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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第5章 アレックスと夢見るタティ
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第16話 夢見る頃を過ぎても(1)

廊下を急ぎながら、僕は自分の鈍さを嫌というほど痛感しなくてはならなかった。

恐らくタティとパーシーは、ずっと前からできていたんだろう。

だから何日か前、トマトスープを作ろうと厨房へ押しかけたとき、あのときパーシーは、タティにあんなに好意的な笑顔を向けていたんだ。

と言うよりは、今から思い出してみるに、あれはあの男なりの僕への牽制だったんだろう。立場がずっと上である僕を睨んだり、悪い態度を取ったりすることは絶対にできないことだから、ああいう形で自分がタティと親しい仲であることを僕に知らせようとしていたんだ。

タティが奴のことを、会話の途中でファーストネームで呼んだことを、僕は聞き流していたけどちゃんと憶えていることだった。とても嫉妬を感じたからだ。

でも嫉妬と言えば、あのときトマトが傷んでいるからと言って奴が慌てて僕らの後を追いかけて来たのだって、あれこそ本当は僕の健康なんかより、僕とタティが二人きりでいることへの嫉妬心からだったんだろう。

小川から戻ってきたとき、城壁のところで直立して待っていたのだって、そのあと僕にうんざりするくらい小川であったことを質問していたのだって、そう考えればあれは僕への忠義やお節介なんかではなく、単にタティが心配だったからに違いなかった。

そして勿論、タティが僕の抱擁を拒絶したのは、彼女が既にパーシーを愛していたから……。

二人がもう既に恋人だというなら、僕に入り込む隙なんて最初からないじゃないか。だからこんな馬鹿げた行動は今すぐ取りやめて、カイトのところに戻って、それまで通り高みから、管でも巻くような態度に戻るべきじゃないかという考えが一瞬脳裏をかすめたが、僕は立ち止まらなかった。

だって、タティは他の女の人とは違う。彼女は、僕が生まれたときからの家族なんだ。だからもしタティがパーシーを好きだと言ったって、僕はそんなの認めるわけにはいかないんだ。

僕はタティより半年誕生日は遅いけど、精神的には僕のほうが大人なはずだし、僕は男だから、世間知らずの彼女を守ってあげなくちゃいけない。

それに男とは、女性が間違いを犯そうとしていることに気づいているのに、黙って見過ごすなんて無責任なことをしてはいけないものだ。ましてや僕は騎士の家系に生まれた騎士であるのだから、いかなる理由があろうと女の人を守るという行為にかけて手抜かりがあるようではいけない。

けれども物事の道理としてはともかく、一時的な感情面において、いまいち僕の立場の弱さは否めないところだったので、僕は自分のこの行動を肯定するための理論武装を始めることにした。要は二人がもしお互いを好きだとしても、これから彼らを何とかして引き離そうと考えている僕のこの行動を正当化するための言い訳をだ!

まず、パーシーは平民だ。僕と比べて、その点だけでも明らかに奴は劣っている。そうだ、あいつは僕より劣っている。それも、何もかもだ。門地も、身分も、財力も、将来性も。あまりにも明白すぎてこっちは同情心さえ起こるくらいだ。これを聞いただけでほとんどの女の人は、あいつより僕のほうがいいと思うに違いないだろう。

でも、これらは僕の実力によるものではなく、今のところは全部兄さんに与えて貰っているものだ。では、個人の資質についてはどうだろうか。身長も、教養も、外見的な魅力も、やっぱり全部僕が奴に勝っているぞ!

しかし、そこまで考えて、僕は自分の中に潜む慢心に気がついた。僕は今では兄さんを完全に傲慢な人間だと思っているし、彼を酷い差別主義者だと罵ったことさえあったけど、僕だって同じなんだということを思い知った。

タティが僕を嫌だと感じているとしたら、そういうところなんじゃないだろうか。だって、僕は明らかに兄さん以外の周りの人間を自分よりも下に見ているんだ。それは、そのように育てられたからということも勿論ある。これが世の中というものだし、貴族なら誰だってそういう価値観の中で概念の中で生きている。でも果たして、一対一のつきあいでもそれでいいんだろうか? 僕はタティに、要求ばかりしていなかっただろうか?

