第168話 勢力図の刷新(1)
反省点はどっちにも平等にするという大原則を破ったことだ。妹を二人持っていたカイトが言うには、もし女の子同士がつまらないことで争っていたとしても、絶対にどちらかの肩を持っては駄目だということだった。
恐らくあれは、僕とシエラがおそろいの指輪を買うのではなく、シエラとハリエットにおそろいの指輪を買ってあげるという話に持って行くべき場面だったに違いない。それが模範解答であり、模範的な男の採る選択肢だったのだろう。何故なら女性はお金が好きだからだ。おそろいの値の張る指輪をあげれば二人とも嬉しくなって仲直りしたかもしれないのに、僕はつい焦って、ちょっと失敗してしまったようだった。
そして僕は少し疲れて、朝から執務机に伏していた。
こんな面倒なことに巻き込まれたことと言うのも、このての問題処理係のカイトがいないからなのだ……。と言っても、彼も適当な仲裁を入れるのがやっとのようなのだが。
僕にはそもそもシエラとハリエットの折り合いが悪い理由がよく分からない。勿論、タティのことで怒っているハリエットが、シエラを気に入らない理由は当然分かっているが、でもそれは八つ当たりのようなものだし、シエラがハリエットと仲よくしないのは意味が分からない。
二人とも魔法を扱えるから共通の話題だってあるだろうし、女の子なんだし、女の人はあんまりいがみあうのは似合わないと思うので、仲よくすればいいのだ。
「王都への出向の準備はいかがですか」
不意に朝から書類を届けに来たジェシカが、僕にたずねた。
僕は机から上体を起こしながら応えた。
「うん、まあ。荷物のほうは何とかね。もっとも配属先がまだ不確かなので、心の準備はできていないんだけど」
「急にお話が動きましたものね」
「そう。僕が都会でやっていけるかなと思ってね」
僕は頬杖をついた。
「大丈夫ですよ。ギルバート様が住まいから生活全般、使用人、王宮における立場まで、アレックス様のために何もかもきちんと手配してくださいます。貴方様は何もご心配されることはありません。ご自身の個人的な荷物以外のことは」
心得顔でジェシカが言った。
僕は軽く肩を竦めた。
「王宮での立場については、有難いことこの上ないけどね……。
ねえ、住まいって、それってつまり王都の伯爵邸に住めってことだよね? 自分の目の届くところに」
「そうです」
「ときどき僕が王都に行くとき使ってる部屋を使うのかな」
「あのお部屋は言わば子供部屋です。一人前の成年貴族である貴方が本格的に拠点とされるには、内装も規模としても少々不釣り合いと存じますので、現在別のお部屋を修繕させています。
今回、アレックス様は伯爵様の名代として王都に赴かれるわけですから。貴方様も今後はいよいよ責任あるお立場になられるのですよ。国王陛下にお仕えするのです」
「責任か……」
「そうです。私はその言葉が大好きです」
ジェシカは微笑を浮かべた。
「ですからどうぞご安心を。ギルバート様に申し上げるほどではなくとも、何か小さな疑問点、お困りの点があれば何なりと私にお申しつけください」
「君が僕の問題を片づけてくれるって?」
「はい。伯爵様にはそのように申しつかっておりますので」
僕は何となく頭を抱えた。そんな責任ある立場の成年貴族である僕が、何もかも兄さんたちに手配して貰うのでは、何だか少々話がおかしくないのだろうか。兄さんはきっと僕を寝かせておく揺りかごまで準備してくれるつもりに違いない。
「シエラ様とはいかがです」
唐突にジェシカは言った。
「え? ああ、まあ、普通に仲よくしてるけど」
僕が視線を上げると、ジェシカは曖昧に頷いた。だがよく見ると、赤いルージュの口元が笑っていない。
厳格な彼女のことだ、もしかするとエステルの件で僕を見損なったままなのかもしれないと思い、僕は慌てて言った。
「何もしてないよ。だってほら、僕って真面目だし、それに幾ら結婚相手と言っても、初夜まで何もしないのが高貴な女性への礼儀であり、暗黙のルールだろう。
