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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第6章 君が望むなら
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第19話 疎外感

ある晴れた晩秋、僕はアディンセル伯爵家の居城の敷地内にある代々の墓地に出かけた。

兄さんは晩年の父上との関係が、なかなか難しかったこともあったようで、うっかり父上のことを話題に出せば、露骨に不機嫌なお顔をされることもある。

だから季節ごとに墓を訪問する役割は、いつしか必然的に僕が一人で引き受けることになっていた。

僕の父上は僕にとっては勿論、兄さんにとっても祖父のような年代の老人だった。

大柄で穏やかな老紳士であった僕の父上のことを、僕は悔しいことにほとんど何も憶えていない。だけど僕が幼児の頃までは確かに側にいて、僕のことを可愛がってくださっていたと、思い出を人づてに聞かされるだけでも心の中が温かくなる、そんな魅力の持ち主だった。

その父上にはその生涯に四人の妻があった。

最初の三人との間には、子供が出来なかった。

四人目の妻になってから、やっと兄さんが出来た。

この地方特有の風土病であり、不治の病と言われている肺病に罹っても数年生き長らえることができたほど、若くて美しいばかりではなく、ギゼル妃は生命力の強い女性だった。

老齢になった前アディンセル伯爵の余命を考え、家柄は前の三人には少々劣っていても、とにかく伯爵家の跡継ぎを産める女性をあらゆる魔術、占術を駆使して選んだのだという。






引き連れてきた家令や神父らをともなって、父上と母上、それに父上のそれ以前の妃たちの墓前に花と祈りを捧げ、花園であるかのごとく花々のあふれる霊園に整然と居並ぶ百以上ある墓石群のすべてにも礼を尽くした。

係るすべての予定を終えても太陽はまだやっと深秋特有の橙色を帯び始めた時刻だったが、ここのところの僕というのはいつでも黄昏時のような傷心に耽りたい気持ちで暮らしていた。

僕の母上は僕が一歳にならないうちに病床にて息を引き取られていたので、僕は自分の母親だという方のお顔をやっぱり肖像画や伝聞でしか知らないし、声を聞いたこともなければ、父上がそうしてくださったように何か特別のお手紙なんかを遺して貰ったわけでもなかった。

何かのときに、母上は兄さんには大切な形見の品やメッセージをたくさん遺されていることを知ってからはなおさら、僕の中の母上の存在というのは、とても遠くて、常に悲しい疎外感を僕に思い出させるものになってしまった。だから僕にとって母親と言えば乳母だったタティの母親のコンチータということになるのだが、それだって本当の母親ではないということを、彼女とタティの親子ならではの特別な関係を見せつけられていた者としては幼い頃からきちんと知っていて、弁えていた。

勿論、だからといって母上をお恨みする気持ちはなかった。きっと死の前年には病気が重くてどうにもならなかったのだろうし、そもそも肺病で死ぬ前年に子供を産めるのかということを思えば、奇跡を信じるアディンセル伯爵家の信奉者以外の人々が支持しているもうひとつの僕の出生の噂、老伯爵が気まぐれに他の女に手をつけて産ませたのではないかという話のほうが、よほど単純明快で信憑性に満ちているだろう。

そして彼らは影ではこう言っているのだ。他の女に産ませたのに、どういうわけかギゼル妃に似ているという事実こそが、奇跡そのものであると……。

ギゼル妃について知っているのは、僕よりも若いうちに六十歳を過ぎた伯爵に嫁がされ、兄さんを生み、それから重い病気になってしまったということだけだった。

父上がお優しくて聡明な方だったという話は誰にも周知の通りだが、十代の少女が夫とするにはあまりにも過酷すぎる相手であることは僕にも分かる。ほとんど子供を産まされるためだけに利用された我が身を思うとき、ギゼル妃がどれほど悲しかったかを想像するのはそう難しいことじゃない。

