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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第10章 涙の物語
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第141話 涙の物語(6)

父上が、僕が考えていたお優しいだけの方でなかったことを、僕ははじめて知らされることになった。

魔術師として非常に有能で、将来有望なルイーズの代わりに、アレクシスをウィシャート公に引き渡すことを、父上は律儀にもきちんと兄さんにお話されていた。

ルイーズの魔法使いとしての才能は、単に魔法が得意な女の子というレベルのものではなく――、そうそう発掘されるような才能ではなかったのだ。売春婦まがいのことをさせて人生を終わらせても構わないような、そんな路傍の存在ではなかった。

そして公爵にとっては他愛ない一時の快楽のためであるとしても、この問題はアディンセル家にとって、一門の浮沈に係る大問題だった。

次期国王が女を所望したとなれば、それがたとえアディンセル家の姫であったとしても、こちらにはもはや献上する以外に道はないのだが……、能力の高い魔術師を従えることは、主君を魔術的な面で守護するだけでなく、戦場において一騎当千の戦力を持つことをも意味している。そして十二歳のルイーズにはそれに値する可能性があったのだ。

これは父上の側近たちを交えて話し合いが持たれるほどのものだったようだが、ルイーズを献上することは父上の側近たちも明確に反対を表明するほどだった。先刻のカティス家の老魔術師は、資産の喪失とまで言い切っていた。誰もがルイーズを有用だと認めて彼女を庇っていたのだ。

これはとても劇的な一場面だった。幾らかの魔力を持つ僕の視覚に頼らない感想を言うとすれば、何か見えない力が働いて、全力で彼女を守っていたと言ってもいいだろう……、多くの生者でない者たちの手が、ルイーズをこの危機的な状況から護るために必死になって伸ばされているような、奇妙な気配を僕は感じたのだ。

そして誰もがアレクシスが兄さんの子供を生んだことなど知らなかった……、アレクシスとは多くの人々にとって、只の能力の劣ったルイーズの姉に過ぎなかった。

間もなく決定は下さることになった。その無情な決定をされたのは父上だ。ルイーズのほうが魔力が強く、気丈で機知があり、兄さんを護り補佐するために欠かせない人材であること。そして一方アディンセル家の子供を生んだアレクシスは、もうどうせ長くないということを、だから彼女のことは諦めてしまうことが肝要であり大多数の利益となることを、父上は切々と兄さんに伝えていた。


「トバイア様の悪趣味は有名だ。ほうぼうからさらった若い娘を切り刻んで遊ぶのが彼のご趣味だというのだから呆れ果てるが、どうせ殺されてしまう運命にあるものなら、可哀想だがアレクシスを献上したほうがこちらの被害はずっと少ないのだ。あの姉妹は年頃も、姿かたちも似ているから、恐らくひと目見ただけの公爵には気づかれない。ようやく産後の身体が癒え始めたところを、哀れだとは思うが……分かるなギルバート、この私の言っていることが」


しかし当然のごとく少年の兄さんは怒り狂い、父上のことを責め立てていた。


「そんな惨いことをなさろうなど、貴方は正気なのですか!」


何処かで聞いたことのあるような台詞を、そのときは兄さんが叫んでいた。


「アレクシスは私の魔術師というだけじゃない、私の妻になるのです! そう決まっているはずだ。それに彼女は私の子供を生んでいるんだ、将来を誓った仲なのです、父上!

それを、大切な未来の伯爵妃を売り渡すとはいかなることか……」


大きな身体を持て余し気味にした父上は、安楽椅子に座ったまま静かに兄さんを見ていた。そのお顔の色は悪く、僕はご高齢の父上がそれから二年としないうちに老衰されてしまうことを分かっていたが、父上の具合の悪そうなご様子はとても心配だった。

父上は切なく兄さんに視線を投げかけながら、しわがれた声でおっしゃった。


「許しておくれギルバート、しかしこれも老い先短い私が死んだ後、我が所領の民たちと、おまえの行く末を思ってのことだ。トバイア様は、容姿は美しいが確かに大層残忍な目をされていた。逆らえば、何をするかさえ分からぬ種類の男だろう。だが味方につければ彼ほど心強い男もない。彼は王位継承権第一位を持つ、次期国王となられるお方なのだよ。そして彼はおまえを見込んでいらっしゃるのだ。

陛下は、そしてサンセリウス王宮はそうそう甘い場所ではない。もし跡目のおまえに見込みがないと判断されていれば、今頃は有無を言わさずにこの家は取り潰され、すべての領地を召し上げられているところだろう。

ところが公爵は、現在宮廷にて見捨てられている我がアディンセル伯爵家を、再び引き立て、陛下に執り成してくださることもお約束くださったのだ。これが何を意味するか、我らにチャンスが与えられたということが、おまえにも分かるだろう」

「彼がそれを守るとでも?」

「それでも私はそれに縋るしかない。この老いさらばえた身体では、もはや王宮に出仕することさえも叶わぬのだから」

「アレクシスをその不確かな賭けのための生贄にしようとおっしゃるのか……」

「ギルバート、おまえとて分かるであろう。領主が何よりも優先すべきものが何か。私事よりも、守るべきものが何か。

おまえはまだ若いが、その聡明さを私は買っている。幼いおまえには過酷すぎる人生の幕開けが迫っていることを感じているが、私はおまえが上手く切り抜けてくれることを信じている。ギルバート、神は乗り越えられない試練を人に与えたりはしないもの。おまえがその若さで子供を授かったことも、愛を知ったことも、そして年老いた私の子供として生を受けたことさえも、すべては――、天上におわす聖なる父がおまえならばすべてを善良で豊かで幸福な方向へ導いて行くことができると確信されたからだ。

おまえを信じ、おまえの助けを必要としている者たちがこの先の人生にきっと多くその姿を現すだろう、おまえはそのすべてに、最善を与えてやれるよう、よき領主であるよう、過ごしていかなければならない。

そしてそのためには、悲しい犠牲がつきものだということを知らなければならないのだ。

ここは万人の微笑む天の王国ではなく、領主とは時に非情な選択を迫られる者であることを。ギルバート、我々は搾取奴隷を囲う支配者ではない。多くの領民の人生を双肩に預かっている守護者なのだ」

「でも、それでも私にはアレクシスが必要なのです! 私が、彼女が何をしたと言うんだ……、この分からず屋の老い耄れめ!」


兄さんは父上を説得することに見切りをつけた様子だった。

マントを翻して廊下に飛び出し、扉に耳をつけてそれぞれが聞き耳を立てていたのを、慌てて姿勢を正したばかりのジェシカとルイーズの顔を代わる代わる見た。


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