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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
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第163話 赦し(1)

頑なで拒絶的で決して本心を明かさないのが大人の男というものだ。

たまにカイトのような明るいのもいるが、彼だってあれで誰よりも本心は隠している。

あれからハリエットは延々僕を睨み続けているが、僕は気にしない。大人だからだ。大人は子供の怒りになど無関心だ。何故なら彼らは弱くて無力だが、僕はそうではない。僕は知的で裕福で力がある。

この二週間ほど、僕は兄さんに従ってアディンセル家の州領全体と国家における影響力を知る機会に触れ、権力と金の使い方について学んだ。兄さんたちの勧めで葉巻を吸い込んだときには呼吸が苦しくて吐き出しもしたが、上流貴族の成年男子という選ばれし特権階級の仲間入りを果たしつつあった。

そして季節は無情に巡り、凍える季節は過ぎ去って、いつしか世界は暖かな光のあふれる本格的な春を迎えていた。

窓から降り注ぐ輝く日差しは生命の息吹にあふれ、永遠に続くかと思われたあの暗く白い冬景色は、あっけないほど劇的に遠い過去に流れ去った。

悲劇に立ち止まらず前進を続ける兄さんのような強い性格の子供を持てたことは、二十年前当時のアディンセル家にとって、最高の僥倖だったことだろう。彼の性質は大人になって失われるどころかより強化され、彼の代で侯爵位を勝ち取るまでになった。アディンセル家では来たる侯爵位の叙爵に備え、明け渡された北西部国境ランベリー領と拠点ホリーホックに居を移すための様々の手続きや厄介事に追われていた。領主の変更に先んじて、ウィスラーナ家に仕えていた取り巻き連中の生き残りをかけた無様な擦り寄りも目撃したが、兄さんは彼らのほとんどを重用することはないだろう。

ロベルト候は実に一年以上も前から王宮に顔を出すということをせず、代理さえ立てられずに、信用を失った彼に代わって国境防衛には中央軍から派遣された者たちがかなりの割合を担っていたということを知った。

侯爵領の防衛はガタガタで、もしかしたら、新侯就任早々にフォイン王国との直接対決があるのではないかと危惧していた僕は、当面はその必要がないということを聞いて安堵した。それなのに兄さんはしばらく悩みの多い表情で日々を過ごされていたが、その理由を僕に明かすことはしなかった。

そして近頃の僕は身辺の整理に忙しく、通常業務に加えて必要最低限の荷作りに追われる日々を過ごしていた。来月より、王都への赴任が決まったからだ。そう、元ウィシャート公爵派の主だった貴族の子弟が、体裁と裏切り防止のために一定期間王都に集められることになったわけだが、こんなとき真っ先に人質に取られる子供が、兄さんにはいなかった。よって弟の僕が行くことになったのだ。とはいえ成人男子の僕はいいところの子弟たちにありがちな優雅な遊学生活ではなく、仕官という形になるようだ。

僕はあまり物を収集する趣味を持たないので、かさばる荷物と言えば書籍くらいのものだが、これが厄介だった。

何しろ僕はこれまでの人生の大半を、部屋に閉じこもって本と空想を友人にする生活を送って来たのに、突如としてそれに別れを告げなくてはならなくなったのだ。お気に入りの大量の本の中でも、特に手放したくないものを選び出すのには一苦労だ。

これは人生の転機だと、後になって自分の生涯を振り返るとき、この頃のことをそんなふうに思い出すだろう。将来のことは分からないが、それまでからは考えられない人生が始まろうとしていることは確かだった。

新しい人生に踏み出すことは、特別楽しみだと感じるわけではなかった。幸運なことに、僕は独立にあたってなお金銭的に困窮するという憂き目にあうことがない暮らしが約束されている若い貴族だった。だけどそれでも、生まれ育った土地を離れて暮らさなければならないことには、不安のほうが大きかった。

でもちょうどよかったような気もしているのだ。

現実とは斯くも無情なものかと天を恨みたくもなるが、かつて父上がおっしゃっていたように、ここは万人の微笑む天の王国でもなければ、どんな夢も魔法のように叶ってしまうお伽の国でもない。

タティは肺病を患って死んでいく。これはどうしても覆らない現実だ。

ある種の物語ではこんなとき、危機的な状況を打破するための救いの魔法使いとか、妖精とかが現れて、何か特別の、彼女を助けるための知恵くらいは与えてくれる展開が広がって行くのだろう。

