第164話 赦し(2)
僕は同意した。
「気持ちが分かるっていうのは、よく分かるよ。ハリエットは弱者の味方だ。羨ましい正義感の持ち主だよ。タティの再従姉妹なんだ。それで……、彼女はタティの味方だから、僕を非難している……」
「そう……」
「ハリエットはきっと、僕のことを大人の身勝手さや横暴さの権化みたいに思っているんだ。僕がそういう兄さんを、軽蔑していたのと同じ目で僕を見ている。たまらないよ、僕はいまやあれほど軽蔑していた汚い大人の仲間として彼女に見られているんだ」
ルイーズは静かに頷いた。
「でもそれしかないだろう、大人になっているしか。タティをどうにか助けたいと思う気持ちは僕だって同じだけど、方法がないんだから。僕が悪意でタティを見殺しにしていると思われているのがつらいんだ。
大人のくせに、その力がある大人なのに、わざと見捨てていると思われているのが……、そうじゃない、僕は只の無力な弱い男だと言えないのが……」
「分かるわ」
「子供って残酷なんだ。自分だけが正しい、自分だけがつらいと思い込んで、周りを攻撃する」
「ええ、そうね」
「……愚痴ってしまった」
「いいのよ。残念だけど、私も今の貴方と同じ気持ちなの。何とか貴方の苦悩を救ってあげたいけれど、私は無力でその方法を貴方に提供してあげることができない」
「分かっている。君を責めているわけじゃないんだ」
「ええ」
ルイーズは慰めるように僕の肩に手を置いた。
でもやっぱり僕は顔をあげて、彼女を見ることはできなかった。
あの晩のことを、いっそ激しく罵ってくれたほうが気が楽になるのに、ルイーズは一言も僕を責めようとしないから、罪の意識はふくらむばかりだった。
僕はハリエットのように純粋に徹することもできなければ、ルイーズのように自分の感情をコントロールすることもできずにいた。
沈黙が続き、やがてそれを打ち消すように明るい声でルイーズが言った。
「ハリエット様はね、ほら昔、私に魔法をご指導くださっていたコネリー様の末孫に当たるのよ」
コネリー様と言うのは、ルイーズの記憶の中で、少女だった彼女に魔法の授業をしていたカティス家の年老いた魔法使いのことだろう。僕は実際には会ったことはないのだが、そう言われると僕もまた何処か昔を懐かしむような気持ちになった。
「ハリエット様は、カティス家の中でも何代かに一人という優秀な魔法使いなの。だからまだ若いけど、貴方の魔術師に抜擢されたのよ。彼が生きていらしたら、泣いて喜んだような魔力を持って生まれて来た子なのよ。
才能を見込まれてアディンセル家から招集がかかったとき、彼女には二つ選択肢があったの。
ひとつはそれを断って、普通の女の子たちが夢見ている通りの人生を送ること。結婚して、旦那様と子供と幸せに暮らす人生よ。
もうひとつは、いま彼女が貴方の魔術師になったこちらの人生。
これは、彼女が自分の意思で選択したことなの。彼女なりの強い使命感を持って。貴方を非難したいがために、ある意味で一生を違えてしまうような選択をするほど、彼女は愚かじゃないわ。
タティのように最初から側にいたのではない分、情に流されてとか、そういう判断要素は彼女にはないはずだし……、ハリエット様は自分から、貴方の下で働くことを希望してやって来たのよ。
だから、今はまだ感情的な処理ができないのかもしれない。今はまだそうではないとしても、いずれすべてをきちんと理解してくれるときはやって来るわ。貴方がそうであったように。ハリエット様だって、きっと同じよ。必ず貴方の強い味方になってくれるときは来るはずだから」
「そうだろうか……」
「ええ、そうよ」
僕は自信が持てずに息を吐いた。ハリエットは基本的に僕の話なんて聞かない。一方的にタティを切ったと僕を非難するばかりだった。
僕は男としてこうした戸惑いを態度には出さないつもりだし、彼女につらく当たることもないが、理由が何であれ自分を非難する人間を好ましく思うことはできない。できればお近づきにはなりたくないとは思っていた。兄さんとルイーズの関係のように、私生活でまで親しくしようとは思わない。
そんな僕の心情を察したのだろう。やがてルイーズは観念したような声で言った。
「壊滅的だとは気づいていたわ。ハリエット様は……鼻っ柱が強くって。貴方も、負けず嫌いなところがあるし」
ルイーズは少し考えていたようだったが、やがて言った。
「では、そう……、アレックス様が分かりやすいように、もうひとつ論理的に、この人事に関する大人の事情を説明しましょう。
そもそも貴方と相性が悪い者を貴方の魔術師にはしないのよ。ご存知のように魔術師とは、主人を守護することが大きな務め。それには魂の波長が合わなくては都合が悪いの。
魔術師の選別には、単に魔法の才能というだけではなくて、そうした要素も大いに取り入れられるから、ハリエット様は実は素晴らしく貴方と合うの。
しかもそれだけじゃない。彼女の場合は完全に……、星の配置が貴方の妻なのよ」
「妻……?」
ルイーズは頷いた。
「そう。妻よ。だから彼女は絶対貴方が好きになる。貴方と結びつき、貴方に従うことを潜在的に望む配置なの。だから精神的に貴方から離れられない。そしてうっかり恋に落ちたら最後、裏切りすら起こしようがない、そういう星を持っているのよ。
ハリエット様には、ちょっと可哀想だけど……。彼女が殊更に貴方に反発しているのは、貴方に対して既に恋愛感情があるからよ。
これは隠し要素だけど、実はこの人事にとってとても重要な条件だったの。ハリエット様は貴方の魅力に抗えない。少女が初めての恋に戸惑い、そんな気持ちに屈するまいともがいている。
そう思ったら、彼女の反抗的な態度も、少しは可愛らしいと思わない? 貴方を嫌いだなんて態度を取っていても、心ではどうしようもなく貴方に惹かれている。あの子の頭の中は貴方のことでいっぱいよ。タティのことすら、ともすれば貴方に会うための理由になってしまっている」
僕は顔を顰めた。
「好かれてる実感はまったくないけど……。それって……、兄さんの差し金?」
ルイーズはそれを認めた。
「酷いことをするね」
「貴方を愛しているからよ。人の上に立つ者は、人間の心理くらい利用できるようにならなくてはいけないの。悲しいことだけど。特に恋愛に関しては、ギルバート様は大得意だわ。
そして恋愛感情というものは、それを利用しない手はないくらい、主人を護る強い動機になるのよ。
大丈夫。世間には同性の魔術師をつけている方だっていらっしゃるし、絶対そちらの方向に発展するとは限らないから。男の貴方さえしっかりしていれば、大親友になれる相性なのよ。ギルバート様と私を見れば、それでも十分成立するって、お分かりになるでしょう?
そういうわけだから、あの子が子供じみたことを言って貴方を困らせるとしても、貴方は大きな心で。ともかく、彼女は人並み以上の覚悟を持ってここに来ているわ。魔力の強さでは貴方にも負けていない、優秀な魔法使いなんですもの」
「ハリエットの魔力を……、僕と比較するの?」
僕が言うと、ルイーズはマスカラに囲まれた空色の瞳を僕に向けた。
僕は驚いて目をそらした。
ルイーズは小さく微笑った。
「だって……、貴方は生まれつき、割と魔力がお強いのよ。だからもったいないの。
姉さんより、強いかもしれないわね……、貴方、姉さんより優秀なのよ。皮肉なことに」
「そうか……」




