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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第5章 アレックスと夢見るタティ
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第15話 四階テラスにて

「もてないからどうすりゃいいかって、そんなの俺のほうが聞きたいことですよ」


数日後の正午前。

僕の救い様のない質問に対し、同じく救い様のない様子でカイトは言った。

その日僕らは空と風景の美しい居城の四階テラスに寝そべって、夏の終わりの穏やかなそよ風を肌に感じているところだった。テラスにある何組かのテーブルセットを端に寄せ、今ではそれなりの図体の男が二人、大胆にも床に転がっているのである。

カイトというのは僕より二歳年上の従者であり、公私を問わず外出や、こうした暇つぶしの時間などをよく一緒に過ごす子供の頃からの僕の側近だ。彼はアディンセル家を取り巻く軍属の家柄の出の騎士で、立ち位置としては兄さんで言うところのジェシカということになる。


「アレックス様、本日はまた一段とほんわり上の空ですが、まだエステル嬢のことを引きずっていらっしゃるんですか。

しかし、こう言っては何ですが、ああいうタイプは所謂強い男に弱いんじゃないかと思うんですよね。俺は少し話しただけでしたが、おとなしそうに見えて、意外と一筋縄では行かないような印象を受けましたよ。善くも悪くも頭の回転が速いと言うか。

温室育ちのアレックス様にはちょっと強すぎる性格な気がしたし、なんかいかにも振りまわされそうで、貴方がそれでもいいっておっしゃるならそれでもいいんでしょうけど、俺は伯爵様に横取りされてちょうどよかったと思ってるんですよ。

じゃなけりゃ、貴方も変に媚びたりしないで、ああいう女にはもっと偉そうにしてりゃいいんです。

どうやるかって言うと、そういうのは恐らく、閣下を見習えばいいんです。あの方の横柄さを真似るだけでも、だいぶ違うんじゃないですか。自分を大きく見せる技術、世の中を渡っていくには身につけておいて損はないものでしょうしね。

もっとも、相応の実力を持ってもいない奴がそれをやったら、同性からは失笑ものなんですがね」


僕は雲の流れをぼんやり眺めながら、エステルのことなんてとうに頭から飛んでしまっていたことを、カイトのこの言葉によって気づかされたところだった。言われれば思い出して、まだつらくなるんだけど、とにかく僕は、今はタティのことを考えていたんだ。

ここ数日、僕がとにかくタティのことが気になってしょうがないなんてことを、ここでこの口の減らない友人に言い出すべきかどうかを悩んでしまっていたのは、当然僕の配下であるカイトが、同じく僕の乳姉妹のタティと面識があるどころでは済まない仲だからに他ならない。

カイトはジェシカとは違って、そう生真面目な性格でもないので、僕がもしタティを好きかもしれないなんてことを言い出せば、当然それをねたにしたジョークくらいは言い出すに決まっていた。それでもまだ見込みがあるなら、からかわれたって平気なんだけど、僕はもう既にタティに拒否されているし、ここのところ僕らの関係はどういうわけか更に悪化していて、今朝だって顔をあわせても信じられないくらいぎこちなかった。

要は恥をかかされるのは、エステルのことで僕はもう懲りていたんだ。

あんなに情けない気持ちを味わうくらいなら、やっぱりもう、こんな気持ちは忘れてしまったほうが得策なんだろう。

そのほうがずっと面倒がないし、だいたい僕には、こうした問題に係る厄介ごとを受け止め得るだけの器がないんだから。


「噂じゃ、閣下は現在四人の女と日替わりでお楽しみだそうですよ」


カイトは男のくせによく口のまわる奴で、今日も今日とて次から次からどうでもいい話題を僕に提供してくれていた。

兄さんが他の気に入った女性たちをもてなすのと同様に城内にエステルを引っ張り込んで、ときどき昼や夜を楽しんでいることが僕の脳裏を横切り、僕は殊更に不快な気持ちで相槌をうった。


「へえ、お盛んなことだね」

「身体もでかけりゃ態度もでかい、でもって金と権力と美貌まで持っていらっしゃる。

ああいう嫌味みたいな美男が女を独占しているから、俺のところにまで女がまわって来ないのかね……」

「そんなことはないんじゃないの。君にだっていいところはあるさ」

「いいところ? たとえば何ですか?」


半開きの、ほとんど諦めきったような目線をカイトは僕に向けた。カイトは自分で言うほどもてないようには僕には思えないんだけど、どういうわけか年中女がみつからないということを嘆いていた。

本当は恋人がいるのに、わざといないということにしているだけじゃないかと僕は睨んでいるんだけど、敢えてそこを追求しようと思わないのは、何と言っても僕にほとんど女性経験がないってことを、構われたくはないからだ。


