第203話 伯爵の饗宴(1)
「あの、兄さん」
どうやったら思惑通り話を進められるか。僕が主導権を持って兄さんに物を言えたためしはないのだが、脳内での試行錯誤の挙句、結局他愛ない世間話から始めることにした。だが僕のこうした態度を腰抜けと馬鹿にしてはいけない。これは横暴な交渉相手に有能な外交官たちが使う、高度な外交テクニックでもあるのだ。
僕は兄さんの機嫌が悪くないことをちゃんと確認してから、恐る恐る切り出した。
「……あの、今日試験に行って来ました」
「首尾はどうだったね」
兄さんは、分厚い牛肉の香草焼きに年代物の赤ワインという、好物の夕食内容に満足しながらの笑顔で言った。僕は別に兄さんが恐いわけじゃないけど、兄さんの機嫌がいいと、やっぱり多少ほっとする。
テーブルの上には金の燭台が灯り、今夜は少し夕食のメニューが……、豪華と言うよりはやたら肉料理が多くなっていた。テーブルの上は何処もかしこも、肉料理ばかりが盛りつけられている。僕の試験のことで、ごちそうを出せとでも言われたのであろう厨房としては、兄さんの好みに従ったのだろう。無難で利口な選択だ。ここではとにかく兄さんの機嫌を取ってさえおけば間違いがない。そのせいで、たった一品あるトマト料理でさえ、肉が山ほど煮込まれている。僕はデザートに期待するしかなさそうだ。
「ええ、よかったです。採用試験がこんなに簡単でいいのかと思うくらい。それも、一日で済むなんて……、何か裏がありそうで恐いな」
「どうかな」
兄さんは含みのあるようなないような微笑をした。
「それで、アークランド公にちょっと依頼されたことがあって」
兄さんは赤ワインを優雅に飲みながら、余裕の笑みで僕の話を聞いた。
「ほう、驚いたな。さっそく何か命令を受けたのか」
「ええ」
「それは想定外だ。やったな。それで私に相談を?」
誇らしげに兄さんは言った。
僕は気まずく頷いた。
僕が遠慮がちであることの理由を、恐らく見当違いに受け取ったであろう兄さんは、ますます親身になって聞こうとした。で、僕は言った。
「……アレクシスを迎えに来いって。ギルバート卿が引き取りに来ないから、何とかしてくれって言われました。試験の後、内務卿の部屋に呼ばれて、いつまでも誰も来ない彼女が可哀想だろうってお話」
がたんと音がして、僕が見ると、兄さんが席を立ったところだった。
「えっ?」
考えられないことに兄さんは、食べかけの食事を残し、ワイングラスを手に持ったまま、夕食のテーブルを中座し立ち去ろうとしていたのだ。僕はまだこれから兄さんに説教的なことを言おうと思って、頭の中に文章を作っていたその矢先にである。
「兄さんちょっと待って、アレクシスの話だよ!」
僕は慌てて呼び止めた。
すると兄さんはまるで僕が我が侭を言って煩わしいとでも言わないばかりに、上からじろっと僕を見た。
「アレックス。新しいガールフレンドの話なら、また今度にしなさい。今はそんな気分ではない」
「いや、ガールフレンドじゃ」
「もっともそんな話は、聞くまでもないがね。おまえが自分で連れて来るのはろくな女ではないからな。おまえは女を見る目がない。外づらがいいのにころっと引っかかって、この間もそうだったな、典型的な馬鹿女を引っ張って来た。連中は目標をさだめると簡単に股を開くが、それでおまえのようなのは逃げられなくなる。はめたつもりがはめられたというわけだな。ふっ、今のはおもしろいな。笑ってもいいぞ。
とにかくアレックス、女を選定するときには、よく注意することが必要だ。考えが卑しく手癖の悪い女、道徳や貞操観念がない女などを掴もうものなら、こちらが一生を棒に振るはめになるからな。
この間のような女は論外だぞ、あのての女は狡猾で、自分を取り繕うのが非常に上手い。そのうち自分すらも騙して、いつしか自分が清楚で純粋だと平気でそのように思い込んでしまうから性質が悪い。そんな毒婦に照準を合わせられては、おまえのような単細胞では、食い物にされるのがおちだ。
そろそろ新しい妾を一人あてがっておくか。何せおまえは若い独身の上位貴族だ、王都に出たら、女どもが目の色を変えて群がって来るぞ。幾ら飢えていると言っても、ハリエットにはまだ手を出すな。あれは勉強中の身だ。年端のいかない少女が恋愛に狂うと、只でさえ周りが見えていないのが、相手の男以外がまったく見えなくなるからな。しかし現状あの娘は代理がきかないから、扱いは当分慎重にしろ」
「兄さん、あの」
兄さんは僕の話を聞かずに更に捲し立てた。
「アレックス。もしかするとおまえは、金髪なら何でもいいと思っているのではないのかね。この間の女もそうだったろう。だがそれは愚かなことだ。確かに金髪女はいい。が、そんなことだけで女を選んではいけない。金髪女の魅力に騙されるな」
「金髪好きなのは貴方でしょう……。僕はタティがいいんだ……」
「アレックス、タティじゃない。おまえを可愛がってくれた優しい乳母に似た娘に執着したい気持ちは分かるが、いい加減タティは卒業だ。
おまえは私が選ぶのを、素直に受け取っておくのがいちばんいいのだ。そうすれば少なくともあばずれには当たらずに済む。やはりそろそろ専用の妾が要るかな。いつまでもタティ、タティと言っているのでは」
「兄さん、だから、アレクシスのことだよ!」
「ほう、おまえの新しい女はアレクシスと言うのかね……。いや、結構。紹介はいらんよ……」
そして兄さんは僕にてのひらを向け、飽くまでも気取って歩き出したが、そのまま自分が座っていた席のすぐ右横の椅子に躓いた。




