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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第11章 夕暮れロマンティシズム
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第151話 萌芽

最近は僕が心を入れ替えたなんて、皆が思い始めているのが分かった。それは僕が自分でそう言ったのを、カイトのようにちゃんと信じてくれた人間もいたし、僕のその発言に少なくとも反しない行動を見てから、やっとそうなのかと思い始めた人間もいるだろう。大半は後者だっただろう。幾ら身分があるからと言って、それまで散々怠けていた若者の口先だけの言葉を、内容のある大人たちがそうそう信用することはないものだ。

騎士業をサボっていた僕に対する風当たりが、当たり障りのない愛想笑いにはなっても、目に見える批判の形となってこれまで僕に吹き込まなかったのは当然ながら兄さんという大きな風除けがあったからだ。兄さんが周りに睨みをきかせていたということもあるかもしれないが、近頃の僕が知る限り、世間とはもう少しシビアなものだ。要は家督継承者には優秀なギルバート卿がいるから大目に見て貰えていた。僕が次男ということもあったのだ。

サンセリウスが男系社会なのは言うまでもないことだが、ここは更に長子相続が原則となっている社会だ。だから兄さんがある限り、ルイーズが言っていたように、僕はスペアとみなされる。兄さんが家族を持って、息子を持ったら当然僕の継承順位は下がるし、将来は何処か領地を貰うなりして、引っ込んで暮らすのが順当と思われる立場だから見逃されていた面もあったのだろう。

だがもし僕が確実に責任を課せられる長男だったら――、実は紛れもない長男だったわけだが、戸籍上そうではないので次男と言い張っているわけだが――、僕は今頃誰にも相手にもされないだらしない男として、アディンセル家の領内だけじゃない、下手をすると僕の最低な評判は中央にまで流れてしまったに違いない。

何せ成人した武官の出の男子が武芸の修練を拒み、しかも実家が騎士団を持っているのにそこに参加しないということは、誰が聞いても愛国心に欠く不忠義な臆病者として、侮蔑の対象とされてしまうことだった。そんな男のことはまず誰も信用しない。

陰でお坊ちゃま君呼ばわりされるだけで済まされていたことが、奇跡的なほどの大失態だったのだ。

そして確かに僕はあの夜を境に心を入れ替えていた。

勿論、実際のところそうした決心は、何も劇的に僕の人格を改変できるほどの効力を持つものじゃない。二十年間に渡って培われてきたアレックス・アディンセルという男の人格基盤は、既に出来上がっているものだ。

それでも強烈な上に無惨で救い様のない過去の出来事を知って以降、ルイーズの宣言通り、僕はもうそれまでの暢気な子供ではいられなくなった。

だから思い切ってきっぱりと心を入れ替えたと公言した僕だったが、後からその見切り発車的自らの軽率な発言を、幾らか後悔することも多かった。

心を入れ替えたことでまず僕が取り組むべきは、やはり騎士としての務めだっただろう。僕がお坊ちゃま君呼ばわりされる理由は内向的な性格とか、人づきあいがないとかいうそういうことではない。騎士のくせに騎士業を怠けていたというこの一点に尽きるからだ。

しかしこれがきつかった。何せ僕が正統剣術を授業という形でしぶしぶ学んでいたのは、成人するまで、つまりもう二年以上も前までなのだ。それもアディンセル家の財力に物を言わせて雇った高名な剣術師範の授業、騎士を志す若者たちが垂涎ものの優れた教師をつけて貰っていたのに、僕は剣を振るうよりは懐中時計を気にしていた。

だから時間を開けて久しぶりに武芸の稽古をすれば、その夕方には足腰が酷い筋肉痛に見舞われて、翌日は木彫りの人形のような有様になった。疲れが取れないので執務机で寝てしまったり、たちまち頭脳労働の方面に支障が出てしまう日も続いた。その頃は真冬の寒さもあって、脚が攣ってもがいていることもよくあった。そして脚が攣ってもがいている僕の脚を触りに、兄さんが湧いて来ることもあった。


「やめて、やめてって」


兄さんはカイトに命じて僕を無理やり椅子に拘束し、僕の足元にしゃがみ込んで、スラックスをたくしあげ、嫌がる僕の脚を触って喜んでいた。僕が自発的に剣術に取り組んでいることが、彼にしてみると余程嬉しかったようなのだが、弟とはいえ男の身体に触るというのはいかがなものか。


「ふふふ……、いいではないか。観念しろ。

アレックス、おまえは私の持ち物なのだぞ。無駄な抵抗はするものではない。まったくきめの細かい、罪深いほど白い肌をしおって……」


それはたぶん、アレクシスのことを思い出して言ったんだと思うのだが、僕が逃げられないのをいいことに、まるで女を相手にしているときのような頭のおかしいことを言うので、そんなときは本当に、心の底から心を入れ替えなければよかったと思った。


「あいつは変態だ」


僕は、僕の脚を一通り撫でまわしてから兄さんが帰った後、怒って言った。

兄さんの言うことを聞いて、主人である僕を椅子に押さえつけたカイトにも腹を立てていた。


「絶対やばい奴だ。手つきがいやらしいんだ……」

「いや、さっきのは筋肉をほぐすストレッチだったんですよ。貴方を心配して、わざわざいらしてくださったんじゃないですか。楽になったでしょ? 閣下に直々に脚をさすって貰えるなんて、そりゃすごいことですよ。

ま、でも罪深いほど白い肌って発言は……、何なんでしょう。ちょっぴりホラーでしたね。あれって閣下流のジョークなんでしょうかね。一部でつまらないと評判の。それとも……、ははは、まさかね。なんてねっ」


そしてカイトは明るい笑顔でおちゃらけたが、僕はまったく笑えず真面目に血の気が引いていた。


「カイト、僕は男だよね。どう見ても」

「ええ。でも金髪っぽいですけども」

「僕は男だよね」

「でも結構な色白ですが」

「好きでそうなわけじゃない。笑えないよ!」

「いいじゃないですか。愛があれば。閣下はにやにやしてて楽しそうだったなあ。やっぱり弟が可愛いんですよ。俺にしてみりゃ、ああやって心配してくれる家族がいるなんて、本当に羨ましい限りです」

「じゃあ君にあげるよ。抱いて貰え」


僕は厳しく言った。


「いや結構。俺は断然女がいいので」


カイトは拒否した。


「誰だってそうだ! 僕だって!」


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