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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
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第169話 勢力図の刷新(2)

それからフィエールは咳払いをして、幾らか緊張した様子で手帳を取り出した。


「本日の日程を申し上げます」


一応は従兄弟同士なんだからそんなに畏まらなくてもいいのにと、僕は何度か彼に話をしているが、彼は聞き入れなかった。

身分社会における序列とは絶対なのだ。僕は今のところ身分だけが取り柄の、若くて経験が無いに等しいほど浅い者だが、それでも何か、少しくらいは何か内容があるかのようにしていなければならない。

僕はフィエールを、兄さんが部下にやるように偉そうに促した。フィエールはそれに応じた。初々しいと僕が言うのもどうかと思うが、とにかく緊張が添えられながらも単調に読み上げられる彼の手帳の中身を聞きながら、僕は執務室の机についていつものように目の前に用意されている数社の新聞に目を通した。

カイトはここ二週間ほど、ローブフレッドを留守にしていた。彼はデイビッドについて、ウェブスター家に出かけていた。

実家に帰るという言い方は、カイトの場合は相応しくないだろう。本人もあそこは自分の家じゃないと言い切っていたし、だから出張中だ。


「それで、じゃあ向こうで簡略に婚約だけ済ませると。婚約式とかはなしなんだね。指輪って君が買ったの? 婚約指輪」

「ええ、まあ、ルビーのやつを」


カイトの出立直前、僕らはそんな会話をした。


「へえ、ルビーか。なんかヴァレリアっぽい誕生石だね。そう思わない? なんかヴァレリアのイメージにぴったりだ」

「俺が思うことは、ダイヤモンドじゃなくてよかったってことですかね」

「彼女にだけ指輪を贈る? それとも君も一緒にするの?」


カイトは微妙な顔をして答えた。


「一緒」

「すごい。おそろいの指輪か。じゃあ世間公認の婚約ってわけだね」

「高くついちまってもう……」

「有り金全部はたいた?」

「安物を買われても困ると男爵様に言われていましたので、まあ……」


いつもなら内心の気持ちをそう表情に出したりしないカイトなのだが、そのときは会話も滞りがちで、顔面蒼白に近いような感じだった。彼としてはかなりの金額を使ってしまったということもあるだろうが、自分が婚約するというのに、笑顔が一切出ない人間を僕は初めて見た気がする。


「何だよ、それじゃあまるで罠に嵌められたみたいじゃないか」


せめて励ましてあげようと思った僕は、笑って、上手いジョークを言ったつもりだったが、カイトはじっとり僕を見ただけだった。

そのまま蒼い顔をして出立していくカイトを見送るとき、僕は彼の背中を目で追いながら心の中でこう思ったのだ。生きて帰って来いと。勿論それは冗談だ。本当は、青ざめるほどヴァレリアと結婚するのが嫌なら、もうシエラのことが好きだと大声で言ってしまうべきだと思った。

言えないのがつらいところだということは分かっている。

これを機会にヴァレリアが正式にカイトの婚約者という位置づけになるようだ。それでも相変わらず彼女には虐げられることだろうが、確実に季節は変わっていたのだ。


「鉄の値段が上がっているのはいいことだね」


新聞の相場欄を見ながら僕は言った。


「アディンセル家の資産が増える」

「鉄ですか。きな臭いことがなければいいのですが」

「戦争の話は聞かないよ。貯め込みすぎないで内需を拡大するといい。領内に金をまわすんだ。ああ、南部の金鉱は結局陛下が押さえられたそうだね。旧バルフォア王国の。ほら、ウィシャート公爵が独占していた。あそこは直轄領からは遠いのに……」

「旧バルフォア王国と言えば、今もって独立運動が盛んだそうですね。辺境へ追いやった彼らの自治権を潰したのがトバイア公だったのでしたね」

「そうだ。でもそれは仕方がないんだ……、占領されてなお、連中はサンセリウスに反抗的だ。

トバイアは彼らを三等市民扱いしていたそうだが、僕はあの公爵のことは吐き気がするくらいに思うが、それについては仕方がないことだよ。我らが陛下に忠誠を誓わない連中を、サンセリウス人と同等に扱うことはできない。サンセリウス王の権威を否定する者たちに人権を認める必要もない」


フィエールは僕を見た。

僕は微笑した。


「酷いことを言ってるって、思うかい。でも意外と僕はこういう考え方をする人間だったんだよ……。

名門貴族の男子として、知らず知らずにそういうふうに教育されて来たんだから当然なんだけど、本当の僕は……、平民の生命なんか虫けらだと思うことに努力なんか要らない人間だったんだ。まして敵性国家の人間ともなればね。だからこれから先もこのやり方で行けると思ってる」


フィエールは静かに僕に賛意を示した。


「貴方様は面差しは私の叔母である母君様に、そしてご性格は父君様にそっくりだと言われておりましたが……、こうしてお話をしていますと、やはりギルバート様にいちばん似ていらっしゃるのかもしれませんね」

「それって僕が、残酷だってこと?」

「いえ……、でも誰かがその判断を下さねばならないものです。心を配って優しさを振りまくことだけが、正しいこととは限らない」


少し間があって、フィエールが話題を変えた。


「ウィシャート公爵家の件は、とても驚きました。

ギルバート様配下の諜報関係者の間では、オーウェル公子や周辺の詮索が本格的に始まっていたそうです。十六歳の公子様を陥落するための。

しかし、ギルバート様は身内にすらぎりぎりまでこの情報を明かさなかったようですね。本当に、大した方です」

「うん、そうだね……」


僕はそう言って、再び新聞に視線を戻した。

そこには最近連日のように新聞紙面を賑わせているフレデリック王子の十七回目の生誕を讃える記事と、ウィスラーナ侯爵の処刑関連、それに不幸にもウィシャート公爵がその息子の手によって殺害された記事があった。それを静かに読みながら、一見するとまったく無関係にも思えるこれらの出来事が、すべて繋がっていたことを感じていた。


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