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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
204/304

第204話 伯爵の饗宴(2)

華麗な身のこなしに定評のある兄さんが、軸足を椅子に引っかけ、よそ見をしながらつんのめり、手に持っているグラスのワインが跳ねて袖にかかる。


「兄さん、大丈夫ですか?」


僕は慌てて声をかけた。


「何がだね」


しかし襟を引っ張って姿勢を正した兄さんは、何事もなかったかのような澄まし顔で言った。まさか椅子に引っかかって転びそうになったなんて間抜けなことを、認めるつもりはないらしい。


「何がって、だから……」


僕は染まった彼の袖口をそっと指差した。


「あっ、くそっ」


それを見て、兄さんはやっと自分の失態に気がついた。

ワインがこぼれたことにも気づかないなんて、表情にこそおくびにも出しはしないが、やっぱり彼は僕がガールフレンドの話をしているわけじゃないことを最初からちゃんと分かっているし、そのことで明らかに動揺をしていたのだ。

それで僕は、今夜の兄さんの機嫌がもうあまりよくないことにもなったことだし、やっぱりこれ以上は話をするのをやめることにした。僕が何を言いたいか最低限のことは十分伝わっただろうし、だから後はもう服にワインを浴びた彼を刺激しないように、可愛くするに限るからだ。


「兄さん、お忙しいところあれだけど、とにかくそういうことだから。伝えたよ」

「アレックス、いいか、それは……」


だが気分を悪くした兄さんは、僕を逃がす気はないようだった。


「おまえ、いま何と言った。アレクシスだと? まったく! ああくそっ、なんで私に言わず子供に……」


兄さんはまだ混乱していたが、ガールフレンドがどうのと言って話を誤魔化し切れないということに、ようやく気がついたのだろう。

今度は開き直ったかのように怒り出し、少したりとも罪悪感を覗かせるどころか、まるで僕が悪いことをしたかのような懲罰的な物言いで話を運んだ。


「何を聞いた」

「えっ、何って?」

「内務卿に何を聞いたと聞いている。答えなさい」

「だから、アレクシスを迎えに来いって。彼女はトバイアに渡した人質だったのでしょう。内務卿閣下は兄さんを責めるなと言われました。

あっ、トワイニング公とも今日お会いしたんですが、彼は三十年以上前に生き別れた娘のアレクシスが何処にいるか知らないかって、涙ながらに僕に相談して……、考えてみるとそこからしてすごい偶然が重なってるな。何なんだ……」

「それだけか?」


兄さんはテーブルをまわって、向かい側の席に座っている僕に近づいて来た。

でかい図体な上に恐い顔をして近づいて来るとか、それだけでも嫌がらせのようなものなのに、彼は側まで来ると手を伸ばし、強引に僕の顎を掴むと、顔を近づけて僕に確かめた。

僕は怖々頷いた。

すると、兄さんは僕を突き放した。


「ならばいい。一応おまえにも教えてやろう。そう、アレクシスとはルイーズの姉だ、二人は私の乳姉妹だった。ルイーズがディアス家の養女であることは話したことがあったか?」


僕は首を横に振った。


「まあとにかくそうなのだ。それで、当初姉妹は父親の認知さえない、淫乱女が産んだ私生児というやつだったのだが、妹のほうが生来異常に魔力が強く、優秀な魔術師になると見込まれたためにだ、男寡だったジャーマン・ディアスにティファニーを娶らせ、彼に姉妹の後見人をさせることで体裁を持たせて採用した。

だがそれもそのはず、姉妹とはリドリー・トワイニングの若かりし日の火遊びの結果というやつだよ。留学していたティファニーに彼が目をつけ、ときどき夜の相手をさせていたということのようだな。

トワイニング家は聖王女ステラの家系だ、魔術師と言うよりは、かつて優れた聖職者を多く輩出していた神官家系だ。ルイーズは一族の典型的な天才児だったわけだ。不義の子なので存在すら表沙汰にならぬまま、母親ごと遺棄されたがね。

だがステラの血筋は誤魔化せぬ。あの家系は代々、特に女の容姿が直系王族に批准する格段に美しいものとなるようだが、そのせいでトバイアが所望したので片方くれてやったのだ。容姿しか取り柄のない、無能な姉のほうをな。もう随分昔のことだ。

その話、おまえは後でルイーズにしてやれ。ルイーズはずっとそのことで苦悩していた。姉を身代わりにしてしまったと言ってな。彼女は姉の解放を泣いて喜ぶだろう。

後日、おまえたち二人でアレクシスを引き取りに行き、そうだな、上等の別荘を一つ用意する。そこで楽に暮らせるようにして……」

「アレクシスは僕の母上だと聞いたんですが」


僕は、兄さんが随分冷血なことを言うので、ちょっとむっとして言った。


「何…?」


兄さんが気色ばんだのが分かった。

兄さんは通常なら僕を相手にそうそう怒りを露わにすることなんてないのに、その瞬間はかなり本気だった。怒りを帯びた兄さんの視線の鋭いことと言ったら半端ではなく、だから僕は恐かったが、でもここは負けてはならない場面だと思って、頑張った。


「なんで彼女がまるで只の乳姉妹だったみたいな言い方をされるんですか? それも、ものすごくどうでもいい存在であるみたいな言い方だ。ほとんどルイーズのおまけだと言わんばかり。どうしてなんです? 彼女は僕を生んだ人でしょう。

彼女と結婚しようとさえしていたのに……、なんでそんなに冷たい言い方を?

迎えに行くなら、貴方が行けばいい。いや、貴方こそが行くべきでしょう、父上」


僕の挑発によって兄さんの美しい顔がいよいよこわばり、間もなく兄さんが、再び僕の顎を掴んで顔を近づけた。

僕は兄さんに掴まれた顎が握り潰されそうで涙目になった。


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