第18話 所詮は僕もお仲間なのか
「撤回も何もない。あれは当初からおまえの女にすることを予定していたのだ」
その夕方、僕はルイーズの魔法によって遠方から居城に帰還した兄さんを白大理石の正面玄関で捉まえて、タティに妾になれと命令した件や、パーシーを殺害した件を抗議した。
すると、それに対する何とも素っ気無い兄さんの返答だった。
「それからあの料理人には、身の程を弁えぬ者がどういうことになるかということを、その生命をもって教えてやったまでだ。当然だろう、たかが下男の分際で、伯爵であるこの私に対し、僭越にも意見しようとしたのだからな。これは道義的に見ても許される行いではない。誰が見ても処刑は相当だ。
分かったら、くだらんことでいちいち突っかかって来るんじゃないアレックス。私は疲れているんだぞ」
そして兄さんはルイーズを引き連れて立ち去ろうとした。ルイーズは男のように短い黒髪に色気を纏わせたうっとりするくらいの大変な美女で、しかもいかにも兄さん好みの顔立ちをしている女だった。
もし彼女が金髪であったなら、恐らく今頃はアディンセル伯爵妃にして貰えていたかもしれないというほどの美貌。兄さんの隣にいても見劣りがしない女性というのは正直に言って稀なのだが、彼女は確実にその中の一人というわけだ。愛人説に関しては、寧ろジェシカよりもルイーズのほうが有力なのだが、本当のところは僕にも分からなかった。
しかし、魔術師なんていう人種はなかなか得体の知れないもので、僕にとってルイーズとは、いつも妖しく微笑んでいるばかりの謎めいた女だった。そもそもは兄さんの乳妹で、年齢だって確か兄さんと同い年であるはずなのに、そのみてくれはとてもそうとは思われないくらい若々しかった。
「兄さん!」
僕は、マントを翻し颯爽と階段を上って行く兄さんの背中に声をかけたが、兄さんはそれには応じず、代わりにルイーズが振り返った。彼女の真っ赤な口紅や色気過剰の振る舞いは、兄さんはあまり好ましくは思われない素行だと思うが、僕としてもあまり好きにはなれなかった。彼女の服装はいつも大抵露出が多く、今だって白い胸元や大腿が黒い衣服の隙間から露わになっているが、色気や性的誘惑で男を思い通りにできると思っている浅はかな意図が見え隠れして、それがとても馬鹿にされているように感じるからだ。
と言うよりは、そんな簡単なものに目が行ってしまう自分の恐ろしい単純さに嫌悪を覚えると言ったほうがいいかもしれない。
事実、目の前で微笑むルイーズはとても魅力的で、僕は不愉快に感じながらもそんな彼女から目が離せないのだから……。
「アレックス様、貴方はどうしてそんなに怒っていらっしゃるのかしら。
貴方のタティが、これでようやく貴方だけのものになったというのに何故かしら。
アレックス様だってご存知だったのではありませんか?
あの若いシェフが、貴方のタティに激しい情熱を持っていたことは、彼の伯爵様の執務室に単身飛び込んで来ると言う無謀な行動からあまりにも明らかだった……。
でも、彼はもう死んでしまいましたのよ。それなのに貴方はどうして……そんなに不機嫌にしていらっしゃるのかしらね」
「ご自分のやっていることはどうなんですか!」
僕は気を抜けば思わず吸い込まれそうになってしまうルイーズをわざと無視して、困ったような微笑みを浮かべるルイーズの向こうの兄さんに向けてもう一度声を投げつけた。
すると兄さんは手すり越しに、面倒そうな仕草でようやく振り向いて僕を見下ろした。
「アレックス、煩いぞ、おまえはそうやっていつもいつも子供じみた綺麗ごとばかり言って、よくも飽きないものだな。
それを言うならおまえこそどうなんだ、ルイーズの言う通り、あの料理人がこの世から消えてなくなったことを、内心で喜ぶ気持ちがないと言い切れるのか?
少なくとも、微塵も悲しんでなどないくせに、そうやってありもしない道徳心を掲げて私を非難する資格がおまえにあるとでも思っているのか。
いい加減、自分に正直になれアレックス、あの男が死んで、おまえが感じているのは悲嘆でもなければ義憤でもない。純粋な歓喜だ。
アレックス、何ということだろうな、おまえの心は人が死んでいるにも係わらず、表面的な戸惑いと形ばかりの弔意の奥に、言い知れぬ喜びを潜ませているのだ。それも自覚ができるほど明確にな。
それを否定したいがために、或いは免罪符のためにこうして私に抗議をしているのだろうが……、アレックス、私にはお見通しなのだよ。子供の浅慮など、この私に解らぬわけがない」
「僕はそんなことを思ってない。僕は人が死んだことを喜んでなんかいない!」
「そう思いたいのならばそれでもよい。そういうことにしてやってもいい。私は寛大で、融通が利き、自分の感情の醜さを直視することもできない幼く拙いおまえのことを、この上もなく愛しているからな。
だからアレックス、今度もあの小娘を手放したくないという切なるおまえの願いを、私は聞き入れてやったのだ。幼い頃、おまえは私によく訴えていたな。それから乳母が退官するときにも。タティのことをやめさせないでと。違うか?」
「だからって妾って……、そんなのあんまり滅茶苦茶じゃないか。
僕はただ、タティとずっと一緒にいたいと思っていただけだよ。姉弟として育ったのに、大人になったら他人みたいになってしまうなんて、そんなの嫌だったんだ。
兄さん、彼女は僕の大事な家族なんだ。妹みたいなものなんだよ。兄さん、僕はタティにそんなこと……そんなことは望んでいないんだよ!」
「いや、アレックス。おまえはそれを望んでいたよ」