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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
206/304

第206話 約束までの距離(2)

腕組みをして兄さんは言った。


「今日、アレックスが試験を受けに王宮に行ったろう。そこでアークランド公が、アレクシスのことを話してしまったらしい。アレクシスに纏わることを洗いざらい全部だ。これは私を父上などと言って、まったく、あの公爵はろくでもないことを……」


ルイーズは黙ったまま僕を見た。僕は何とか口裏をあわせて欲しいという念を込めて、ルイーズを見返した。


「あら、まあ……、あの公爵様は勘がよろしそうよ。フレデリック王子の味方をなさるくらいですもの、先見の明がおありになるの。

それに、アレックス様だってもう小さな子供ではないのだし、そう秘密にしておくことも……。貴方が父親だと知った当日でさえこの落ち着きぶりですもの。私たちが思っているより、もうずっと大人になられているのよ」

「それだといいがね」


兄さんはやがて何かを察したらしく、疑うように目を細めてルイーズを見た。

ルイーズはお得意の笑顔で、にっこり笑って誤魔化した。


「アレックス様はご聡明だから。最近はしっかりしてらっしゃるの」

「この生意気な半人前がご聡明かね。なるほど物は言い様だ、このお調子者め。おまえは女の分際で余計なことをべらべらとしゃべりおって……」

「仕方がなかったの」

「なるほど? よろしい。では口の軽いお調子者の魔女に、この私から寛大なる三十秒間の申し開きの機会をくれてやる。何故そんなことに至ったか、心して自白せよ」

「それはつまり、成り行きということですの」

「せめて三十秒を使え、馬鹿者」


僕は、兄さんがルイーズをかなり怒るんじゃないかと思って、万が一のときは身体を張って止めに入ろうと身構えていたのだ。しかし二人の関係は非常にこなれていて、ルイーズは他の者たちなら脅迫と受け取りかねない兄さんの意地悪な言い方を、さらっとかわすのが上手かった。

結局、兄さんは息を吐いただけだった。


「……もういい。一度知られてしまっては、もはや取り繕いようがない」


その判断は兄さん大雑把でしょう、何のために二十年も僕に秘密にしていたんだと言いそうになったが、そこに気づかれるとまた面倒臭いので、僕は黙っておいた。


「それでだ、おまえをここに呼んだのは言うまでもない。明日おまえはアレックスを連れて、アレクシスを引き取りに行って来てくれ。そろそろ催促が来るだろうとは思っていたが……。

とにかく幾らこの子供に言って聞かせても埒が明かない。自分の母親を迎えに行かないと強情を張るのだ。まったく誰に似たのか、腹立たしくてならん」

「貴方じゃないかしらね」


ルイーズは理解するように頷いた。


「馬鹿を言え。私はもっと素直な子供だったものだ。主君たる父上には常に絶対服従だった。私は口答えひとつしなかった。どんなに腹の立つことを言われようと、私は常に礼を尽くしていたものだよ。それがこの子供はどうだ。私が甘いのをいいことに図に乗って、つけ上がって、我侭放題だ」

「いや、そうじゃないよ」

「煩いぞ。子供は黙っていなさい。それでだ、とにかくルイーズ、おまえはアレックスと一緒に行って、アレクシスを連れて帰ってくれ。宰相を任されるとの話すらある男の催促を、無視するわけにはいかないのでな」

「やっとその気になってくださったのね。いつまでアレクシスを放置しておくおつもりかと、内心で気を揉んでいたの。ご自分でいらっしゃらないの?」

「だから、私は忙しい身だと言っている。おまえはよく知っているだろう」

「あら、でも。そんなに時間のかかることではないと思うわ。姉さんだって私なんかよりはきっと愛しいギルバート様に、迎えに来て欲しいって、思っているはず……」

「ルイーズ。おまえもその子供と同じような戯言を言うのかね」

「なんでそんなに冷たいんだ」


僕は横からまた文句を言った。


「冷たいのではない。忙しいだけだ」


兄さんは僕に念を押した。


「私の予定表は空白がないほどだぞ。何せ、生意気な口ばかりきく何処かの子供が一人前に機能しないからだ」

「いや、もうちゃんと名代で事務処理くらいできますよ」

「だから、そんな時間を取ることができない。分かるな」

「分からないよ。僕にだって伯爵の代理はできます。任せてください。実際やっていたでしょう。兄さんの留守を預かってた。何時間もかかることじゃないんだ」

「そうか、分からないか? 仕方のない奴だ。ではもう一度言うぞ。アレックス、私は忙しい。だからおまえが代理で行って来い」

「この分からず屋」

「結構だ。アレックス、おまえは未熟者で、男の生き方というものが理解できない浅はかな子供なのだ」

「つまりアレクシスが汚されたから、もう要らないっていうことなの?」


僕はたぶん、誰もが言い出せないでいたであろう核心を突いた。


「汚らわしい女とは手を切りたいっていうこと? 兄さんが、遊び飽きた貴方の恋人たちにしているように。

それとも精神が狂ってしまった女なんて、そんな負債を抱え込むのが嫌なの?

そうなら、いいよ。僕が行って来る。僕はそういうふうに思う人に、お母さんと会って貰いたくないし。

僕にとっては血の繋がった家族だから、僕は絶対アレクシスを見捨てない。ルイーズと二人で迎えに行って来る」


そして僕は兄さんをみつめた。


「兄さんがアレクシスを汚らわしいと思っていると言うなら」


ルイーズも、彼女の立場では言い出せなかったのだろうが、どうやらその点を知りたかったようで、切ない表情で兄さんをみつめた。

兄さんは僕ら二人にある意味で責めるような目を向けられ、非常に不愉快そうにして黙り込んでいたが、やがて何度か息を吐き出して、苛立ちを混じりに呟いた。


「同じような目をして私を責めるな、まったく馬鹿どもが。……あわせる顔がない。あわせる顔が。そうだろう、会えるわけがない。私は以前の私ではない。私はもう別人だ、アレクシスが好いてくれた頃の純粋な少年ではないからだ。

他者を謀略に嵌め、殺す程度のことは茶飯事だ。私はこの地位を築くためにできることは何でもやって来た。汚れ仕事も厭わない。他人の不幸や涙さえ、今の私にとっては何でもないことだ。この手を血で汚し、実の息子に人でなしと罵られても平然としていられる鉄の心臓を手に入れたよ。

しかも私は彼女を切り捨てた。この選択を間違っていたとは思わないし、私は正しいことをしたと今でも確信を持って言える。私は正しいことをした。

だがそれでも、あわせる顔はないよ。……だから行けない」


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