、とにかくお髭のダンディってイメージが強かったんですが、お若い頃って、それこそまるで白馬の王子みたいじゃないですか。
考えてみれば誰しも若い頃があるって、当り前なんですけど。俺もこんな顔が欲しかった。そうすりゃ……、はあ」
「こんな顔してたら、何たくらんでるんだ?」
僕は横目でカイトを見た。
「いやね」
「君の脳内ハーレムを実現? そうなら、僕はそういう考えは最低だと思うな。イケメンだからってすべての女に愛されるなんてことはないんだからさ」
「んん、何やら不機嫌?」
「そうじゃないけど。とにかくね、こいつはクズだよ」
僕は、とにかくアレクシスに乱暴していたトバイアの鬼畜っぷりを到底許せる気持ちにはなれなかったので、悪態をついた。
「クズって、アレックス様、この白馬のイケメン公爵様のことで?」
何も知らないカイトは、驚いたように僕を見た。
でも僕はそれを訂正しようとは思わなかった。
「そう。何か問題でもあるかい。これからは輝けるフレデリック王子殿下の時代なんだ。だから雑魚の傍系公爵に敬意なんか払う気にはなれないね。
奴はオーウェル公子による暴力の被害者として、幾らかの同情をともなって表舞台から退場することができたことを、陛下に感謝するべきだよ。本当なら、とてもそんな待遇を受けられるような男じゃないんだ」
「ふむ」
カイトは頷いた。
「意外とドライなんですな。何だかんだ言ってアレックス様には結構、お声をかけてくださったり、親切にしてくださった公爵様なのに。
いや、状況に応じて頭の切り替えがおできになるというのは、人を従える者として大変いいことです。でね、思ったんですけど」
「うん」
「似ていると思いませんか」
カイトは再び絵画を示した。
「この王女様、やたらとマリーシアに。マリーシアが王女殿下に似ていると言ったほうが正しいかもしれませんけど。
この部屋に飾られているどの絵もそうですけど、画家のタッチの問題じゃなくて、ちょっとびっくりするくらい似ているんですね」
「そうだね……」
僕は素直にそれを認めた。
「なんでなんだろう。僕も今、ちょっとだけそれを考えてた。いや、ほんのちょっとだけで、マリーシアが今どうしているか、心配しているほどじゃないんだけど。何か、因縁でもあるんだろうか」
「そうですね、現実的に言って思いつくところでは、実は二人の間には、血縁関係があるとかですかね。たとえばマリーシアは、ウィシャート公が愛人に産ませた隠し子とかだったりして。
それなら王女様からするとマリーシアは従兄の子供。第五親等、つまり二人が似ていても別段おかしいことはない……なんてねっ」
そしてカイトは冗談めかしたのだが、僕ははっとして、思わずカイトを見た。
それからカイトが実に勘のいい奴だと、しみじみ思った。
「その件は、あんまり深く考えたくない。けど、その線だろう、たぶん……」
僕は推定されるマリーシアという少女を取り巻くすべての事柄に、そのときようやく気がついてしまったのだ。夜会でのマリーシアの可憐な様子が、絵の中の王女様だけではなく、そう言えばルイーズやアレクシスが少女の頃に、あまりに似ていたことに気がついてしまった。
あの美しい少女は僕の、血の繋がった妹だ……。
「彼女は本当にウィシャート公の愛人の子供なんですか?」
僕はしばらく押し黙った。
そして人生の皮肉とにがさを今まさに噛みしめながら、やがて静かに首を振った。
「さあ…、どうかな。真実は藪の中さ。
父親殺しをした男の魔術師では、まずろくな裁判も行われないで、オーウェル公子と同罪を受け、処刑されるのは規定事項だろうし。
それで彼女は最初から存在しなかったことになる。罪を裁かれることで……、彼女はこの世に生まれて来たこと自体が罪――、そう、カイト、最初からマリーシアなんて人間は、この世に存在しなかったんだよ。
きっとこの世界の誰ひとりとして、彼女の誕生を祝福しなかった。あったのは母親の苦痛と絶望の涙、周りの嘆きと憎しみだけだ。だから、それでいいんだ……」
「ふうむ」
それから飲み物を運んで来た老いた侍従が、熱心に王女の肖像画を鑑賞する僕らに気がつき、フェリア王女の話をしてくれた。
それによると御身体の弱いフェリア王女は、おいたわしいことにその短い人生の最後の三年ほどを、寝室で寝たきりの状態で過ごされることになってしまったため、明るく微笑む肖像画に残されている彼女の姿は、十六歳頃までのものしかないのだそうだ。そのために、幼くあどけない微笑みが、よりいっそうマリーシアを思わせるのだろう。