でも兄さんがアレクシスを失ったとき同様に、僕の前にもとうとうそうした夢のある人々は現れなかった。魔法使いは周りに何人かいるが、国内でも能力のある魔術師のうちに数えられているルイーズですら、肺病に関してはお手上げだと首を振るばかりだった。


「ウィスラーナ家にないかと思って、シエラ様にたずねてみたの。病気を治す魔法か、それに関する知識のことよ。シエラ様は姫君ですけれど、魔術を扱える方ですし、このタイミングでアディンセル家に身を置いていらっしゃるでしょう。だから、もしかしたらと思って……、でもなかなかそう都合よくはいかないものね」


その話をしたとき、ルイーズはまったく普段と変わらない態度だったが、僕は相変わらずそうじゃなかった。

あの真冬の真夜中に僕がしでかしたことが原因で、僕は随分長い間、彼女に対してとても気まずい気持ちを持ち続けることになった。

ルイーズはまるで何事もなかったかのように、叔母として相応しい態度で接してくれていた。これまでと変わらない明るくはたらきかけるような態度、一見するとあんなことがあったなんて他からは分からないような、ともすれば母親に準じるような態度だ。

でも僕は、どうしてもルイーズの目を見ることができなかった。

綺麗事を言っているかもしれないが、もはや自分を許せなかったからだ。

冷静になればなるほど明確にその残虐さ重大さが分かって死にたくなる。

アレクシスがトバイアにされたこととまったく同じことをこの僕が、無抵抗な女性に、してしまった……。


「タティのことでは、彼女が苦しまないように最後まで私が最善を尽くすわ。痛覚を弱めるためのお薬と魔法を併用すれば、そうそう苦しい思いはせずに済むはず。

ハリエット様にはこれから突貫工事で学んで貰わなくてはならないことがたくさんありますし、シエラ様は、やっぱりタティの面倒をみるなんて……難しいでしょうし」

「うん、ありがとう」

「いいのよ。そう、ハリエット様との関係は上手くいっているかしら。あの子はとても賢くて勉強熱心だけれど、ちょっとお口が達者なところがあるでしょう。

アレックス様、たじたじになっていないかしら」

「なってる」


ルイーズは微笑み、僕はうつむき加減のまま深刻に頷いた。


「彼女はあまり僕のことを好きにはなれないみたいだ。いつも何処か喧嘩腰と言うか……、それに警戒されているのが伝わる。

でも思い当たることがありすぎるからね、何も言えない」


僕は先日もハリエットにタティのことで激しく責められたことを思い、詰まりそうになる胸を一度深呼吸をして整えた。僕はハリエットの主張には、ここのところとても傷つけられていた。彼女は感情的には非常に正しいことを言っていて、友人をいたわる彼女の言い分は僕の心を打つものだからだ。

しかし正義感と気骨あふれるティーンエイジャーの言論の刃はまったく容赦がない。

僕は、かつて僕の怒りに対して兄さんが行っていた軽くいなしたり、あしらうなんて高等なことはできなかったし、かと言って正面から向き合って、ハリエットの怒りを収めさせるだけの大人の器量も持ち合わせていなかった。

と言って年下の女を相手に本気で怒るわけにもいかない。泣かれたら収拾がつかないし、もし口喧嘩みたいなことになってしまったら、挑発に乗って同じレベルになってしまうことを思うとあまりに格好悪すぎる。


「正直に言ってどうつきあっていいか、分からないよ」


僕はため息を吐いた。


「優しく接してあげて。彼女はあれで深窓の令嬢ですもの。これまで学校に通ったこともなくて、外の世界にはまともに触れたことがない……、初めて社会に出たばかりなの。

だからまず男性に免疫がないわ。見ていて思ったけれど、彼女は見かけによらず本当はとても臆病な子かもしれない。

女性は多かれ少なかれみんなそうなのだけど、彼女たちは貴方が思っているよりもずっと小さなことで不安や恐怖を感じやすいのよ。貴方やカイト様のおしゃべりや笑い声ひとつにしたって、場合によっては恐怖の対象になってしまうでしょう。

だから努めて優しく紳士にね。彼女は慣れていないのよ。戸惑っているの。あんまり素直な反応はしないかもしれないけれど、でも気持ちはちゃんと分かる子だわ」


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