第193話 ファンタスティック!(1)
きっとすべてはいい方向に向かっている。
苦しい状況が続いているとき、そう思うことはとても大変で、エネルギーがいることだ。
でもタティが助かるかもしれない。そのことを考えるだけで、僕は人生に輝く光が戻って来たことを感じていた。
世界は一転して希望の光にあふれ、希望の心は新たなる希望を引き寄せもする。先日カイトが運命の扉について話をしていたが、まるでそれを証明するような出来事が、すぐに現実に起こりもした。
その出来事は、この何ヶ月間かにおいて、夢見る少年期を過ぎてもなお夢を抱え込んで生きていた僕が徹底的に叩きのめされ、打ちのめされて、突きつけられた現実や、受け入れさせられた大人の価値観というものを、ある意味では根底からひっくり返すような出来事だった。
大人になってまで夢を見続けるなんて、人生の落後者、逃避者、妄動者、或いは性格破綻者の烙印を押されかねないことだというのに――、それでも諦めずにお伽話を愛好する間抜けたロマンチストたちが、それでもいつか自分の人生に起こることを待ち望んで夢想している、とても非常識な、しかし夢のあるひとつの出来事だった。
フレデリック王子の補佐官に就任するために必要な学力試験を受けた帰り、僕は王宮にて、内務卿アークランド公と会うことになった。
本当は、一刻も早くフレデリック王子に謁見の御時間を頂きたいところなのだが、世継ぎの王子様が、そうそう目下の者とお会いになることはないのだ。名門出とは言え当主ではなく、友人でもない僕と、殿下がすぐにお会いくださることはない。州領主の弟である僕が、面会を希望する領民の要請に即日応対することがないように。
僕が王都へ赴任すれば、自動的にフレデリック様と顔をあわせることにはなるが、まだいつから授業に呼ばれるのかも分からないし、個人的な話ができるだけの雰囲気を作れるかも自信がない。そもそも殿下にお仕えする話だって本決まりというわけではなかったので、少しでも早くタティを助けたい一心で、現在はそれとは別に一度、謁見の機会を設けて頂く申請をしている段階だった。
内務卿ハワード・アークランド公爵は、五十歳ほどの金髪男だった。彼の人柄についての噂は、主に厳格だとか、気難しいといったものだが、実際に顔を合わせてみる限りではそれほどそういった特徴が顕著というわけでもない。やはり容姿がとても美しいのだ。しかし仕事ができそうな有能な男だろうとは、目つきの厳しさと雰囲気で感じ取れた。
トバイアとは年が近く、若い頃から何かと火花を散らす仲だったらしいが、そのおかげでこの有能な男がフレデリック王子の肩を持つなんてことになったとも言われている。往年の貴公子同士の個人的な不仲の対決が、トバイアのような男の野望から、くしくも若年のフレデリック王子とサンセリウスの命運を救ったという側面もあるのかもしれない。
もっとも今度のことで王位継承権第二位となった彼自身が、王位継承の射程位置に入ったことが、気にはなる。
王子側としてはそれを避けるためにアークランド公のご息女を妃に迎えることで決着するのではないかと兄さんは言っていた。それで擁立の恩を返せるし、アークランド公としてもトバイアのように下手に反感を買ったり陛下に潰されることよりは、自分の娘を王子に嫁がせ男子を生ませ、次の次の国王の外祖父となる道が、権力に近づくいちばん安全な方策ではあるだろう。
「サンセリウス王宮へようこそアレックス。君の学力の高さには、学者連中もさっそく感心をしていたよ。もっとも今後偏屈な彼らとの意思疎通は、なかなか大変だろうがね」
「それは、採用ということですか?」
「左様」
「ありがとうございます」
「王子殿下に御相談申し上げ、詳細は追って知らせる形となる」
「はい」
それから僕は、王宮内の彼の執務室で思いがけない人物を紹介されることになった。
僕が通された内務卿のための立派な執務室には予め客人があったのだ。彼はすらりと背の高い、白髪混じりの金髪の紳士だった。アークランド公より幾らか年長であるようだ。その何処かおっとりしたスカイブルーの眼差しを見たとき、僕はすぐさまルイーズを連想したのだが、思った通りだった。
「彼はトワイニング公リドリー卿、私の古くからの友人だ。知っているとは思うが、トワイニング家は聖王女ステラに連なり、古くはサンセリウスが祭祀を担っていた特殊な家系。まあ、古くは我が国の宗教活動の本家というところだね。
リドリー殿、彼はアレックス。アディンセル伯爵家の次男だが、来月から私の下で働いて貰うことになっているのだ」
「アディンセル……、ああ、そうですか。ではギルバート卿の弟君ですね」
トワイニング公に握手を求められ、僕は慌てて両手を差し出した。優しく微笑む彼の顔にさして見覚えはないはずなのに、何故か胸の中が熱くなるのを感じていた。
もしコンチータの言っていたことが真実なのであれば、彼は僕の母方の祖父に当たる人物――、そう思うだけでたまらなくなったのだ。僕は本当に、何故だかたまらなくなった。まるで天国にいらっしゃる父上に対するような咽び泣きたくなるような郷愁が、このほとんど面識もない紳士に対してあふれ出しそうになった。
「この度は侯爵昇格おめでとうと、兄君によろしくお伝えください」
トワイニング公は優しく僕に言った。
「リドリー殿、どうせ来月にも叙爵式があるではないか。そのときにでも、直接言えばよろしいのでは」
「ああ、そうでしたそうでした。ふふふ、私も随分年を取り、どうも頭がぼやけてしまっていけません」
「何をおっしゃる。まだまだお若いではありませんか」
アークランド公と対照的に、トワイニング公はとても穏やかで温厚な人物だった。話し方が丁寧で優しい、美しい初老の紳士。貴族的な風貌からは知性がにじみ出ていて、そこにいるだけで人を惹きつける魅力のある人物だった。