「そうだね、カイトはまあ……よく口がまわる」

「それ、女に対しての売りになるんですかね?」

「いや…でも兄さんは弁が立つから、やっぱりポイント高いんじゃないだろうか。

それにほら、君はなかなか顔立ちだって……」

「美少年にそんなことを言われても説得力ないんですよ。貴方、ご自分がどれだけ可愛い顔をしているか分かって言っていらっしゃるんですか。

その美少年というアドバンテージを利用しない貴方を見ていると俺はもどかしい。それに引き換え俺はどう見ても十人並みですからね」

「まあ、それでも君だってジェシカに負けない、いいところの出なんだから」

「……アレックス様、そいつは、俺が女を捕まえるためには家柄をちらつかせるしかないと仰せなので?」

「いや、そうじゃないけど」


カイトは床に寝そべったまま快晴の青空に向けて大あくびをし、それから僕に対して更なる不平を言った。


「ああ、いっそ、アレックス様に妹君でもいればよかったんですよ。そうすりゃ知り合うにも手っ取り早かったんだろうし、貴方ですらその女顔なんだから、妹君ならばさぞかしたおやかな、花のような美少女だったんだろうに。

それに子供の頃から接してりゃ、年上のお兄さんの粗なんかそうそう見え難いもんなんでしょうし、上手くすれば恋に落ちて貰えたかもしれないのに。

ああ、いいじゃないですか、姫君と下僕のラブロマンス」


カイトはそう言って、両手で顔面を押さえて少し悶えた。しかし僕はカイトの、僕に対する美少年などという発言がそろそろ癇に障っていたので、それに対して適当に返事をするにとどめた。何故なら僕は、どう考えたってもう少年なんて侮られるべき年ではないからだ。美少年なんて言われて喜ぶ奴は男じゃないんだ。


「ラブロマンスねえ。残念ながら、僕にはあの強力な兄さんが一人いるだけだよ。

そんな妄想するくらい飢えているなら、今晩あたり娼館にでも行って来なよ」


するとカイトは今度は頬杖をついて、少々僕を嘲るような表情をした。


「おや、娼館なんて言葉を貴方がご存知とは思いませんでしたね」

「馬鹿にするな、何年あの兄さんの弟をやっていると思ってるんだ」

「確かに。しかし、嫌ですよ娼館でなんて、だって俺は……だ、第一、まともな紳士はそういう場所には行かないもんです。

それにそんなところに行ったところで、恋人ができるわけじゃない」

「カイト、そうだよ。君忘れているかもしれないけど、今は僕がもてるための方法を聞いているんだ。君がじゃなくてさ」

「ああ、そうでしたね。それでしたら貴方こそ娼館にでもお行きになれば、アレックス様のような美少年はそれこそもてまくりなんじゃないですか」

「カイト、僕はもう少年じゃない」

「おっと、これは失敬。お気に障りましたか」

「カイト、君に聞くんじゃなかったよ」

「ええ、そいつは貴方が聞く相手を誤ったんですよ」


少し会話が途切れた。僕らはそれなりに気の置けない間柄なので、少々辛辣なやり取りもこの沈黙も、僕は気にならなかった。

西の空へ向かって雲が流れて行くのを僕は見ていた。

タティは今頃何をしているんだろう、なんてことを考えながら。

一緒にお菓子作りをしたり、裁縫をしたりするのがとっても楽しかったのに、もし僕らがこの先ずっとこのままなら、もうそんなこともできなくなっちゃうんだろうか。


「そう言えばタティの奴が」


しばらく黙っていると、カイトが再び、まるでどうでもいいことのようにそう切り出した。

タティと聞いて僕の心臓はにわかに騒ぎ出したが、僕はそれを悟られないように極めて冷静な態度で、殊更に興味のないような、何でもいいような相槌を打った。


「あ、ああ、う、うん」

「男と揉めていたのを見ましたよ」

「男? 誰だ?」

「たぶん、あれはこの城の料理長ですね。料理長のパーシーでしたっけ?

二人が話しているところは前々からよく見かけていたんですが、アレックス様の乳母が料理人と仲がいいって話だったんで、最初は俺としても、タティもそれを踏襲してるのかと思って見ていたんです。でも、先日は何だか様子がおかしくて、あれはどう見ても修羅場っぽかったんですよ。うん、どう見てもあれは業務上の内容を話している様子じゃなかったんです。

タティも男のほうも、何か深刻そうな感じだったな。見様によっては、恋人の痴話喧嘩のような。それであんなブスでも男がいるもんなんだなあと思ったんですよね。

それなのに俺ときたら生まれてこのかた……」

「それ、いつのこと?」


タティがパーシーと痴話喧嘩をしていた。この伝聞だけで、僕はもう、胸の中がざわざわして落ち着いていられなくて、寝そべっていた身体を起こさずにはいられなかった。

僕が起き上がってまで反応をしたことに、カイトは少々戸惑った顔をした。


「え、いや。つい何日か前のことですよ。そのときも、いつもとだいたい同じ時間帯だったかな。午前中、俺がアレックス様をお迎えにお部屋に向かう途中の廊下です。一階厨房前の。美人の召使いはいないかと思ってときどき」


それだけ聞いて、僕の頭の中では何もかもが繋がったような気がして、もういてもたってもいられなかった。

僕は立ち上がり、そのままカイトを顧みることもなく足早にテラスを後にした。


「うおっ、突然どうしたんですアレックス様、どちらに!?」


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