その上不治の病気にまでなってしまって……彼女はどれほど自分の人生を嘆き悲しんだことだろう。


「……タティだって、同じ気分なんだろうな」


母上の墓前に立ったまま僕が呟くと、側に控えていたカイトが呆れ顔で相槌を打った。


「ええ、そりゃ、貴方の頭の中ではそうなんでしょう。何しろアレックス様っていうのは、繊細な割には意外に意地っ張りでいらっしゃいますからね。

せっかく閣下にお許しを頂いて、後はタティの機嫌を取ればいいだけだったっていうのに、何をやっていらっしゃるんだか」


カイトの言い方は、まるでこの頃の僕の苦悩が全然大したことないものだと言わんばかりに親身でなく、いい加減だった。彼はときどき年下の僕のことを簡単に考えているように感じることがあって、僕は常々そのことを腹立たしく思っているが、その無礼な態度には僕は思わずむっとしないではいられなかった。


「何だよ、そんな言い方ってないだろう。僕が真剣に悩んでいることを知りもしないで、分かったような言い方するなよ。

だいたい、あれは僕が悪いんじゃない。どう考えたって、あんなのタティが悪いんだ。

だいたい、僕はもうタティには関心がないんだ」

「本心ですか?」

「そうさ。とにかく僕は、僕のことを好きになってくれない女の人を、無理やりどうこうしようなんて乱暴なことはしない良識的な男のつもりだ。だから、もうタティのことは考えないことにしているところだ。

おまえも僕の部下なら、余計なことを言うな」

「まあ、貴方がそうおっしゃるなら。俺はお言葉に従うのみですがね」


それから僕は墓参りに同行していた者たちに、先に居城に戻るように指示した。

秋の日差しは暖かくて気持ちがよく、僕はこのまま少し、考えごとついでに城内を散策しようと思ったからだった。


「俺は残りましょうか?」


気を取り直したように、殊更に明るい口調でカイトは僕にたずねた。


「つまり、散歩のお供をしましょうかってことです。お一人でいては、あんまり退屈でしょう。そうそう、とっておきの面白い話があるんですよ」


カイトというのは本当にお調子者と言うのか何と言うのか、年中朗らかと言えば聞こえはいいが、いつもおちゃらけていて、無意味なおしゃべりや冗談を欠かさないし、おおよそ人生の複雑さや深遠な悩みとは無縁の人生を送っている軽薄な男だった。

彼は僕が十三歳のときから僕に仕えているが、それでも少年時代にはもう少し影があって、思慮のありそうな奴だと思っていたのに、最近ではその影も形も消え去ってしまった。ときには意識深くに沈み込んで思うままに思索したいという僕の願望を、カイトが理解することはなさそうだった。

彼がいい奴だということは勿論分かっているし、こういうあつかましい性格だからこそ僕の側近なんかをやっていられるんだろうが、僕の傷心を分かろうとしない押しつけがましい社交性は、ときに僕の神経に障った。

カイトの提案を、僕はすげなく断った。


「いいよ。城内だし」

「また、そんなことをおっしゃって。そんなに暗くしてないで、もっと前向きに考えましょうって。女なんか、この世の中に星の数ほど存在しているんですよ。

そうだ、今週末、まあ今夜なんですが、身内でちょっとしたパーティーがあるんですよ。若い奴らだけの集まりなんで、本当に気軽な感じなんですが、どうです、アレックス様もおいでになりませんか。

アレックス様があまりそういう場がお好きでないことは分かっていますが、ときには酒でも飲んで、パーッと騒いで、嫌なことを忘れましょうって」


そして、そのまま僕の後をついて来ようとするカイトを、僕は振り返って再びぞんざいに追い払った。


「悪いけど、ついて来ないでくれないか」

「アレックス様……」

「おまえだって知っているだろう? 僕は一人でいるのが好きなんだ」


今回、「伯爵の恋人」を纏めるにあたって、頂戴していた評価や感想をくださった方に予告なく消してしまいましたことを心からお詫び申し上げます。

この欄をご覧頂けているといいのですが……、消してしまったとはいえ、作者は頂いたお言葉をとてもとても有難く受け取り、感謝をしております。


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