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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
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第153話 姫君の理想の王子様(1)

ある午前、シエラが不満そうに僕を見上げていた。

デートの約束をしていたその週末が、母上の命日だったためだ。

となれば僕らはデートよりも、当然祈りの列に加わらなければならない。シエラは朝からきちんとそのような場面に相応しい、慎ましやかなドレスを着ていた。だからデートが駄目になったことをちゃんと理解してくれていると思うが、顔が怒っていた。


「わざとじゃないよ、わざとじゃ……」

「……」

「母上の命日を忘れるわけがないって思われるかもしれないけど、僕の場合は、母上は僕が生まれてすぐにお亡くなりになったので、なんて言うか……、ある意味ではあまり身近ではないんだ。どんな人か、本当のことを言うとよく知らないし……。

だから、デートを週末って言ったのはあのときってつまりほら、ジャスティンが睨んでいたし……、彼って恐いだろう。見るからに。兄さんのお仲間だけあって。

ほんと、ああいう人たちって、普段どんな会話をするんだろうね。税金の話かな。労働者を締め上げる方法。それとも誰かを処刑する相談でもするのかな。

あっ、そんな怖がらないで。今のは全部冗談……」

「……」

「……、そうだ、シエラは虫は好き? 虫じゃなくても蝙蝠とか、ミミズなんてどう?

ほら、庭の石を剥がすとさ、びっしりと……、ああ、言わなくても分かったよ。いいんだ、気にしないで。僕は理解があるから……」


僕は本当にわざとではなかったのだが、シエラは何だかむくれてしまい、彼女のご機嫌ななめはしばらく直らなかった。

ここのところシエラはよく僕に懐いていた。しかし年下の人間に懐かれた経験のない僕は、その対応に戸惑うばかりだった。どういう態度を取ったらいいのか、まったく分からないからだ。

僕には下に兄弟がいないどころか、これまでの二十年間の人生で、自分より年下の人間と係わったことがなかった。まして女となれば、自分の経験や思考を踏まえることも難しく、こんなふうに機嫌を損ねられると、もういったいどうしていいのかすら分からない。

シエラはたぶん、年上の男という分類をもって僕を見ているだろうと思うのだが、その分類は実は非常に恐ろしいものだ。自分より年上の男性が、自分より物を知らないわけがないし、自分より物事を上手くできないわけがないし、人物さえ優れていて当然だと、僕らはそういう期待をもって彼らを見てしまう……、少なくとも僕はそうだ。そして年上の男が自分より駄目だったりすると、その失望感たるや計り知れない。勝手に期待したのはこちらなのだが、ときに酷いショックを受けてしまうのだ。

僕の兄さんは幸いと僕のそうした高い期待を一切裏切らない優れた人物だったわけだが、それだけに僕は、どうやらその高いハードルをクリアしなければ男ではないというある種の自己暗示のようなものを、自分にも課してしまっているきらいがあるように思う。

優秀に違いないと信じていた年上男が無能だったときのあの冷めるような失望感を、シエラに抱かれるのは本意ではない。

女性というものは、生育環境においてもっとも身近にいた異性を、将来自分の異性選びの基準にする傾向があると読んだことがある。多くの場合、それは父親だ。駄目な父親を見て育った娘が、それを反面教師にすることができればいいが、かなりの割合で同じような駄目男を選んでしまうことにも深い理由があったりする。

彼女たちは自分が大人になるまで生きられた環境を、適正だと思ってしまうのだ。どれほど酷い環境だろうと、出産可能年齢まで自分が生存することができた環境を与えてくれた男が、本能のレベルで正しいと思ってしまうらしい。

それはしばしばその後の痛ましい人生を、女性にもたらしてしまうことになる。安定した人生を約束してくれる誠実で勤勉な男より、ギャンブル好きの怠惰な男を愛してしまうようなのは、ひとつのよくある例だが、必ずしも女性の育ちが悪いから、では片づけられない深刻な生物学的理由が潜んでいたりするわけだ。

しかしそれは逆に考えることもできる。シエラのように裕福な家庭で何不自由なく育った姫君は、そのような環境を自分に与えてくれた男が、男として当然であると考えるわけだ。優れた父親の許で育った彼女たちの目は高く、その最低基準自体が天より高い。一握りの男以外は、その最低基準さえ満たすことができずに門前払いを食らうことになることだろう。

懐かれるということは、今のところ、僕はシエラのお眼鏡に適っているように思うが……、シエラが多分に幻想を交えて僕を見ているのではないかということを、僕は密かに恐れていた。

恋愛感情の問題ではない、これは男としてのプライドの問題なのだ。

女性に、それも自分よりも若い女性に、駄目な自分を見せるなんて、そういうことは男として、ちょっと考えられない恥辱なのだ。はっきり言うと僕は女性に支持されたいし、いつでも称賛されたいのだ。男らしいと思われていたいし、慕われていたいし、立派だと尊敬されたい。願わくば憧れの対象であり続けたい。

そしてそのためならば、多少の無理もするのだ。これは親が子供の前で自分の愚かさを見せまいと振る舞うことに似ているかもしれない。とにかく僕は常に兄さんのようにいなければならないのだ。初夜権とか以外のことでは。

城内の墓地に向かうための人々が集まり始めている居城の玄関前の二階廊下まで、シエラはずっと僕の真後ろをぴったりくっついて歩いていたが、不意に僕の服を引っ張った。

彼女が時折見せる子供のような態度には戸惑うばかりだが、僕はシエラに向き直った。

するとそれまでにも何度かデートをはぐらかしてきた僕に対する怒りを、シエラは無言で僕に訴えかけているような様子だった。上目遣いで僕を見ている。抗議しているのだ。

しかし何が気に入らないのかを言わない。ヴァレリアのように何かと不満を訴えて来る女というのも、それはそれで面倒なのだが、これではこっちも怒る以外に手の施しようがないかのように思われる……、だが兄さんは女を相手に本気で怒ったりはしない。

兄さんならこんなときどうする?

そう、彼なら薔薇を差し出すだろう。


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