第167話 両手に花とはいかなくて
そこにノックがして、笑顔のシエラが室内に入って来た。
「おはようございますアレックス様。私、今日はね……」
彼女は相変わらず人目を惹く美しさだった。流れるように長い髪を揺らして、たおやかで清純な、育ちのいい少女の気配。
シエラは美しい少女だった。譬えるなら静かな雨上がりの庭のような風情があった。水滴を帯びた木蓮の花のような気品があった。上等の素敵なドレスを身につけていないときでも、品のよさは常に彼女と共にあって、僕のような男の目を惹きつけた。
しかもそれが、どうしたことか僕に好意を抱いている。女性に好かれているとなれば、男としては当然悪い気はしない。そればかりかこんな美人が僕なんかでいいんだろうかと、光栄すぎて怖くなってしまうほどだった。
となればその綺麗な顔を見るために、僕は抵抗もままならず思わずそっちに目が行ってしまう。これはもう習性のようなものだ。ついでに言うと、シエラの胸元はふっくらとしていてなかなか悪くないこともあった。ハリエットがぴくりと眉を動かした気がしたが、それは僕にとっては物の数に入らない。すぐに視界の端に流れて行ってしまった。
「おはようシエラ」
しかし弾むようだったシエラの笑顔が、間もなく少し引っ込んだ。それは執務室に、ハリエットの姿があるのをみつけたからに他ならなかっただろう。
僕は、自分にすら一人しか友だちがいない有様なので、女の子同士の人間関係がどんなふうかなんてことを、詳しく把握できないのだが、この二人は年齢が近い割に、どうも、あんまり友だちじゃないような感じだった。
シエラとハリエットは明らかにお互いを見たのだが、彼女たちはとうとうお互いに朝の挨拶を言わなかった。
シエラは再び僕に顔を向け、すぐ執務机のところに立っている僕の側に近寄って来た。甘い香水の香りがする。それから僕を見上げて微笑んだ。
「今日ね、アレックス様がお暇だったら、一緒に髪飾りを選んで頂きたいの。ギルバート様が私にプレゼントしてくださるんですって。
一昨日、お夕食をご一緒したときにお約束したでしょう。それで、午後から宝石商を呼んでくださるって。そのとき、アレックスも呼ぶといいって」
「ああ、そうなの? いいよ」
「無駄遣いね」
ハリエットが、窓際で腕組みをしながらいきなり言った。
「領民が汗水たらして納めた税金を何だと思っているのかしら。貴方の髪飾りのために働いているわけじゃないのよ」
「ギルバート様は鉱山をお持ちなのよね」
しかしシエラはハリエットには応えず、また僕に微笑んだ。
「女性に贈り物をするのがお好きなんですって……」
「うん、そうなんだ……、兄さんは結構そんなタイプ……」
「あらそう元候女様は、小領主の娘なんかとは口をきかないってわけなのね。プライドだけは一人前。いい度胸じゃない。すごい性悪」
するとシエラは僕の服の袖をぎゅっと掴んで、怯えた顔で囁いた。
「なぜ彼女は私に意地悪なの……?
貴方に仕えている人が、どうして私にあんな意地悪を言うの……?」
「えっ? いや、きっとあの、ハリエットは……、そう、疲れてるんだ。つまり勉強が忙しくて。普通の教養課程以外に魔術の勉強してるから……、悪気はないんだよ。たぶんそういう年頃って言うか……。
君がハリエットと仲よくしてくれたら助かるんだけど……」
「……それは難しいです。だって、彼女は私のことがお嫌いみたいなんですもの」
「いや、そんなことないよ。あれって緊張してるだけじゃないかな」
「それに、もともとは私がアレックス様とカイトさんの仲間なのに……。
姫君にいつまでも労働をさせるわけにはいかないって、ギルバート様が自由な時間をくださったのは嬉しかったわ。花嫁修業をするのはとても有意義な時間よ。感謝だってしています。でも、後から来たあの人が、ここで大きな顔をしているのは何だかちょっと悔しいの。
彼女はまるで光の王女様を邪魔者にして、お城から追い出そうとしている闇の魔女みたい……。
ですからアレックス様、お願いよ、私よりハリエットさんと仲よくなったりしないでくださいね」
「ああ、うん」
「アレックス様もそうじゃありません? 女性に贈り物をするのがお好きなの」
僕の背中の向こう側で、ハリエットが一転して妙に好意的な声で言った。
僕は慌ててハリエットを振り返って、彼女に笑顔を作った。
この何とも居心地のよろしくない状況を、どう対処したらいいか分からないのだが、僕はとにかくそうしなければならなかったからだ。
「ああ、うん、まあ、嫌いじゃないかな。
ハリエットにも好きなの買ってあげるよ。二人とも、一緒に来たらいい。
ねえ、なんて言うか二人とも今からちょっとそう、一緒におやつでも食べて来たら。そうすればきっと」
しかしハリエットは僕の言葉には応えず、またシエラを見ながら言った。
「でも彼、大切な女性にはまず指輪を贈るのよ。ご存知だったかしら。それがアレックス様の愛する女性に対する厳格なルール。どうでもいい女には、そうではないと思うけど。
なのに何処かの誰かさんは、頭の中がお花畑で本当に羨ましいわ。いつだって自分のことしか考えてないんだから、呆れて物も言えない」
するとシエラが困った顔をして、ハリエットではなくまた僕の腕を引いて言った。
「そうなのですか?」
「えっ? いやっ、えっと……」
「私は自分のことばかり考えているかしら。
それに貴方にとって、私はどうでもいい女なのですか……?」
「そ、そんなことないよ。シエラは……」
「大切?」
「う、うん、まあ」
シエラは笑顔になった。
「よかった。では、私にもちゃんと指輪を買ってください。後で一緒に、選んでくださいね。
私、二人のおそろいの指輪が欲しかったの。いいですか?」
「えっ、ああ、そうだね……、いいよ……」
「嬉しい」
「何よそれ……、そんなのってっ!」
ハリエットが、いきなり背中のほうから金切り声で叫んだ。
「えっ?」
「不埒者っ! 最低っ! 優柔不断っ! アレックス様、貴方って史上最低だわっ!」
そしてブロンドの髪を揺らし、大股で執務室を出て行ってしまった。
「待ってよハリエット、君も指輪を買って欲しかったのか……!? 高いやつ……」




