第135話 罪業(4)
唇を離すと、ルイーズの綺麗な顔が見えた。
視界に入ればうっとり見入ってしまう彼女の甘い造作は完全に僕の好みだった。度重なるキスのために唇は濡れ、怒りのためか、それとも僕のキスに感じたのか、頬は少し熱を帯びていて情欲をそそった。この女が兄さんに抱かれるたびにどんな顔をするのか興味があった。勿論それを覗きたいわけじゃない、僕が抱いてやるのだ。
「感じさせてあげるよ」
実際にはどうすればいいか自信はないが、僕は言った。
ルイーズは、もう抵抗しても無駄だと悟ったのか、僕の下でしどけない格好のまま、媚薬を含んだような眼差しを僕に向けた。
「もう感じたわ」
今度は僕を非難するでもなければ叫び声をあげるでもなく、意外にもぞくぞくするように囁いた。
「貴方は思ったよりキスがお上手なのね」
「へえ、本当? 初めて言われたよ。じゃあ、僕らはきっと相性がいいんだ」
「それはそうよ。貴方と私は相性がいいわ。それは決まってる」
「それって僕を……、好きだったってこと?」
僕は何も無関係の女にこんなことをしようと思う悪い男じゃない。こんなことをしているのは、前からルイーズは僕を好きじゃないかと思っていたからなのだが、つい期待を込めて言うと、ルイーズは確かに頷いた。
「ええ。好きだったわ。私は貴方のこと、最初から愛してたわよ」
「カイトより?」
「ええ」
「兄さんよりも?」
「ええそうね、ある意味では……、ギルバート様なんて目じゃなかったわ」
「そうか……、おまえは僕を愛してたのか」
「そうよ」
「じゃあなんで嫌がるんだ。僕を愛してるなら」
ルイーズは息を吐いて、また僕の髪に手を伸ばした。
「本当に、貴方はなんて愛すべきおバカさんなの」
「僕は馬鹿じゃない。坊やでもないし」
「どうしても私を抱きたいの?」
ルイーズが僕をみつめて囁いた。
「そうだよ。おまえを僕の女にするんだ。もう決めたことだ。タティを奪ったんだからおまえが身代わりになれ」
「私を逃がすつもりはないのね」
「ないよ」
「そう。じゃあ、私は逃げられないわね……、いいわ。そんなに言うならお相手をして差し上げましょう。まったくどなたに似たのやらと言いたくもなるけれど……、きっとこういうのも悪くないでしょうから」
「やっぱりそういう女だったか」
「ええ、狼さん。どうとでも、お好きにおっしゃるといいわ。でも、その前にひとつだけお話をさせて。
貴方……、私と寝るなんて、そんなことをすればきっと後悔しますわよ」
「何だよそれ、脅しのつもりか?」
「いいえ。事実よ。神経の細い貴方じゃ罪の意識に苛まれて、二度と立ち直れないかもしれない。だってこれ、相当濃い近親相姦ですもの」
「近……」
近親相姦と言われ、僕が絶句するのを見ると、ルイーズはいつもの調子を取り戻したように妖しく微笑んだ。
「近親相姦って、それはどういうことだよ……」
「鈍い狼さんね。貴方、私の目を見て何か感じたことはありませんの?」
「何かって、何をだ……」
「貴方は私たちの瞳の色が、他人の空似とは思えないくらいまったく同じ色合いをしていることを、一度も疑問にお感じになったことはないんですの? 血縁があるからに決まっているじゃありませんか」
「け、血縁って……!? 待ってくれ、そんな話は聞いたことがない。そんな、だって、だって、青い目なんて……」
「それでもよ。私たち、間違いなく血が繋がっているわ」
取り乱して慌てる僕を脅かすように、ルイーズは言った。
「じゃあルイーズ、おまえはまさか僕の……、僕の母上だって言うのか……?」
兄さんの女を略奪する快感を味わおうと思っただけなのに、まさか実の母親と本気で舌を絡ませてしまったのかと、一転して眩暈がするような背徳感に慄き僕は震えた。そんな僕を見て、ルイーズは一瞬鼻に皺を寄せてから、こう言った。
「いいえ、残念ながら私は貴方のお母さんじゃないわ。私は貴方の母親の実の妹。
でもそれでも、こんなことをすれば女の私は死罪だけど、貴方も只では済まないわ」
「叔母……?」
僕が呆然と繰り返すと、ルイーズは頷いた。
「ええ、そう。叔母。貴方を生んだのは私の姉さんですもの。
ああ、とうとう知られるときが来ちゃったわね。でも貴方がまさかこんな真似ができる方だとは思わなかったのよ。
だから、こうなったからには全部教えてあげるけど、貴方のお母さんである私の姉は名前をアレクシスと言って……、貴方によく似た、内気で繊細な娘だったわ。そしてギルバート様の忘れられない初恋の女でもある」
それでも血の繋がった親族に性交渉をしようとしていた僕は愕然とし、僕にはもうルイーズを押さえつけておくだけの力が身体に入らなかった。その隙に、ルイーズは素早く僕から離れて乱れた衣服を整えた。
「つまり貴方は紛れもないギルバート様の実子よ。そして私の姉さんのアレクシスの子供でもある。貴方、自分の父親を殺そうなんて無茶をしでかすつもりなの?」
僕が兄さんの子供であるということについては、ずっと以前から、もしかしたらそうではないかと思っていたことだったので、今更驚かされることはなかった。だけど真実の母親の存在を教えられた僕は動揺していて、発する言葉は震えていた。
「アレクシス……」
「ええそう、貴方は正真正銘アレクシスと、ギルバート様の子供よ。貴方が生まれたのは、ギルバート様が十二歳の冬だったわ。寒い日だった。でも、悪い日じゃなかった。あの頃はまだ、私たちは幸せだったから。
私たちは幼くて、私はまだ赤ん坊がどうやったら出来るのか、具体的には何も知らない子供だった。それから先に何が起こるかなんて知らなかった。勿論、それまでにもいろいろなことがあったわ。でもあの日はとても幸福な日だった。姉さんは死にかかったけど、でも死ななかったから」
「……」
「貴方はとても可愛い赤ちゃんだったわ。そして、今でも貴方だけがギルバート様の拠り所。初恋の女との子供である貴方だけが彼のすべて。
だから私が彼の女だったことはこれまでに一度もないわ。……残念ながら、只の一度もない。
私が特権的に扱われていると貴方が感じているとしたら、それは私があの方の秘密を知る身近な人間だからだわ。そして同じ悲しみを共有してきた戦友だからよ」
「アレクシスという人は……、どうしてここにいないんだ? 兄さんに生命力を吸い取られて死んだのか?」
「お知りになりたいの? 涙の物語を。知ったら貴方、もう二度と……暢気で幸せな子供時代には戻れなくなるわよ」
「タティが死んでしまうっ……、魔術師なら何とかしろ!」
混乱する気持ちを抑えきれずに僕は叫んだ。
「そんなにギルバート様が憎くていらっしゃるの? 領民の人生を守るために、貴方を守るために必死に戦っていらしたあの方を?」
ルイーズは再び毅然とした顔で僕に寄って、僕の肩に触れ、うなだれる僕の顔を覗き込んだ。
「しっかりしなさい。貴方はもう、子供じゃない。一人前の男なのよ」




