第210話 プリンセス症候群(3)
「貴方、何言ってるの?」
ハリエットがしらけた顔でシエラに言った。
「言ってることがあまりに馬鹿すぎて、本気で呆れたわ。頭がおかしいんじゃないの?」
「いいえ」
「おかしいわよ。だって何それ、もしかして自分が選ばれた世界でいちばんのお姫様だとでも言いたいの? それとも自分こそが、星の聖女様を名乗りたいとか?
私は光のお姫様って、前から貴方、そういうこと言ってたけど……、しかもわたしを闇の魔女だとか言って。それって、こっちとしてもすごくむかついてたんだけど」
「貴方は闇の魔女の手先だわ」
シエラはハリエットを見て囁いた。
「闇の魔女は、私から王子様を横取りしようとするタティさんだから」
「何それ?」
ハリエットは頭を振った。
「タティが、アレックス様を貴方から横取りするですって?」
「そうよ」
「ちょっと馬鹿言わないで、アレックス様と最初に結婚するはずだったのはタティよ。それは、ここにいる誰もがよく知ってる」
ハリエットは振り返って、僕やカイトやオニールに同意を求めた。
それで僕は驚いて、僕のやや後方にいるカイトを見た。カイトも僕を見ていて、僕らはどちらの味方をすることもできずに、なんとなくこれが嫌な展開であることを確認しあった。
僕は女というものをまるで分かっていないのかもしれないが、この二人はいつもいつも、どうして同じ女の子同士なのに仲よくできないんだと頭を抱えるばかりだった。
「おいおい、シエラたんは何をとち狂ってお坊ちゃま君を王子様なんて言ってるんだよ……。僕のほうがすさまじくイケメンだというのに……」
ハリエットは続けた。
「なのに貴方は後から出て来たくせに何言ってるの?
よく考えてみなさいよ、貴方がアレックス様の秘書だか何だかやってるとき、タティはアレックス様と既に結婚前提の関係だった。二人は幼い頃からずっと一緒だったのよ、貴方が存在もしていない頃からね。
なのにそれってどういう主張なのよ。その論法で言うなら、アレックス様と最高に愛しあっているのはタティであって、悪者はどう見ても貴方よ、貴方。現状をご覧なさいよ、可哀想に、恋人を横取りされて泣いてるのはまさにタティじゃないの。醜い闇の魔女は貴方だわ」
「違うわ! 私は闇の魔女じゃない。私は光のお姫様よ」
「だから、いったい何処が? 何を根拠に? 貴方の言うことは全部、幼稚で自己中心的でくだらない妄想以外の何物でもないわ。
それをよくもまあ、自分に都合よく物事を曲解して、図々しいことが言えるものね。呆れて物も言えないったら。
貴方が自分を光のお姫様だとか思うのは勝手だけど。それが妄想なら周りはつきあいきれないし、もし本気で言っているなら世にも傲慢な考え方であることくらいは理解しておくことね。
どちらにしても、そういうのは自分の頭の中だけにしておいて欲しいわ。どうせ他の人たちは誰ひとりとして、そんな戯言に同意しないんだから。
ほんと、馬鹿みたい。いい年して、本気で馬鹿なんじゃないの?」
ハリエットはやはり性格が強く、頭も口もよくまわって、シエラみたいな女の子は喧嘩の相手にもなっていないようだった。シエラは上手く言い返せずに泣きそうになっていて、僕はどうするべきか分からずに何となく前髪を触った。
確かにシエラの言っていることはちょっとおかしいかもしれないとも思うが、でも誰かを侮辱するというような有害なものではない。シエラが温室で大切に育てられた育ちのいい姫君であるということも、よく伝わって来る。
そしてハリエットは明らかにシエラの言い分に過剰反応していた。
シエラのお伽話好きくらいつきあって、貴方がいちばんのお姫様だねとでも適当に相槌を打ってあげれば、何となく済む話ではないかと思うのだが、何やら許し難い天敵とばかりにシエラを睨んでいる。
でもハリエットがタティのために怒ってくれているのはよく分かるので、僕としてはどちらの味方もできず、肩を竦めて成り行きを見守った。
「貴方みたいな頭の可哀想な人を相手にしていても仕方がないわ」
やがてハリエットは自分を落ち着かせるように深呼吸した。
「馬鹿のことなんて。馬鹿は死ななきゃ治らないものなの」
そしてハリエットは僕を振り返った。
「わたしたちは王城へ行きましょう。薔薇君様のところに」
「フレデリック様は誰かを助けてなんてくださらないわ」
するとその背中に向かって、シエラは随分否定的なことを言った。
