第209話 プリンセス症候群(2)
僕らは連れ立って幾つかの廊下のアーチを抜け、適当な場所からテラスに出た。ハリエットの魔法でひとっ飛びして、フレデリック様のおわす王城に参上するためだ。
移動魔法にも幾つか種類があって、空間を歪めて点と点を結ぶように瞬間移動する、ルイーズが常用するようなのが本来非常に楽なのだが、あれは高度で、失敗のリスクが高いため、それほど才能が高くない者や、勉強中の若い魔術師は、空を飛んで移動する比較的難易度の低い魔法を使用する。
何せ瞬間移動のやつは、失敗すると術者ごと肉片になって飛び散るなんてことになりかねないからだ。勿論、上空から落下するのも恐い物だが、風の精霊を操れるなら失敗時の保険をかけておくことができる。万が一の場合、被術者の落下速度を下げて、怪我や死亡リスクを低減するわけだ。
でも前者の魔法は一瞬ですべてが決まるのでそういうことはできない。だから僕としては念のため、ミンチになるのは嫌なので、ハリエットには後十年か、二十年くらいはよく勉強してからにして貰いたいと思うのだ。
僕らは眺めのいい居城三階のテラスに臨む。サンメープル城より北部に位置する王都に向かうため、当然出たのは北側のテラスだ。城の裏側に広がる森の緑が美しい。初夏の訪れを感じる眩しい風には、思わず身を任せたくなるほどだ。
「王子様のお部屋にご招待とか。くそ、ケチのつけようのないビップ待遇じゃないか。
シエラたんみたいな美少女に何故か好かれるわ、こないだは内務卿と会談するわ、僕のほうがあらゆる能力が高いし、しかもイケメンだというのに、家柄だけでこうまで待遇に差をつけられるとは理不尽だぜ」
「フレデリック王子って、どんな方かしら。わたしと同い年なのよ」
ハリエットの問いかけに、僕が応じた。
「綺麗な人だよ。綺麗な人って言うと語弊があるかもしれないけどね。
でも、外見は綺麗でも、存在感はやっぱりか弱い姫君のそれじゃない。かつてコルヴァールのサウステイルを陥落した老王陛下の血は伊達じゃないよ、こちらが圧倒される強さがあるんだ」
やや表情を夢見るように輝かせて、ハリエットは僕を見た。
「薔薇君様は絶世の美少年だって言うから、お会いするのを楽しみにしているの。まかり間違って、わたしに恋してくれないかしら、なんてね。灰かぶりが一転して王子様の恋人になるの」
「いいかも。ハリエットなら、殿下と似合うよ」
僕は言った。
するとハリエットは少女らしく素直に喜ぶでもなく、かえって疑わしいような、微妙な顔をして僕を見上げた。
彼女のこういうところは、魔術師として重要な機転や聡明さゆえなのだろうが、可愛げがないとも言えるものだ。
「ほんとにそう思ってるの?」
「えっ、まあ」
僕の返答がお気に召さなかったようで、ハリエットはますます眉を顰めた。
「貴方、どうせわたしが年より子供っぽいって思ってるんでしょ?」
「あっ、気にしてるのか……、気づいてないと思ってた」
「気づいてる。気づいてるに決まってるじゃない。毎朝鏡を見るたび、これでもかと自分にがっかりしてる」
「それほどじゃないよ。たぶん、たまに十五歳くらいに見えるだけ」
「嘘。十四歳とは思ってるはず。だって貴方最初だって、わたしにキャンディをくれようとしたくらいだものね」
「十四歳だって立派な大人だよ」
「違う。キャンディでご機嫌取れると貴方に思われるくらいガキっぽいってことよ。おまえじゃ相手にされるわけないって、思ってるくせに。いいの。自分で分かってるもの。これでも身の程は知っているわ。
わたしは皆に注目して貰ったり、ましてや王子様に見初めて貰えるような、ヒロインにはなれないってことくらい。
わたしはいつも、選ばれて幸せになる誰かを眺めているだけの引き立て役なの」
「そんなふうに、自分で決めつけない方がいいと思うけど」
「アレックス様」
そこで背後からシエラの声がしたので、僕らの会話は中断となった。
僕はシエラがテラスに現れたのが分かったので、振り向いて、彼女に応じようとしたその僕の腕を、頑なになったハリエットが急に引いた。
「急ぎましょう。彼女に構っている時間はないわ」
「待って、皆さんでどちらにいらっしゃるの? ハリエットさんまで、一緒なんて……」
「貴方、何を疑っているの? 魔術師は外出時には同行をするものよ」
ハリエットは心外だというようにシエラを見た。
「私も一緒に行きます」
「駄目よ」
僕らに身を寄せようとするシエラに、ハリエットがぴしゃりと言った。
「一緒に来られては困るわ」
「どうしてですか?」
シエラは僕を見上げて言った。ハリエットはまた自分が無視されたので、苛立ったような仕草をしたが、すぐに深呼吸した。
ハリエットはめげずにシエラに言った。
「わたしたち、これからタティを助けるために行動をするのよ」
「タティさん……、を?」
「ええ、そうよ。タティ、元気になるかもしれないの。フレデリック王子殿下に、タティを助けてくださるようお願いに上がるの」
するとシエラは悲しく僕を見上げた。
「何故、そんなことをなさるのですか……? そんなことをしては、タティさんが可哀想よ……」
「えっ、何が可哀想?」
分からなかった僕が聞くと、シエラはとても冗談を言っているとは思えない、真剣な表情をして僕に言った。
「だって、貴方は私と結婚をするのに。それとも、貴方は結婚をしてからもお妾さんを持ちたいと思っていらっしゃるの?」
「えっ、いや、だって、君との結婚はなしになったわけだし……」
「そんなことありません」
シエラは囁いた。
「確かにギルバート様は、変なことをおっしゃったわ。アレックス様との結婚を取りやめにするだなんて、でも私、あれからよく考えてみたの。そして気がついたんです。たとえどんなことがあったとしても、そんなことにはならないって」
シエラは何をもってそんな前向きなことを思いついたのか、僕には分からなかったが、シエラは続けた。
「だって、光のお姫様はね、最後には王子様と結婚をするんだもの。お姫様はいつだって、最後には王子様と幸せになるものなの。
確かに、愛しあう二人の間には幾多の困難や、障害が立ちはだかるわ。それに闇の魔女が一度は光のお姫様の持っているものを、全部奪い取ってしまう。恋人、お城、身分、すべてよ。
でも……、でもねアレックス様、それは二人の愛の試練なの。
だから最後には、私たちは最高の愛によって永遠に結ばれるわ。そして、私たちだけじゃなく、この世界をも救うの。私たちの愛の光で、この世界を満たすからよ。
アレックス様と私、二人の愛はね……、この世界のどんな恋人たちのものより、とっても強くて、崇高で、特別なものなの!
だって、アレックス様と私は他の人たちよりずっと特別だもの。他のどんな人たちより。だから世界中の人たちが、私たちによって幸せになり、最後には皆が私たちの結婚を祝福してくれるわ」




