第159話 少女魔術師
「大事な女が身近にいては、かえって足枷となる……。含蓄がありますね」
カイトが暖炉に小枝をくべながら呟いていた。
「しかし、確かにそうかも……、俺には守るべき家族がいないから、身軽なんですよね。いつ何処で死んでも構わない身軽さがあるんです。いざ自分に何かあっても誰にも迷惑がかからないし、悲しむ人間もいないから」
「そんなこと言うなよ……。君、意外と考えていることが暗いな。ひと晩眠れば嫌なことは全部忘れるタイプだと思っていたのに……」
カイトは僕に背中を向けたまま笑った。
「勿論、そういう俺が主体ですよ。嫌なことは忘れて、明るく過ごしたほうが絶対いい。恨み事言ったって始まらない。俺は明るくて元気が取り柄。でもま、人間は一面的じゃないってことですな」
「悲しむ人間ならここにいるよ。馬鹿なこと言うのはやめてくれ。カイトまでいなくなったら、僕はどうすればいいんだ……」
ふと、夜の静寂の中に物音が聞こえた。
「風精霊がこっちだと言っています」
女性同士の交わす声がして、間もなく僕らのいる小広間に、金髪の少女が姿を現した。
僕は彼女のことを知らなかったので、こんな深夜に子供が居城をうろついているということに純粋に驚いた。蜂蜜色のふんわりした髪をおさげにして、白いフレアワンピースにブーツを履いていた。使用人の服装にしては上等なもののようだ。年齢はどんなに高く見積もっても十五歳くらいだろうか。
その少女に続いて、いったい何事なのか、ルイーズが部屋に入って来た。黒を基調にした、相変わらずの色気過剰なドレス姿だ。少女もかなり可愛い部類だとは思ったが、ルイーズが部屋に入ると美貌のレベルが違うことを一瞬で周囲に分からせるだけの魅力がルイーズにはあった。しかも胸が強調されていて、僕にはもはや目の毒だった。ルイーズは僕らをみつけると、さっそくお調子者の笑顔で僕らに投げキッスをした。
「よかった、アレックス様を発見ね。あらん、カイト様もいらしたのね。今夜もなんてセクシーなの。ねえ、これって運命かしら?」
「どうでしょうね。だといいですね」
同じくお調子者が、朗らかな笑顔で言った。
「あらつれない」
それからルイーズは色っぽい声で僕に微笑んだ。
「こんばんは、アレックス様。真夜中ですけれど、今夜は星の運行も、大気の流れもよく、しかもとても日がいいので、貴方にご紹介をしたい方がおりますの。まだ起きていてくださってよかったわ」
「あ、ああ、うん……」
僕は大人の男なので、周りの人間におかしく思われないようできるだけ平静を装ったが、あんな狼藉をはたらいてしまった以上、とてもではないがルイーズの顔をまともに見られなかった。
勿論、何よりも重要なのが、あわせる顔がない。
だから僕は静かに顔を伏せ、早く彼女が立ち去ってくれることだけを待ち望んだ。ルイーズが誰か紹介したいなんて言っているが、そういう問題じゃないからだ。
「何ですかその変な反応?」
だが空気を読めないカイトが怪訝そうな声で僕をつついた。
「なんでいきなり、そんなに下向いて。首の角度が思いっきり不自然ですよ。もしかして、ルイーズ様を避けてます? それとも自分のおっぱいが気になる?」
「ば馬鹿っ、そんなんじゃないよっ」
僕はカイトを手で払った。
「でも、貴方にお話があるということですし、顔をあげないと。首の筋が違っちゃったんですか?」
「煩いぞ」
「困ったわねえ。まあいいわ。アレックス様はお耳で聞いていてくだされば。
あのね、とっても急のお話なのですけれど、貴方に新しい魔術師をつけることになったのよ。このお話自体は前から挙がっていることではあったし、伯爵様から事前にお話があったかと思いますけれど。貴方に側近を増やすお話。
でもここのところ拠点移動の手配なんかで、目がまわるように忙しかったでしょう。ギルバート様が今夜のことを、貴方に言うのを忘れていたのですって。
それで、こちらのこの可愛らしいハリエット様が、今後生涯に渡って貴方の専属魔術師になることになったの。
暦の上では、今夜は一年の中でも呪術契約を締結するのにもとてもいい日なので、さっきまで幾つかの契約の儀式をしていたのですけれど、アレックス様にも参加して頂く必要があるので、後でちょっとお時間を頂くわね」
「新しい魔術師!?」
僕は思わず顔をあげた。目の前にはブロンドの見慣れない少女がいて、ハリエットというのはどうやらこの娘のことのようだった。
