第149話 冬の終わり(4)
「なるほど」
兄さんはご自分がこんなふうに責め立てられていることはとても心外で、戸惑っているということを、友好的な態度で彼らに示した。軽く両手を上げ、だが油断のない視線をゲイリー伯爵にやった。
「確かに、私が間違っていたのかもしれません。トバイア様に長年の恩義がありながら、王子派に寝返ろうなどということは騎士道に反する行い……」
「その通りだ。誇り高いはずの名門アディンセル家の当主ともあろう者が、あの畜生腹の王子に与し、あまつさえ血筋の卑しい王子の番犬に成り下がりたいとは笑止なこと。
私はトバイア様ほど悪趣味で猟奇的な男ではないつもりだ、だから貴公の抱える苦悩はよく分かる。だが過去の些細なわだかまりなど、この際置いておくべきだ。
王子派につけば貴公には侯爵の椅子が用意されていると言うが、トバイア様とて同等のご用意はあるものだ。あの方が、貴公を高く買っていることを知らぬわけではあるまい。それだけではない、あの方がいずれ国王となられれば、貴公にはそれ以上の恩賞を与えもなさろう。侯爵位は無論、領地の拡張、軍隊における格式、当代一の美貌を誇る姫君を、妻にしたいと言うならそれも通るだろう……」
「確かに。私はトバイア様のお力添えがなかったならば、現在の地位にあることはできなかった」
「ならば、貴公はフレデリック王子よりトバイア様を推すが筋というもの……、是非ともウィシャート公爵家の此度の窮地の脱却に尽力頂きたい。これぞかつてアディンセル家の窮地を救った我らがトバイア様に、その大恩を返す時ではないか。これは、騎士たるものの真髄に他なるまい。これは私の言葉ではない、筆頭公爵閣下の貴きお言葉だ」
「分かりました」
「おお、分かってくださったか」
そしてゲイリー伯爵は兄さんに握手を求めた。兄さんは手を差し出し、その握手に応じるかに思えたのだが、そうではなかった。兄さんは握手に応じる振りをしたかと思うとゲイリー伯爵の手首を掴んだ。それを執務机に押しつけ、もう片方の手に握られていた羽根ペンを、いきなりゲイリー伯爵の手の甲に突き刺した。
ゲイリー伯爵が身体をのけ反らせて絶叫を上げた。兄さんに物凄い力で手首を押さえられているために、身動きが取れないためだ。それと同時にジェシカが滑るように彼に近寄って、彼の背中から胸にめがけて剣を突き刺した。肋骨をすり抜けて胴体を貫通させ、手際よく心臓だけを潰したわけだ。
僕の横でカイトが軽く指を鳴らした。技術の高さに感心したのだろう。
絶命したゲイリー伯爵の背中に足をかけて剣を引き抜くと、ジェシカは既に混戦状態になり始めている執務机前に立って兄さんを守る位置を取った。
兄さんがゲイリーに羽根ペンを突き刺したことがひとつの合図だったのだ。
兄さんの傍らにいたルイーズが、すかさずてのひらを掲げ、魔法力による対決を競り勝ちゲイリーの魔術師の首を風の刃で飛ばしたのも見えた。相手の魔術師を生かしておくのとおかないのとでは、戦況はまったく違うことになる。彼女もまた兄さんの兵隊としての訓練が行き届いているのだ。その意味で、アレクシスを切り捨てた父上の判断は正しいと言えるのかもしれない。気持ちの優しいアレクシスでは、そうしなければ自分が傷つけられてしまう場合であろうとも、到底人を殺すなんてことに魔法は使えなかっただろうから……。
アディンセル家側の不意打ちによって、あちこちで血が噴き上がったので、僕は眩暈を起こして倒れかかったが、ジャスティンの怒鳴り声でかろうじてそうならなかった。
「気を張ってアレックス様! この程度で気を失うなど女の真似事ですか!
これが我が家ならば、もし弟たちがそんな失態をしでかせば、顔面殴打も辞さぬことです! こんなことは場数を踏めば何でもない! 貴方も騎士なら恥を知りなさい!」
ジャスティンが、意識が遠のきそうな僕のことを、延々揺すりながら言った。
「皆殺しにしろ! 我らが若き王子殿下に仇なす逆賊トバイアに忠誠を誓う背徳者どもを生きて逃がすな!」
怒号と悲鳴、剣のぶつかる金属音に混じって、兄さんのはずむような命令が聞こえていた。
脱出口の確保目的だろう。三、四人の使者団護衛騎士が、扉付近にいる僕らのほうに向かって走って来た。どの騎士も手練そうな上に、殺意に満ちた顔でこちらに迫って来たのだ。
それなのにジャスティンはカイトの背中を乱暴に押し、一人で始末して見せろと命令した。
「デイビッド卿の前で手柄を立てる機会を譲ってやる。抜かるな」
考える時間も与えられず、カイトが剣を抜き放った。カイトの基本武器は刀身の長い片手剣だ。彼は僕の護衛としての役割をよく果たした。先頭一人目の剣を弾いて胸を裂き、手首をかえしてすぐ突っ込んで来た二人目の腹を横腹から斬り上げた。その動きは正確で迅速、裂け目は深く、腹膜から大量の血液と内臓がこぼれ出したのが見えたので、僕は慌てて顔をそらした。
するとジャスティンが、僕が気を失ったと思ったのか、僕の頬を平手で打った。兄さんに許可されてのことなのだろうが、僕はこれはかなり頭に来た。僕は生まれてこのかた兄さんにも顔を殴られたことなんてないからだ。
そうしている間にもカイトは三人目の男の突撃を上体でかわし、その背中に剣を突き立てながら、後ろから来る四人目の男の顔面にまわし蹴りを入れていた。一連の動きがまるで一節の美しい舞を舞っているかのようだった。憎いほどに高い身体能力を活かした、実に華麗な動作だった。
しかし蹴られた男の身体は勢いよく吹っ飛んで、兄さんのコレクションである高価な酒瓶の並んだガラスケースを突き破ってしまった。男は全身にガラスが刺さって無惨な血まみれになり、カイトは砕け散ったガラスケースの中身を心配して慌てたが、ジャスティンはこの場の熱気に興奮をしているような、容認の声を上げていた。
「閣下は舶来物の酒よりもおまえの生命を重んじてくださることだろう! 月給から天引きだがな!」
「げえっ、そんなっ!」
「そんなことよりとどめを刺せ」
ジャスティンに冷たく促され、カイトはサイドボードに突っ込んだ男の髪を掴み上げると、速やかにその頸動脈を切断した。
血飛沫が上がり、僕は頭がくらくらして、気を失わないために庭園の花のことを考えていた。




