表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
173/304

第173話 君のいない人生(1)

いったい何が不満なんだと、世の中の男たちは言うだろう。

僕だって当事者でなかったならば言っただろう。

目の前にいるのは素晴らしい美人だ、気がつかないようにしていても、シエラが歩けばかなりの確率で男たちが振り返る。シエラに注目し、羨望と妬みの眼差しを僕に向ける。ぽかんとだらしなく口を開ける者もいる。こういう体験は兄さんで散々味わっているのだが、その男版は非常に胸がスカッとする。どの年代の男もシエラには特に親切だ。棒切れを持って外で遊んでいるような少年たちですらシエラには見惚れているし、年配者たちもシエラをみつけると嬉しそうにする。兄さんは着せたら似合うだろうなんて言ってシエラに宝飾品や衣装を買ってあげているし、となればその周辺の奴らだって言わずもがなだ。赤楓騎士団内には、シエラのファンクラブが発足されたなんて話まで聞こえて来ている。

そして彼らが思っていることは手に取るように分かる。いったいどうやってこんな美人を手に入れたんだ? 上手くやったな。そのとき僕は大抵とても鼻が高い。連れている女で男の価値を測る人間は多いからだ。僕は上等な姫君を自分の女にしている上等な男と思われるので気分がいい。

不満があるわけじゃないのだ。

僕はシエラを断れるような、そんな贅沢が言えるような顔をしてるわけじゃない。これ以上の女は自分の人生には望めないだろうと、急いで掴まえておこうと思う心情だって分からないわけじゃない。

僕は執務机に頬杖をついた。僕の机より数段年季が入った重厚な机だった。慣れない机の上は片づいていて、今は特に物珍しい物は何もない。

間もなく横にいたシエラが同じようにして、頬杖をついて僕に微笑んだ。彼女は別の場所から椅子を持って来て、机の横のところに座っていた。


「お暇ですね?」

「うん、まあそんな日もあるよ。今日は雨だし」


僕らはその日も兄さんの執務室にいた。広く、そして重々しい部屋だ。かつてお懐かしい父上が使い、その前の伯爵が使い、というように代々のアディンセル家の当主が使っている部屋だが、何と言っても目に焼きついているのは先日のゲイリー一味の虐殺現場としてである。

この部屋はしょっちゅう、ああいう兄さんの横暴の犠牲者たちが死んだり血だらけになっている場所かと思うと、ちょっと具合が悪くなるのだが、意外にも室内の空気は清浄だった。ルイーズは魔術師でありながら神聖魔法を扱える。怨念に対する魔法による排除行動の中でも上級の手段、エクソシストのような仕事ができるというわけだ。

机の引出しにラブレターの類でも入っていないだろうかと、調べてみたい気がしていたが、人の机の中身を見るのはちょっと気が引けるのでやめておいた。

兄さんの主要な部下たちは出払うか、ホリーホックに行っているので、今は室内には特に誰もいない。僕に意見したり、怒る人間が誰もいないから、シエラが遊びに来るというようなことになっているのだが。

窓の外には、春雨がしとしとと降っている。

兄さんが……、赤の他人が生まれ育ったホリーホック城に出入りしている気持ちはどうか、なんて聞けるはずもなく、僕らは指輪の話をした。先日、おそろいの指輪は結局宝石商の用意がなくて買わなかったのだが、シエラはどうもそういうのが欲しいようだ。

指輪が欲しいなら何個でも買ってあげることは構わないが、おそろいというのが少し躊躇われた。

恋人や夫婦でもないと、おそろいの指輪なんてしないものだ。


「シエラは誕生石はトパーズ……、だっけね」

「ええ。でも私、本当はエメラルドがいちばん好きなの。だから……、守護石にできなくて残念」

「したらいい。何でも好きなのを買ってあげるよ」

「嬉しい。そうだわ、ねえ、アレックス様はどの宝石がいちばんお好きですか? ギルバート様は、ムーンストーンがいちばんお好きなんですって」

「ムーンストーン?」

「意外だったわ、だって、ギルバート様はやっぱりダイヤモンドだと思ったの。ゴージャスな彼にはいちばん似合いますし」

「へえ、兄さんが……、そんなこと、彼はとっくに忘れてると思ったのに」

「何をですか?」

「いや、何でもないよ。僕もそうかな、ムーンストーンがいちばん好き……」

「まあ。アディンセル家の男性は、ムーンストーンがお好きなのね」


シエラは少し考え深げにして、それからまた微笑んだ。


「ムーンストーンは旅人を護る石なんです。それにムーンストーンには、遠く離れた恋人を結びつける力があるって言われているんですよ。愛する人に持たせておくと、お月様が二人を引きあわせてくれるの」


今回の国内騒乱の一端として、実の兄を処刑されたばかりのシエラだが、日中、その振る舞いは僕が心配していたよりもずっと元気だった。

きっと彼女なりに周りに気を遣っているのだと思う。ロベルト候がその地位を追われ、処刑されてしまったことによって、彼女は侯爵家の姫君という身分を失ってしまった。

だからと言ってここでのシエラの扱いは僕の婚約者待遇なので、暮らしに別段変化があるわけではなかったが、生まれてこのかた姫君として生きて来た彼女にとっては、候女でなくなってしまったということは、自分の中の大切な人格の一部をもぎ取られてしまったような、酷い喪失感があるに違いない。

そして何より実兄を失ったダメージは、想像を絶するものだっただろう……、だからきっと痩せ我慢をしても、毎晩ベッドの中で泣いているに違いないと思うが、僕はシエラの寝室に押しかけてまで彼女を慰めたいとは思わなかった。

何処に連れて歩いても自慢できる美しいシエラのことを、妻に迎えること自体にそれほど抵抗があるわけじゃない。

それが主君である兄さんのご意思だと言うなら、僕はそれに逆らうつもりはなかった。でも自発的にこの関係を進める気持ちにはなれない。

まず何よりもタティのことがいつも胸の中にあって、他の女と楽しくやっていこうなんて気持ちには到底なれなかった。ルイーズはアレクシスから人生を奪ってしまったと言って、その後の自分の人生に自分で大きな制約をかけてしまう暮らしをしていた。それが人として正しい行いだとするなら、僕もまた、そうするべきではないのかと……。

それにカイトがシエラを好きだということも、いつも頭の隅っこに引っかかっていた。カイトは僕に遠慮して、気持ちさえ打ち明けようとはしないのだが、好きな女が他の男の物になるのを目の前で見せつけられる苦痛とは、どれほど計り知れないものだろうか?

僕はそうした苦痛をカイトに与えるのは嫌だった。トバイアがやっていた凌虐と、同じことではないとしても、同義に語られていい範疇の横暴ではないだろうか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