シエラは由緒正しいウィスラーナ家の令嬢だし、僕はそんな……反モラル的なことは一切。花嫁の処女性は重要だからね」
ジェシカはまた頷いた。
「左様です。高貴な方に捧げられる女の処女性はとても重要。
貴方様が堅実なお考えの持ち主で、それはようございました。これは伯爵様も一安心なさいましょう」
「兄さんが?」
そこへ、慌ただしくフィエール・マイヤーズが僕の執務室にやって来た。
彼は入室と同時に敬礼し、それからやや慌てたような素振りが、ジェシカに対して向けられたのだが、彼女はそんなフィエールに親しみを向けることはなかった。
それまで僕に向けていた穏やかな態度とは一転して冷徹に彼をひと睨みし、小言を言った。僕に対して粗相のないようにしろとか、そういう内容のことのようだ。そして僕にだけ敬礼してそのまま退室して行った。
フィエールは小さくため息を吐いてから、僕のところにやって来て改めて礼をした。
彼は現在留守にしているカイトの代理の秘書官だった。マイヤーズ家は代々フィーロービッシャー家に仕えている家柄なので、フィエールにとってジェシカは直属の上司となる。
マイヤーズ家は現在母上の……、ギゼル様の兄が当主をしている。彼に爵位はないのだが、この度の昇格人事及び新規叙爵が行われる際、アディンセル家の当主である兄さんにとって親族であるマイヤーズ家は男爵位を授けられることが内定している。
フィエールはそこの次男だ。現在二十八歳、兄さんの母方の従弟に当たる。でも身分の差がありすぎること、それにマイヤーズ家がフィーロービッシャー家に遠慮していることもあり、親戚づきあいはほとんどない。僕は伯父上以外のマイヤーズ家の面々をほとんど知らなかったくらいだ。
「おはようございます」
フィエールが実直に言った。黒髪の精悍そうな男だ。もっとも容貌的には平凡だった。兄さんのように妖艶な美貌の男という片鱗もないし、兄さんのように愛想もよくない。
それどころか、振る舞いが何処となく大胆と言えばいいのか、端的に言うと頭に寝癖をつけていても平気な性格のようだ。今も髪が変な方向に立っている。大雑把さは兄さんと共通項かもしれないが、こちらはかなり物ぐさな大雑把さと言うのか。だから黒髪というところ以外は兄さんにはあんまり似ていない。
僕の視線が自分の寝癖を捉えていることに気がついたのだろう。フィエールは髪の毛のはねた頭を押さえながら、僕に苦笑いした。僕の目の前で、朝からジェシカに説教を食らってしまったこともあっただろう。
「ジェシカはきっとその寝癖が頭に来たんだと思うよ。一応ここってアディンセル家の城だから」
「はい、すみません。……私はさっそく減点でしょうか」
「いや、僕はどっちでも。兄さんも基本的に男の身なりなんて見てないと思うし、どうでもいいと思うけどね。中には気にする人もいるって話」
「私はどうにも無精者で、鎧を着込んでおく以外の服装が、どうすればいいのか分からずで。お恥ずかしながらジェシカ様には連日叱責を。ここはさすがに身なりをきちんとされた方が多く、肩身が狭いです」
「フィーロービッシャー家ではどんな任務についていたの」
「最初は父について見習い仕事をしていたのですが、ここ何年かは街道警備を。治安維持要員の一人として、各地を定期巡回していました。賊を狩るのです」
「街道警備?」
「はい」
フィエールは頷いた。
「ああ、そうか。君が隊を率いていたんだね?」
「いえ、違います」
「違う? それじゃあ思いっきり下っ端仕事だ。少なくともマイヤーズ家の人間にさせる仕事じゃないだろう。街道警備なんて。それは酷いな、伯父上の命令なのか?」
「いえ、クライド様の命令です。彼には父も逆らえません」
「クライドの? 何か大失敗したの?」
「いや、失敗なのか……、もともと私は彼に疎まれているのです」
フィエールは何とも言い様のない表情でかぶりを振った。
「クライドはかなりお洒落だから、寝癖が許せなかったのかな……」
僕は呟いた。もっと話を聞きたかったが、フィエールはそうではなかったらしく、話がそこでいきなり終わったからだ。彼はあまり口数の多い人間ではないらしい。




