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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
200/304

第200話 ファンタスティック!(8)

率直に言って拳銃の殺傷能力に僕は完全に救われていた。

この手でどうにか二名を殺害した僕を、人殺しだと非難する公爵夫人。どっちがだと言いたかったが、こんなとき、指示を出してくれる兄さんがいないから、僕はこれからどうしていいか分からない。

すると、当然の判断だが夫人は自分で僕に向かって来るのではなく、人を呼んだ。


「誰かっ! 誰か来て頂戴、人殺しがいるわ! 賊が侵入していてよっ!」


そして自分は部屋の外に逃げ出そうと、僕の様子を窺いながら後退りを始めていた。


「待って」


僕は思わず言った。

だが夫人は敵意ある微笑を僕に返した。


「ほほほほ、待つわけがないでしょう、賊が……。

おまえはおおかたウィシャート公爵家の混乱に乗じて、女を盗みにでも来たのでしょう? この館には娼館や見世物小屋に叩き売るのに都合のいい売女どもが、わんさと蠢いているから。

いいわ、その銃を収めて、幾らでもいいのを連れて行きなさい。でもね、そこの女は駄目。そいつはね、人の夫と通じただけでは飽き足らず、子供まで産んだ極悪の売春婦なのよ。

だからわたくしこの女には、この手で制裁を加えてやりたいのよ。唾棄すべき不倫女。汚らわしい淫売」

「でもそれは、トバイア公が無理やり……」

「無理やり!? はっ、人の夫と肉体関係を持ちながら、あれは無理やりだったなんて言い訳が通るとでもっ!?」


夫人はいきなり興奮して声を荒らげた。


「わたくしはね、ギース公爵家の公女よ! そこらの思い上がった女どもとは、最初から価値が違うのよ!

わたくしは選ばれた姫君よ、美しさでは常に誰にも負けなかった。わたくしはこの国でいちばんの美少女だったわ、無力で! 繊細で! 美しくて! あどけなくて! 清純!

誰もがその幸福な未来を無条件に歓待したくなるようなときめく美姫、聖女、誰からも絶賛され愛される姫君の中の姫君!

それが見て、こんな薄汚い雌豚に、夫を寝取られたの。挙句に一人息子が夫を殺害、わたくしはあえなく未亡人となり実家に出戻り。こんな酷すぎる未来があるかしら!

こんなことを、これ以上黙って見過ごせるとでもお思い? 冗談じゃないわよっ!」

「だからって八つ当たりすることないじゃないか」

「八つ当たりではないわ。不倫女どもに制裁を加えているのよ」

「違う。誘拐されて、こんなところに閉じ込められている被害者だ。人の夫を誘惑した不倫女じゃない、暴力の被害者だ。彼女の意思じゃないのは明白だ」

「だったらどうだと言うのよ! だったらどうだと言うの、そんな女の都合なんか知るもんですか、だってトバイア様はわたくしの夫なのよっ!?

彼はわたくしが少女の頃から憧れ続けた方だった。結婚して貰えたときにはまるで夢を見ているみたいだった。彼と幸せな家庭を築くことがわたくしのたったひとつの、生涯の夢だったのよっ!

なのに、わたくしがどれほど血の涙を流して来たかも知らず、この淫乱な雌豚どもがすべてを台無しにしたっ……!

こんなことになったのも、すべては節操なしの女どものせい。あの方を誘惑した、堕落した女どものせい!

それを今更になって被害者面なんて許しはしないわっ!

わたくしがどれほどつらい人生を歩んで来たか、おまえは知らないでしょうね。ええ、想像もつかないでしょうとも。死ぬ思いをしてやっと生んだ我が子が、セリウスの直系たるに相応しからぬ黒髪だったことで、トバイア様に冷たく舌打ちをされたあの日から、わたくしがどれほど……、……待って。おまえ、何処かで見たことがある……」


夫人はふと、目を凝らして僕の顔を見た。


「……おまえ、もしかしてギルバートのところの坊やじゃないの? そうだわ、確かに見たことがある。おまえは確かあのろくでなしの弟……。そうよ、確かアレックスと言ったわよね。

おまえはここでいったい、こんなところに入り込んで何をしているわけ? このことをわたくしの兄上に申し上げれば、おまえもろともあのろくでなしに社会的制裁を加え」


語尾が切れる前に、僕は夫人を撃った。

僕がここにいるなんてことを、誰かに知られては困るからだ。

乾いた銃声がして、胸から血を噴いた夫人があっけないほど簡単に仰向けに倒れる。

それから何秒かして、僕は自分がした世にも非情な判断に気がつき眩暈がした。一瞬、まるで自分に兄さんがそのまま乗り移ったみたいじゃなかったか!?

僕は焦って、足もとの拷問吏の死体を飛び越えて公爵夫人に駆け寄った。どうも銃弾が心臓を一発貫通したらしい。床に倒れた彼女のドレスの胸元は血に染まり、胴体を中心に、床にどんどん血が広がっていく。もうとどめを刺す必要はなさそうだ。

僕は自分のしたことに改めて震えた。

だが、仕方がない……。アレクシスを護るためには。

先刻ゴーシュが言った様々の言葉の意味が、今は何となく腑に落ちた気もした。

念のため、聞こえてないと思うけど僕は夫人に言っておいた。


「い、言っておくけど僕は全然悪くないから。総合的に見て、そっちが悪いんだ。だからこれはそう、正当防衛だ」


その刹那、絹を裂くような悲鳴がして、僕はまた動揺した。アレクシスだった。すぐそこにいるアレクシスが僕を見て、自分を傷つける悪い奴だと思ったらしかった。

一難去ってまた一難。彼女は全身を哀れなほどに震わせて、まるで僕が自分を虐める悪い男だと言わんばかりに恐がっていた。仮にも息子である僕が分からないのか? まるで暴漢を見るような目で僕を見ている。

でも確かに人は殺したけど、僕は悪いことはしていない。だって僕はアディンセル家の男子だから、拷問吏程度を殺すのに言い訳なんて必要ないのだ。僕は言わば害獣を屠殺しただけ。それに、今のは誰が見てもあっちが悪い。殺されて当然のことをした。僕のお母さんを殺そうとしたからだ。

でもそれを言っても正気がなく、怯えるアレクシスには話が通じない。泣かれるだけだった。これだから女というのは論理的な話が通じなくて困る。おまけに夫人の呼び声か、それとも銃声を聞いたらしい誰かが、こちらに駆けつけて来る足音がする。僕はアレクシスを連れて逃げようと思うのだが、手を伸ばしたら彼女は細い手を振りまわして必死でそれに抵抗する。泣きながら……。勿論女を押さえ込むのはわけないが、トバイアは彼女にどんな仕打ちをしたんだと怒りが込み上げてくる。そう、彼女は僕が嫌いなんじゃなくて、きっと僕をトバイアと勘違いしているのだ。こんな場合、どうすればいい。もう弾は一発だって残っていないし、これは酷い混迷状態だ。それに拷問吏どもはともかく、筆頭公爵の夫人を殺害したら、僕はさすがにやばいんじゃないか、考えてみたら正当防衛なんて言い訳は通用しないんじゃないかと思ったが、大丈夫。落ち着いて。これは全部夢なのだ。そう。これは夢だ。何故なら僕が血を見ても、血の臭いを嗅いでも、全然倒れていない――。


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