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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
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第177話 夕暮れロマンティシズム(2)

クライドは僕の王都赴任にあたって、まだ決定ではなかったが、僕について来ることになるような話になっていた。

しかし僕に仕えるというのは、赴任先が王都であるとはいえ、アディンセル家的には当主から離れる左遷扱いになる。だから何処の家の当主も、それを敬遠したい空気だった。

自分が陛下にお目通りできる立場になるわけでもない、所詮は見知らぬ土地で、ろくに部下もいない状態で、ひたすら若い次男の裏方に徹する仕事に過ぎないからだ。

だが自分が行くのは嫌だが兄さんが可愛がる僕に自分の子弟なり手下なりをつけて点数を稼ぎたい動きは大いにあって、その辺、牽制みたいなことが何度も行われていた。

で、結局フィーロービッシャー家のクライドということになりそうなのだった。彼は子爵家の次期当主だが、姉が兄さんの腹心をやっているため、隠居している老子爵に代わって現状誰もが彼よりジェシカを優先して話を通す。最初はクライドもまた若くて信用されないという面もあったのかもしれないが、それにしたって今となってはそれほどでもない。いつまでも姉の手下扱いさせられる彼に対する配慮もあったのだろう。

クライドは人当たりが良好で、僕の補佐をする体裁上の身分もあり、ほどほどの経験もあって、まあ押しつけられたのが結局なのだが、そういう話だった。

水たまりの残るサウスメープル市のメインストリートを歩きながら、僕の後ろを数名の騎士がついて来ることに、彼は感心していた。


「子供の頃は二十名以上ついて来たんですか」

「そう。ぞろぞろと、蟻みたいにね」


それから僕は、カイト以外に友だちがいないとは言わなかったが、同年齢の奴らが苦手だという話をすると、クライドもそれに同意した。

でも本当は大して同じ意見ではなさそうだと思った。僕は彼が社交的な人物だと知っていたし、彼の話題にはいろいろな人間がひっきりなしに登場するのに事欠かないからだ。

でも他愛のない話をしているうちに、彼のコンプレックスは何となく読み取れた。ジェシカに対するコンプレックスが……、彼女は正妻の娘とはいえ女だ。クライドは愛人が生んだ息子。男子だからフィーロービッシャー家の実権はいずれ彼に譲り渡されることになる。それでも、ジェシカは十三歳のときから兄さんに仕えていた。

ジェシカはその年齢帯のすべての名家の男子を抑えて、アディンセル家の嫡男である兄さんの側近に抜擢されるくらい優秀だったのだ。年齢が上がるにつれて、男子より明確に体力面が劣ってしまう女騎士が登用されるには、家柄と武芸に加えて何か付加価値が要求されることが多い。これはもう、彼女がいかに優秀だったかが分かる話だろう。

しかしクライドは、その前の世代に起こったこと、つまりフィーロービッシャー家の部下であるマイヤーズ家のギゼル様をアディンセル家に差し出した見返りとして、ジェシカが採用されたのだというようなことを匂わせていた。ジェシカの働きぶりからすると、必ずしもコネクション採用ではないと僕は思うのだが、彼はそう思いたいのだ。

クライドは今でも人生の様々の場面で、女のジェシカにはっきりと劣っていると、突きつけられ続けていることに腹を立てているように思えた。

でも彼はそれを表に出さないのだ。穏やかな笑顔で本心を隠してしまう。

それでも表情の片隅に、彼の話す言葉の僅かな隙間に、それが見え隠れしている。僕にはそれが何となく分かった。クライドは、見かけほど好青年ではないのかもしれない。

例えば彼は女性を見下すような発言をほとんどしない男だった。多くの男たちが非公式の場で、内輪の軽口で、平然と女を馬鹿にする言葉やジョークを好む中で、彼は進んでそれを窘めるような立場を取る男だ。

それでも、陽が落ちた飲食店通りを、平民女が道を歩いているのを見て、彼は彼女に親切に道を譲ってやってから、やがて気分を悪くしたような顔をした。

女が道の真ん中を歩くなんて許されないことだ。これはサンセリウスの常識だ。僕もそう思っている。貴族だろうが平民だろうが、そもそも女が一人で夜道を歩いている時点で、その育ちが知れるというものだ。だけどそれをはっきり言わない――、そう、僕らは単に、そういう種類の人間であるだけのことなのだ。

誰もが当然思っていることを、僕らもまた例外なく、思っている。

その後貴族専門のレストランで食事をし、兄さんのことや、ジェシカのことを話題にしていた流れで、カイトの話になった。彼が婚約をしたという話についてだ。


「おめでたいことではあるのですが、彼には悪いことをしたかもしれませんね。

あの結婚はもっと先のはずだったのではないかと、姉上は言っていました。血筋の保証がないカイト殿がウェブスター家周辺の者たちの信任を得るには、年齢と実績を重ねる必要があるだろうとね。

姉上の分析が正しいとは限りませんが、恐らく私の魂胆のせいで、デイビッド殿を警戒させてしまって……、時期が早まってしまったことは事実のようです」


照れ臭そうにクライドは笑った。


「しかし私に悪気はなかったのです。カイト殿の不遇を助けてあげたいという親切心があったことは信じてください。

私は養子でこそありませんが、当家では扱いは似たようなものでした。引き取られた愛人の子供が本妻に冷遇されることなど、よくあることではありますが……」

「冷遇か。どんなことをされるんだい」

「小さなことです。感謝祭の贈り物に、実子の姉上と差をつけられたり、靴を隠されたりね。姉上の髪は梳いているのに私には触りもしない。……、日常の細々とした、実に些細なことです。誰かに話しても大して同情もされないような。ある種の女の陰湿さは、外からは非常に分かり難くて巧妙……、おっと、少し愚痴が過ぎたでしょうか?」


僕は首を横に振った。


「ジェシカはその虐めに参加してた?」


クライドは苦笑いした。


「彼女はそういう人間ではないんですよ。こちらが頭に来るくらい、私に無関心でした。

でも義母が私の靴を隠していることを知ったときには、私に代わりの靴を買ってくれました。窃盗をはたらくとは恥を知れ、貴方は神の敵対者なのかと、姉上は泣いている私の味方になって、継子虐めをする自分の母親を非難もしてくれた。

今から思うと私のためではなく、若い正義感ゆえだったのかもしれませんが、それでも家族で私にそうした施しをしてくれる者は彼女だけでした」

「いい姉じゃないか」

「でも好意からではないんですよ。彼女は良識を実践しただけなんです。父上が彼女のそうした性格を褒めるからでもあったでしょう。正義感と、潔白さ。この子が男子でさえあったらというのが口癖で……、姉上の欠点は、まさに男子でないということだけだったのです。おかげで私はいつも惨めでしたよ。だから私は彼女の関心を自分に向かせようと、躍起になっていた……。

しかしカイト殿は、こんな私の経験が吹き飛んでしまうほど酷かったようですね。彼は多くを語りませんが、ヴァレリア嬢が義兄に靴を舐めさせる話は、密かに語り草です」

「カイトは親兄弟を殺されているんだ。デイビッドに」


僕はテーブルの上に運ばれて来た、鶏のグリルを見ながら言った。


「それはひどい」


クライドは少々大仰に同情を示した。でも彼はそんな事情はとっくに知っているというような様子でもあった。知らない振りをして、たぶん僕を立てたのだ。

こういう機微が、僕とクライドの違いであり、僕が大人になり切れていない所以なのだろう。


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