結局何ひとつ考えが纏まらないまま、僕は一階厨房前に辿り着いてしまった。

だいたい何日か前の午前中にここにいたのをカイトが見たからといって、今タティたちがここにいるとは限らなかったけど、僕はこの際タティのことは置いておいて、厨房にいるであろうパーシーを脅かしてでもタティから手を引かせようと考えていた。そのことで、後でタティは僕をなじるかもしれないけど、あんな男と係わっていたってろくなことはないということを、彼女は後になって分かって、僕のこのときの判断を感謝するときが来るだろう。

何だかやり方が兄さん的だと思わないではない気がしたが、兄さんなら、気に入った女性を手に入れるためなら恐らくもっと酷いことを平気でするだろうから、僕だって脅かすくらいしたっていいんだ。別に女性や子供にやるんじゃないんだから、糾弾されるべき卑怯者には当たらないだろう。






訪れた一階厨房前廊下には、兄さんや僕といったこの城の家人の生活圏とは違いあまり高価な装飾品があるわけではなかったが、かといって殺風景なわけではなくて、名画や品のいい置物の代わりに庶民的な花の壁掛けやら、手作りの織物なんかが飾られてあった。ここでは使用人の姿が途切れることがなく、すぐ側の窓辺では、日差しの中を窓ガラスを熱心に磨く若い召使いの姿が見られた。それに厨房入り口横の壁には、そこによりかかってうなだれている若い女性の姿もあった。よく見てみると、それはタティだった。

僕はそのまま厨房のパーシーのところへ勢いに任せて怒鳴り込もうとしていたところだったが、大きく深呼吸をしてから、あまりにもわざとらしいことを承知の上で、まずはタティに歩み寄ることにした。カイトの話や僕の悪い想像を鵜呑みにしたくはなかったが、彼女がこんなところで何をしていたのか、気になったからだ。すると、タティはすぐに僕に気がついて僕を見上げる。その表情は明らかに弱っていて、無気力なものだった。


「……アレックス様。どうしてこちらに?」


弱々しく、タティは囁いた。


「いや、あの……、カイトが見かけたって言うから。つまり、君がよくここにいるって……」

「そうですか」


タティはそう言って、次には泣きそうな、迷惑がっているような表情をした。


「どうしたの? 何かあったのかい?」

「そんな……、とっくにご存知のくせに」


僕がたずねると、タティの声に少し皮肉っぽい響きが混じったので、僕は驚いて彼女の顔を覗き込んだ。


「待って、僕は知らないよ……何があったの? 例えばその、パーシーと……喧嘩でもしたとか」


するとタティはこう言って、眼鏡越しに僕を睨みつけた。


「……料理長さんなら、殺されました」

「えっ、こ、殺された!? 殺されたって……、それはどういうこと?」

「アレックス様が、伯爵様に何かおっしゃったんでしょう?

そうとしか思えないわ、だって……」


タティの口から兄さんの名前が出てきたことで、僕は何か嫌な予感がして、その言葉の先を聞くのが恐かったが、勿論タティが話をするのを阻むことはできなかった。

タティは今にも泣きそうな顔でこう続けた。


「先日、伯爵様が……、アレックス様と小川までトマトを取りに行った日の翌日のことです、わたしは伯爵様に呼び出され、アレックス様のお妾になるように言われたんです。今後正式にそうしろと。これまでのように、身のまわりの世話をするだけの乳姉妹ではなくて、アレックス様の……要求があったときには二度と断ってはいけないと……叱られて……。

でも……でもわたしではアレックス様には到底相応しくないので、お妃にすることはできないことも同時におっしゃいました。将来、アレックス様が然るべきお妃様を貰うことを、覚悟しておくようにと。

そしてその上で、これを承諾しなければわたしの家族の身柄を保証しないということでした。

その次の日の朝のことです、料理長さんと話したとき、わたしがこのことを悩んでいることをつい打ち明けてしまって……そしたら彼はこれに怒って、あんまり酷いって、わたしのために……伯爵様に抗議してくれて……。

でもそうしたら、伯爵様がお怒りになってっ……、そのまま、その場で殺されてしまったのよ! すぐドアの向こう側でっ……!」


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