第165話 赦し(3)
ハリエットとどうつきあっていいか分からないことと同じかそれ以上に、僕はルイーズにどう接していいか分からないでいた。
ルイーズがそのようにしている通り、何事もなかった顔で接すればいいのか。でも僕はルイーズが、本当は僕なんかよりショックを受けていないなんて思うほど、自分勝手な人間ではないつもりだった。
でも僕は何と言ってルイーズに詫びたらいいのか分からずにいたのだ。僕は酷いことをしてしまった。とてもとても酷いことだ。
いつか初夜権だと言って女性をさらって来ている兄さんを目の当たりにしたとき、僕はああいうことだけはするまいと自分に何度も確認をしていたし、絶対にしないだろうという自負もあったのに。
ハリエットが日頃僕に向ける非難の視線は、僕のタティに対する仕打ちに抗議してのものだ。ハリエットはタティのことで怒っている。ルイーズとのことを、ハリエットはまったく知らないだろう。
だけど僕にはそれさえも非難されているように思えていた。実際根っこは同じだった。女性を軽く扱ったという非難の眼差しだからだ。穢れを知らない少女であるハリエットに、まっすぐな強い眼差しでそれを訴えられているのが、僕の罪悪感をまるで首を絞めるような強烈さで締め上げていた。
ルイーズの至って冷静な態度もそうだった。感情的になって喚き散らして欲しいのに、口汚く僕を責めて、僕に謝罪を要求するくらいのことをしてくれれば僕だって救われるのに、彼女が何を優先しているかと言えば、たった今だって罪悪感に苦しんでいる僕の気持ちを守ることを優先しているのだ。
彼女だってアレクシスのことでは、心に少なからず傷を抱えているはずなのだ。自分がそうされたわけではないにしろ、実姉があんな酷い目にあうところを、目の前で見せられ続けたルイーズの精神は確実に参っているはずだったし、男性恐怖症に陥っていたとしてもおかしくないレベルのダメージを受けているだろう。
それなのにこんな思いやりがあるだろうか? 彼女は自分が味わった恐怖や僕にされたことに対する怒りや嫌悪感を僕に向けるより、僕への配慮を優先している。
責められても、守られても僕は苦しかった。
僕にはまったく何をどうしていいのかすら、分からなくて泣きたかった。あんなことを本気でしたいと思っていたわけじゃなかったし、女性の尊厳を踏み躙っていいと思っている男でもないことを言いたいのだが、そんな話をしてどうしてルイーズがそれを信じてくれるだろうか?
ハリエットが僕を非難しているのは、多感な少女が僕の内側にそういう野蛮なものをみいだして、それでそういうふうに僕を憎んでいるからなのではないのだろうか?
ハリエットが僕に対して抱いている残酷な男になりきることもできなければ、ルイーズが僕を責めないのをいいことに、何事もなかった顔をして暮らせる厚顔さも僕にはなかった。
「アレックス様……、ねえ、もう許してあげるわ」
ふと、繊細ぶっていて実は誰よりも独善的なナルシストに過ぎなかった青年の頭上にルイーズが言った。
僕はルイーズの顔を見ることもできずに、彼女の手を肩に乗せたまま、うなだれていた。
「未遂だったし。だからそう、私を見るたび泣きそうな顔をするのはおやめになって。
未遂なら許されるということでもないけれど……、貴方が死ぬほど反省しているのは理解しているわ。できれば暗黙で調子をあわせて、なかったことにしたかったのだけど……、貴方、そういうことができないタイプだったわね。
同情する点を挙げるとすれば、あれはタティの死の宣告を聞いた晩のことだった。それに……、頭が普通じゃなかったんですものね」
僕は身体を小さくし、迷子の子供のように情けない気持ちで頷いた。こんなふうに物事に理解や同情を示せる寛大な女性が、悲鳴をあげて嫌がることをしようとした僕は、結局オーウェル公子にゴミと罵られても仕方がない人間だったのではないかと、そんなふうに思えたのだ。
ルイーズは続けた。
「だからもう、ここではっきり終わらせておきましょう。貴方が二度としないと誓ってくれるなら、あの夜のことを水に流してあげるわ。今日限りで、この話は永久におしまい。
ねえ貴方、もう少し背筋をぴんと伸ばして。もっと胸を張って歩いてご覧なさい。ちょっと猫背になっているけど、そうすると、それだけで随分違うから。
貴方さえその気になれば、今だっていい感じの貴公子なのよ。背丈もあるし、ちょっとギルバート様に似ているところもあるし」
「兄さんに似ている? 本当かな……」
ルイーズは頷いた。
「ええ。そっくりだわ。だから貴方はもっと自分に自信を持っていい」
「うん……、ルイーズ……」
「じゃあ、これでこの話はおしまいね。私たちの間には、何もなかったの」
そしてルイーズは僕に微笑みかけた。
でも僕は、そんなふうによくして貰えるような男ではなかったのだ。
「僕はとても酷いことをしたんだ……、とても許して貰えないようなことを」
僕はうつむいたまま呟いた。
「許してあげるわ」
「僕は君を襲おうとしたんだ」
「許してあげる。だって貴方は私を襲えなかった。そうでしょう?」
「君は大人だから、口ではそう言うだろうけど、きっと心の傷は一生消えないだろう……?
君はこれから一生僕を憎むだろう。アレクシスのことと、僕が君にしたことはまったく同じことなんだ。君はこれから一生僕に対する汚泥のような嫌悪感を拭えない。
分かってるんだ、僕は本当に悪魔のようなことを……、あいつと同じことを……」
そして僕は再びうなだれた。
するとルイーズは僕の頭に触れ、黙り込む僕の首を撫でた。
「アレックス様……、……じゃあこうしましょう。ここは許してあげると言っている私を信用して頂戴。
許しを自分の中に受け入れるにはとても勇気がいることだわ。だから貴方はまだご自分を許せないかもしれないけれど、自分を許す勇気も……ときには必要なものなのよ。すぐには無理でも……、だから今は私が貴方を許すと言っている言葉を信じる勇気を持って欲しい。
私は私の愛する甥を今この瞬間だって憎む気持ちはないし、私が貴方に抱いている感想はひとつよ。貴方が分かってくれてよかったわ。正道を見失わず、父親殺しを思いとどまってくれて」
「本気で僕を許してくれるって言うのか……?
君はいったい、どういう博愛主義者なんだ? 聖職者? 奉仕者? いや、ほとんど無償の愛だ。まるでお母さんだよ!
君は僕を見ても平気で笑顔になるし、僕を罵りもしない。僕は君に」
「許してあげる。そう言っているわ。そして貴方はそれを信じるの」
ルイーズは僕に目をあわせて優しく言った。
「貴方は私にとっても子供のようなものよ。自分の子供を本気で憎む母親がいて? 母親なら、泣いて帰って来た子供に手を上げるような真似はできないわ。それがどんな悪ガキであれ、ひと通りお説教をしたら、お家に入って一緒におやつを食べるのよ。違うかしら?
だとしても、それが私の夢だったの。だから私はそうするのよ。貴方はそれを信じなさい」
「ごめんなさい……、ごめんね……、ごめんね……」
「ええ、許してあげるわ。もう大丈夫よ。大丈夫。赦してあげるわ……」