彼女はどう見ても未成年者だし、見るからにどう取り扱っていいのか分からない幼さがあり、緊張をしているのか、多少強張った顔をして僕を見ていた。と、視界にはルイーズの姿も入ったので、僕はあの夜のことが脳裏をかすめ、どうにも泣きたい気持ちになって、慌ててまた下を向いた。
僕はあの晩ルイーズに諭され、闇に葬られた僕の出生に纏わる話を聞いた。そして冷静さを取り戻すに至ったわけだが、それと同時に、自分のしたことが信じられなかったのだ。僕は人として野蛮で最低の人間だと、ルイーズを見るたびこれでもかと思い知らされて苦しかった。
あれからもルイーズはいつも通りにするばかりで、あの夜のことを兄さんに訴えることもしなければ、ほんの少しだって僕を咎めもしていなかった。だけどそういう、まるで聖人君子みたいな出来た態度が、僕をますます自責と罪悪の沼に落とし込めていた。
それまでルイーズとは僕好みの顔をして、その気もないのに僕の気持ちを掻き乱す、腹立たしくも魅惑の女性だった。けれどもちょっと前までは密かに僕の憧れだった美しい彼女の微笑みは、僕にとってはいまや懲戒のいばらと同じだった。しかも悪いことに彼女は僕の三親等、立派な近親者だったのだ。
あの晩はその意味でも頭の中が真っ白になったし、もう僕としてはこの場で胸倉を掴まれて、洗い浚い罪状を突きつけられ、変態呼ばわりされたほうがまだましだった。
「あ、ああ、そうだったよ、側近の話は……、でもシエラはどうするの……」
「シエラ様は貴方の魔術師ではないでしょう。契約の儀式もしていないし。一応、花嫁という立ち位置なのではなくて」
「そうだけど……、その子がそうなの?」
「ええ」
「僕の専属魔術師?」
「そう。可愛いでしょう? お肌がぴかぴかなの。十代って羨ましくって」
ルイーズはそう言いながら、少女の頬を愛でるように撫でまわした。少女は迷惑そうにしたが、されるがままになっていた。
「いや、そんな。僕は君のほうが美しいと思うよ……。他の女なんて目に入らない。君は絶世の美女だ。結局は造作の美しさが物を言うんだ。僕は君の信奉者」
「あら嬉しいわね。ぐっときちゃった。
それはともかく、この子が貴方の新しい魔術師になるので、どうぞよろしく。まだお勉強中の見習いさんではあるけれど、才能は私が保証するわ。仲よくしてあげてね」
「本当に綺麗だと思ってるよ」
「ええ。嬉しいわ」
「本当に……」
「ええ、ありがとう」
「その子だけど、思ってたよりなんて言うかその……、ちょっと若すぎると思うんだけど……」
「そのうちなじんで、貴方にちょうどよくなるわ」
「そらまた意味深な」
カイトが呟き、ルイーズが喜んだ。
「ああ、カイト様とは絶対に話があうと思っていたわ。楽しくお話できそう。ねえ、どうかしら。これからバスタブで」
そこでこほんと可愛らしい咳払いがして、金髪少女がルイーズのこの上なくくだらない無駄話を遮った。
「ルイーズ様! わたし、貴方のことは魔術師としてすごく尊敬していますけど、そういう下品なお話をするときの貴方のことはその限りではないわ。男性との会話でバスタブなんて単語を持ち出すなんて、あんまり無節操です!」
「あら、とっても大切なコミュニケーションよ。ハリエット様にはまだ分からないのね。可愛いわね」
「かっ、可愛いじゃありません。そういうことを言って貰っては困ります。アレックス様にお仕えするにあたっての、わたしのこれからの立ち位置っていうものがあるんですから。ちゃんと一人前に扱って頂かないと」
「うふふ、おませさん」
ルイーズが口許に軽く手を添えて微笑むと、ハリエットと呼ばれた少女は両手を握りしめ、小鳥の囀りのように愛らしい声で、むきになって怒った。
「違いますっ。おませさんじゃありませんっ。
だいたい、さすがは女とみれば誰でもいいって噂のエロ伯爵様の弟だけあるわ。何が他の女は目に入らない、何が僕は君の信奉者よ。誰にでも適当なことばっかり言って!」
ハリエットはそう言うと、何故かいきなり僕を睨んだ。
「えっ?」
「わたし、貴方のような女ったらしっていちばん許せない性質なの」
ハリエットはあり得ないことに、兄さんと僕をいっしょくたにしていた。
「ここは階級社会なんだから、身分がある人間は下の人間の人生なんてどうだっていい、ええ、そうよね。分かるわ。でも。さすがに二十年連れ添った幼なじみを切り捨てておいて、それはないでしょう!
でも貴方がどれほどご自分を正当化しようと、わたしだけは貴方がタティにした酷い仕打ちを忘れたりしないし、ずっとタティの味方なんだから。
この世の中は悪行をなかったことには絶対にできないってこと、それを忘れないでっ!」




