第147話 冬の終わり(2)
と、不意に楓の紋章の刻まれた扉が開いた。
用事を終えた客人が出て来るものと思って、僕は扉に注目した。兄さんの執務室前に詰めている騎士らも同様だった。でも出て来たのはジャスティン・サヴィルだった。
「アレックス様、どうぞいらしてください」
ジャスティンが、僕らに近づきながらそう言った。金色の短髪に、額には金のサークレットを嵌めている。何処か彫像のように冷たい感じがするのは、顔立ちのせいか、その表情が厳しいからだろうか。全身に壮年前期の男特有の活力があり、そして鍛錬を欠かさない優れた騎士たちの多くがそうであるように、彼もまた鍛え上げられた贅肉のない身体つきをしていた。
サヴィル家はアディンセル家に仕える武門の家柄で、彼はそこの嫡男だった。彼は注意深く、少し声を潜めていた。サヴィル家もまだウェブスター家同様当主が現役なのだが、彼は兄さんの幼友だちであることから既に側近の一人に加えられている。
アディンセル伯爵家の当主である兄さんの周囲には、たくさんの人間が仕えている。当然のことなのだが、僕のように、基本はカイトだけというようなことはないのだ。
ジャスティンは兄さんと同じ三十代前半、子供の頃から兄さんに顎で使われている連中の一人だった。以前ルイーズが見せてくれた兄さんの子供の頃の遊び仲間のうち、大半は今でもこうして兄さんを取り巻いて働いている。
これは不本意な話なのであまり触れたくないのだが、遊び相手として集められた貴族の子弟たちを統率することができず、逆によってたかって苛められてしまった僕のようなケースのほうが、実は稀と言えるのだ。もっとも僕は当主ではないということもあるし、僕のときに集められた連中は、その質がほとんどチンピラ並みに非常に劣悪だったということも大いにあるので、まったく少しも僕のせいではないのだが。
「ウィシャート公爵家から客人がみえているのでは」
カイトが不審そうな顔をしてジャスティンにたずねた。
ジャスティンはそれを認めた。
「そうだ。だが入るようにと、閣下が仰せだ。おまえも」
ジャスティンは、僕に向けていたのとは打って変わった冷やかな視線をカイトに向けた。
年の近い連中ほどあからさまではなかったが、カイトの平民の血に対する冷遇が垣間見える瞬間だった。
「カイトをそんな軽蔑的な目で見るな。彼は平民じゃない」
僕は文句をつけた。
ジャスティンは苦笑いをし、無骨ながらすぐに態度を正した。
「申し訳ありません。これは失礼を致しました」
「立場はサヴィル家嫡男のおまえと変わらないはずだ。ちゃんと扱え」
「閣下もそうおっしゃいます。肝に銘じます」
ジャスティンはカイトに改めて視線を向けた。
「現在執務室内にはアディンセル家の重臣方が数名連ねている。が、突然の来訪者のため少々人手が足りない。これからこの中で起ることに立ち会うは、おまえがそのうちの一人に加わってもよいという閣下の特段の思し召しである。この意味が分かるか」
「はい」
カイトは神妙に頷いた。
「よろしい、ついて来なさい。どうぞアレックス様、こちらへ」
ふとジャスティンは振り返って、シエラに向かって左のてのひらを突き出した。
「姫君は、こちらにはおいでになれません。貴方はどうぞご自分のお部屋にお引き取りを」
「どうしてですか?」
シエラは不満そうにジャスティンを見上げた。
「私はアレックス様の魔術師です」
ジャスティンは丁寧だが冷徹に応えた。
「だがそれは正式のものではない。伯爵様のご許可のない者を、この場所に立ち入らせることはできません。ここから先は神聖なる政治の場。女の出入りは無用です」
「けれど、ジェシカさんがいらっしゃるわ。それに、ルイーズさんも。
私、アレックス様と結婚を予定している者でもあるし、ウィスラーナ侯爵家の人間でもあります。それに仲間ですし……、だから貴方の指図は受けないわ。私に対する無礼な態度は許しません」
そしてシエラは前に踏み出そうとしたが、ジャスティンはかざしている分厚い手を更に高圧的にシエラに向けた。
「姫君、どうぞお聞きわけを。こちらも遊びでやっているのではない――、では言い方を変えましょう。この場に子供は立ち入れません」
「私はもう子供ではありません。私は十八ですっ」
「シエラ、部屋に戻っていて」
僕はさすがにジャスティンがちょっと出過ぎていると思ったので、彼とシエラの間に入った。彼の手を払い、シエラに向き直った。
「アレックス様までそんなことをおっしゃるの?」
「たぶん今は兄さんのご機嫌が悪いんだと思う。君は部屋に戻って、とっておきの紅茶を淹れておいてよ。林檎の香りのするやつ。後で飲みに行くから」
「まあ。アレックス様が、私のお部屋に来てくださるのですか?」
「うん、カイトも一緒に」
「カイトさんも一緒……、二人きりではないのね……。
アレックス様、いつ私とデートをしてくださるの?」
シエラはまるで焦がれるように僕をみつめた。
「今度」
「今度では嫌です。今度なんて、そんなの……、ちゃんとお約束をしてくれなければ、私はここを動きません」
「じゃあ今週末、予定が入らなければ……」
「先週もそうおっしゃったわ。そして金曜日に予定が入ったの」
「今度は絶対。約束する。シエラの言う通りにするから。後で一緒に、何して過ごすか決めようよ」
「分かりました……、きっとですよ」
そして僕らはシエラと別れ、ジャスティンについて兄さんの執務室に入った。




