第171話 勢力図の刷新(4)
「オーウェル公子のことは……、彼は本当にトバイア様を手にかけたのでしょうか?」
「何故、そのようなことを思うんだねアレックス?」
兄さんがふと僕の目を見て真意を探りたい様子だったので、僕は主君である兄さんに対し、姿勢を正して真摯に応じた。
「いえ、僕は彼のことはよく知らないのですが、でも少なくとももっと計算高そうな印象があったものですから。父親を殺せばどういうことになるか、そのくらいのことが……、見えなくなってしまうような事情でも、あったということなのでしょうか……」
僕は言いながら、しかし僕もまた極めて私情によって兄さんを殺そうと彼の寝室に向かった夜のことが思い出され、語尾が少し弱くなった。
兄さんは軽く肩を聳やかした。
「思春期男子の破壊衝動たるや激しく、ときに未成熟な理性を食い破るものだ。彼は気性が激しいからな、抑え切れないものがあったのだろう。……と、私も表向きには語っているが、ここはおまえにも話しておくか。
実際はおまえの推測通り、彼は国家によって排斥されることが決定したのだよ。公子の肩を持つならば、奸計に陥れられたというわけだ」
「陛下が、オーウェル公子を切り捨てられたということなのですか?」
「そうだよ」
涼しい顔で兄さんは言った。
「無実の父親殺しの嫌疑をかけられたと?」
「それは違う」
「では……?」
「アレックス。奸計に陥れられたと言ったので、おまえは勘違いをしてしまったようだね。しかしオーウェルは実際にその手で父親を殺害してしまったのだよ。
愚かな彼は……、残念なことにくだらん計略にあっさり引っかかった。君権によりウィシャート家が潰されると聞きつけ、父親の首を差し出して陛下に許しを乞おうとしたのだ。愚かなことだよ。謀反人を処罰して陛下に首を献上することとは訳が違う。父親殺しは我が国の根底思想を揺るがしかねない大罪ということも判断できん、可哀想な子供だったということだ。
そんなことをするくらいなら、まだフレデリック殿下の靴の裏でも舐めて見せたほうが、ましだっただろうな。全体を一言で言い表すとすれば、只それだけのことだ」
「兄さんは、それを知っていて彼を助けなかったのですか?」
僕が言うと、兄さんは意外そうな顔で僕を見たが、すぐに表情を戻した。
「そうだよ。アレックス、私は陛下に仕える臣下の一人だ。だから陛下に疎ましく思われている者の味方をすれば、その累を被るはめになる。
かつて我がアディンセル家が同じような立場にあったとき、ほとんどの領主は我らに背を向けた。不幸を伝染されてはなるまいという態度を取った。だがそれを責めることはできないのだ。我々はそれぞれが、多くの領民の命運を与りし守護者なのだ。誰かの失態の道ずれにされるなどという間抜けなことに、巻き込まれるわけにはいかないのだよ。
オーウェル公子のことは私とて勿論哀れに思う、誰よりも哀れと思うが――、私には彼を助けられるだけの権力がない。かつて老王と親しく意見を戦わせることができた伯父と甥の関係、トバイア公のポジションにある者は今はない。
フレデリック王子もまた、出自の問題で未だ陛下の御前に伏するばかりの御可哀想な立場なのだ。これは、仕方がなかったと言う他はないのだよ」
「そうでしたか……」
兄さんは優しい顔で頷いた。
「すみません、僕は、兄さんのお心も知らず、オーウェル公子を助けなかったのかなんて、責めるようなことを言ってしまって……。
兄さんだって、未成年の公子様を救えないことで、きっととてもおつらかったはずなのに……」
「構わないよ。アレックス。おまえは優しい子だな……」
「い、いえ、そんなことはないですけど……」
そして兄さんは僕を見て笑い、その眼差しに慈しみがあることを知って僕は少し目が潤んだ。兄さんはいつでもこういう目で僕を見ていたのだ。僕が兄さんに文句を言っているときも、鬱陶しいと思って邪魔にしているときも。
それを誤魔化すために僕は慌てて話を変えた。
「そうだ、兄さんは、来月にも侯爵ですね」
「ああ、そうだよ。我がアディンセル家の領地はこれで七つになる」
兄さんは頷いた。
「だからこれから忙しくなる。おまえも心しておきなさい。ウィシャート公爵家と運命を共にしなくとも済んだとはいえ、我らには未だ反王子派のレッテルが貼られている。陛下の信任を確かにするまで、しばらくの間はかなり厳しい状況に立たされることになったのだ」
「はい」
ウィスラーナ侯爵の失脚とそれによる領地分配の際、アディンセル家はウィスラーナ家が領有していたうちのもっとも重要な領地、つまり国境を新たに授けられることになった。
それによって兄さんはこの度新しく西部国境ランベリー領に付随する侯爵位を射止めることになったのである。
けれども兄さんは確かに国境を与えられ、そのために侯爵となることになった一見すると今回の一連の出来事におけるいちばんの受益者であり栄転にも見えるのだが、ひとつ見方を変えると、これは資源や資金の消耗の激しい国境という難所を、体よく押しつけられたということでもあった。
隣国フォインは長年の敵対王国であり、国民性は獰猛なことで知られていた。アディンセル家が反王子派だったことを理由に、監視のためという名目で引き続き中央軍の長期駐留があることも予想される。
そんな状況で、兄さんは昇格という大きな栄誉に見合うだけの忠誠心と、領地運営と国境防衛の両立という、高度な統治能力を衆人環視の中で延々と試されることになったというわけだ。
親から受け継いだのではない土地、しかも国境を与るということがどれほど過大な重責となるか、僕には想像もつかないが、戦時ではないと言って安穏としていられるこれまでの生活とは、一線を画する生活になるということだけは確かだった。
国王陛下はお髭を蓄えた只の老人ではなく、昔の時代を輝いていた過ぎ去りし日の英雄ではなく、我が子を守るためならばなりふりの構わないことを、優雅にやってのける老練なる策士だった。
陛下が相手となるや、あのトバイア公もあえなく血の海に沈んで行った。
これらの一連の出来事において、誰が真に勝利者であったかについては、後世の歴史家の意見を待つまでもなく僕にも分かるような気がしたが、そうでなければとても国家君主など務まらないのだろうと思った。




