第194話 ファンタスティック!(2)
それから僕は執務室内の別室に通され、そこで寛ぎながら今後の大まかな政府方針について、フレデリック王子への称賛、それにトワイニング公の家族の話題を少し聞いた。彼には妻と息子が二人いて、上の息子の妻がもうじき初孫をもたらしてくれそうであると嬉しそうに話す彼に、僕は心の中にふくらんでいた彼への親しみや思慕にも似た親愛の気持ちが、急速に萎んでいくのを感じた。
僕は彼の人生にとってまったくの部外者だと理解したからだ。僕の感じていた親しみは、僕の一方的な想いに過ぎず、公にとっては僕は単に通りすがっただけの、赤の他人に過ぎないことを、思い知らされた気がしたのだ。
「女の子を望んでいます」
トワイニング公は僕に打ち明けた。
「私には息子しかありませんでしたから……、最初は女の子をと」
「そうですか」
結婚もせずに捨ててしまえる田舎貴族の娘に産ませたルイーズとアレクシスのことなど、所詮は眼中にないのかと、そう心の中で呟きかけたとき、彼はぽつりと言った。
「でも実は…、私は女の子を持っていたのです」
トワイニング公は言った。すると隣に腰かけていたアークランド公が、まるで気を利かせたように席を立った。
その背中が僕らのいる応接用のソファ席から後方、重厚な扉の向こうに消えていくのを確認すると、トワイニング公は続けた。
「そう……、アレクシスという女の子です。
妻と結婚する前に、私にはとても結婚をしたかったお嬢さんがいたのです。彼女はティファニーという、笑顔になることさえ不器用な女性でね、いつもつんけんして、勉強の邪魔をしないでと、私は彼女によく怒られた。でもそこがよかったんです。
私は彼女を好きになり、彼女のいる図書館の席に日参して、一生懸命口説きました。彼女との日々は、陳腐な言葉になりますが、私の青春そのものでした。
デートの場所はいつも図書館の奥深く。サンドイッチを持ち込んで、いろいろなことを語りあいました。最古の公爵家の古めかしい環境で育った私には、彼女の何もかもが新鮮だった。心から彼女と結婚をしたかったのです。だから彼女とはそのつもりで交際を深め、娘を授かり、そのまま三人で家庭の真似事のような暮らしもしましたが、でもできなかった……。
あの頃は私の人生にも様々の問題が起こりました。我がトワイニング家には厳格な決まりがあり、しかし……。
結局私はティファニーと小さなアレクシスを故郷に帰す選択をしました。それに身分の問題は当時の私が考えていたより重く、アディンセル伯爵領のローブフレッド州が、つまり貴方の兄君の所領こそが、ティファニーの故郷なのですが……」
トワイニング公は、僕の目を強くみつめて言った。
「恥を忍んで伺いたい、貴方はアレクシスをご存知ないですか。私と同じ金の髪に、ブルーグレイの眼をした、可愛い……、もう三十年以上前のことになりますが、小さな女の子でした。生まれて来た彼女を初めて見たとき、そのあまりに美しく清らかな魂を感じ、私はこれは天使に違いないと確信しました。
向こうでギルバート卿の魔術師に採用されたと聞いたのに、実際に会ってみると彼の魔術師は別人だったので、いつか誰かにこのことをたずねたかった。だが卿も彼の魔術師も笑うだけで何も教えてくれない……、心配で心配で、禁を破り、魔術を使ってアディンセル家の城を幾つか覗いたこともありましたが、何処にもそれらしき娘の姿は見当たらず……。
それでもずっと気がかりだったのです。私の娘のことが。私の小さなアレクシスのことが。あの子のことを、片時も忘れたことはありませんでした。もうじき息子の妻に子供が生まれる、それは女の子かもしれない、そう思うだけでいてもたってもいられずに……。
私も年を取りました。けれども私は一度たりともティファニーと、手放してしまった小さな娘のことを忘れたときはなかった。今頃どうしているのか、父親がいないことで寂しい思いをしてはいないか、悲しい思いをしてはいないか」
感情が高ぶってしまったのだろう。トワイニング公の目には、涙が浮かんでいた。
「貴方は何か、知りませんか……、ティファニーとアレクシスのことを」
僕は何も言うことができなかった。この国では女性にとって、父親の護りほど大きいものはない。社会的地位のある公爵家の男子である貴方がもし、せめて別れ際にでも実子の認知をしてくれてさえいたなら、トバイアもさすがにアレクシスに手は出せなかっただろうと怒りが湧いた瞬間もあったが、それを伝えたところで今更どうにかなるわけでもない。
アレクシスがその後どんな目に遭い、そして今どうなっているかを、この老齢に差しかかった父親に伝えて、それを責めたところで何になるだろうか? 彼の老後を後悔の地獄に落とし込めても、誰も救われることはないのだ。
まさかティファニーとアレクシスを故郷に帰した後に、ティファニーがルイーズを生んだなどということも、今となっては彼を苦しめるだけの不要な情報だろう。
「知りません」
僕はきっぱり答えた。
「すみませんが、三十年以上前となると、僕はさすがに……」
「そうですか……、そうですね、確かに貴方はまだお若い……、貴方はこれから希望あふれる若い時代を生きる方だ。
二人が元気に、幸せにいてくれればいいのですが……」
トワイニング公は寂しそうに微笑んだ。