「あの方は、誰かを助けてなんてくださらない。彼はそんなに優しい人ではないのよ。あの綺麗な御顔に騙されては駄目。フレデリック様はね、本当はとても心の冷たい人よ。とても残酷な人なの。愛や思いやりなんて知らない……。
私、彼のことを皆さんよりよく知っているからはっきり言えるの。だからこそ彼のことを、好きにはなれないんですもの。あんなに冷血な人はいないわ」
それに対し、それを上まわる否定的な調子でハリエットが返した。
「あらそう。だとしても、わたしたちは行くわ。だって、貴方がタティのことで本当のことを言うとは思えないもの。それは全部嘘かもしれない」
「そんなっ。本当です!」
「どっちでもいいわ。ただ、わたしの見立てがもし間違っていたらごめんなさい、でも、フレデリック様がどんな方か、確かにわたしは知らないけど。貴方が見かけより自分勝手な人だってことは知っているつもりよ。
貴方のそれが、何のことを言っているのかは知らないわ。でも、仮にも世継ぎの王子様に対して、こんな誰が聞き耳を立てているかも分からない場所においてよ、批判めいた言動を口にできる不遜な貴方が、まともな人間であるとは到底思えない。
シエラさん、貴方って、自分がもてなされなければ気が済まない馬鹿女の臭いがぷんぷんするの。幼稚で、すごく自分本位の考え方をする人だなって、前から思っていたわ。今の王子様批判ひとつにしたって、いい証拠よ。それに貴方の日頃の言動にも、それがときどき表れているわね。
ちやほやされるのが当然の環境で育った上流のお姫様って、実際は、その自覚さえない自己中ばかりだって話はよく聞くけど、貴方はもう候女様ではないんだから。自分が選ばれたお姫様だなんて、そんな振る舞いでいては、人から距離を置かれるわよ。
アレックス様はこの通り鈍いから、全然気づいてないみたいだけどわたしはそうじゃない。
本当は誰よりも狡猾なくせに、貴方のその純情ぶった態度が全部演技だってことも、わたしにはすべてお見通しよ。これからは、簡単に彼を騙せるとは思わないでね。
でも今はそんなことどうだっていいの。わたしたちはこれから王子様にお会いして、そしてタティを助けて貰うんですもの」
ハリエットは言って、僕の袖を強引に掴んだ。
「行きましょう」
「あっ、うん」
「待ってっ」
「待たないわ!」
ハリエットは振り返って、またシエラをぴしゃりとやった。
「この際だからはっきりさせておくけど、貴方あんまりおつむの出来がいい方じゃないみたい。だから、よく分かっていないみたいだから現実を教えてあげるけど、アレックス様が結婚したいのはタティなの!」
ハリエットは僕の服の袖を握ったまま、まるで自分のことのように威張って、一歩前に踏み出してシエラに言った。
「アレックス様はタティが好きなの。貴方じゃなくて、タティを愛してる。
分かってるでしょ、アレックス様は貴方なんて興味がないの。だから貴方と結婚なんてしない。だって、タティがいるのにそんなことするわけがないわ。彼はタティが大好きなんですもの。
貴方もアレックス様が好きなら気がついていると思うけど、ここ最近の彼の目の輝きに気がついているかしら? タティの病気が治るかもしれないと分かってから、彼の顔つきが劇的に変化していることに?
これまでは生気のない、まるで歩く屍か、ゾンビか何かのようだった表情が、明るく輝いていることに?
これが愛の力なのよ。貴方と一緒にいたって、彼はちっとも幸せそうじゃなかったのに、タティといられるかもしれないと思うだけでこれよ。輝いてる。男って、単純だから。特にこういう分かりやすい男って、ときどき残酷よね」
「そんなこと信じない! アレックス様は私を愛してるもの!」
「そう思うのは貴方の勝手よ。これを信じたくなければどうぞ、勝手にしたらいいわ。
でも彼が愛してるのはタティよ。これは貴方の浅はかで可哀想な妄想と違って、世界の真実だから」
遂にハリエットはシエラを指差した。
「だから覚えておいて。貴方は絶対にタティに勝てないわ!」
◇女の子の読者様に注意事項◇
自分をお姫様だと思うことは、まったく悪いことではなく、素敵なことです。
ハリエットはシエラに対して腹を立てているから(自分も本当はお姫様でありたいという気持ちもあって)、意地悪を言っているのです。
お姫様と思うことはいいことです。よろしくね。




