第128話 悪魔のような男(2)
そして兄さんは子供をあやすように手を振り、再び僕に背中を向けて執務室を出て行こうとした。カイトが兄さんに恭順の一礼をし、召使いのように振る舞って出口の扉を開こうとした。
「あんたがそうしなければ結婚させないって言ったからだ!」
その背中に、また僕は怒鳴った。
「アレックス、おまえがタティから生命力を奪ったからだよ」
兄さんは髪を掻きあげて振り返り、面倒そうに僕に応じた。
「我が家に取りつく業の話については、この間したと思うが――、多かれ少なかれ、何処の家系にも業というものは存在する。アディンセル家のそれは確かに重いが、皆がそれを抱えて、今日を生きているのだ。
アレックス、これはどうしても逃れようのないことだ。長い年月人間や土地を支配し、敵対する多くの者どもを奪い殺してきた我らサンセリウスの古い貴族ならば誰しもな。
アディンセル家を呪いながら死んでいった連中の怨念が、子孫に取りついているというわけだそうだ。理不尽な話だ。顔を見たことすらないような先祖の積年の罪の支払いが、現在を生きる我らの人生に求められているというのだからな。
何も私が望んでこんなことを仕組んでいるわけではないし、おまえはまるで私のせいだと言わんばかりだが、私とて犠牲者の一人なのだぞ」
「つまり兄さんはどうしても……こう結論を持って行きたいというわけだ。
兄さんはタティを殺すのが、僕だっていうことにしたいらしい」
「事実だろう?」
兄さんは僕を見た。
「……、でも僕が望んだことじゃなかった」
「ああ、そうだなアレックス、おまえはそんなことは望んではいなかったのだな。そしてそれはもう終わったことだ。あの小娘が死んで、それですべて終わる。それ以上何を話す必要があるのかね。
大事な女が身近にあってはかえって足枷になることもあるもの……、幼い時代の幸福な思い出だけで、生きていくには十分なものだ。だからもう忘れなさい。いいね」
「どうしてそれを、僕と関係を持てばタティが弱ってしまうことを、そしてきっと死んでしまうってことを、もっと早くに僕に教えてくださらなかったのですかっ……?」
僕は兄さんにたずねた。声が、怒りに震えているのが分かった。
「知っていれば、僕はタティを抱かなかったのにっ……!」
「知っていればアレックス、おまえのことだ。おまえは生涯女に近寄りもしなかったろう?
それでは何のために生まれて来たか分からんではないか。肉の快楽を知らずして……男と言えるべくもない。だが一度知ってしまった以上は――、もうそれなしで過ごすのは難しいことになる」
「馬鹿なっ……、僕は貴方みたいな無節操な人間じゃないんだ! 性欲に支配されているけだものの貴方とは違う!
僕はタティをそんなことのための道具にするつもりはなかったんだ!」
「青臭いことを言うな、アレックス。女など、あんなものは道具に過ぎんよ。
おまえは知らないかもしれないが、連中とはとにかく浅慮軽薄なる者が多い。それに物忘れが激しい。こちらが情を持って接すれば、後で取り残され、痛い思いをするのはこちらなのだ。だから道具と思っておいて間違いはない。同じ人間とは思うな。そうすれば逃げようが死のうが、また別の物を見繕えばいいと考えることができる。
だが私は断じて性差別という括りのみで女を切り捨てる無分別者ではないぞ。女の中にも、当然ながらましな者はある。男にも度し難い者があるようにな。
だが忘れてならないのが、そういう価値ある女をみつけたら、それには手は出さないということなのだ。そういう者とは、最初から最後まで対人間としてつきあうことだ。女とは厄介な生き物で、一度でも関係を持てば、どんなに聡明な淑女も例外なく女に成り下がってしまうからな。これは鉄則だ。
アレックス、おまえもこれをいい機会とし、今後は女には入れ込まず、ほどほどにしておくことだ。おまえは感傷的で繊細だから、こんなことがある度にダメージを受けてしまう。
だが、そうやっていちいち悲しんでいては、それだけで人生が終わってしまうぞ。うん?」
そして兄さんは僕に歩み寄り手を伸ばしたが、僕はそれを払い除けた。
「ふざけるなっ、あんたがタティをそうするように仕向けたんだろうっ!
それを、今更訳知り顔で説教をするのかっ!」
兄さんは僕に叩かれた手をもう片方の手で撫でながら、恨みがましく僕を見た。
「まったく酷いことをする」
「どっちがだ!」
「昔はこうではなかったのに」
「それは僕の台詞だ!
貴方を誠実で立派で、誰よりも尊敬に値する素晴らしい人だと信じていたのに!」
「今でもそうだよ。私は昔から何も変わらない」
「違う。最近じゃ、僕は兄さんには失望させられてばかりだよ。あんたには心底がっかりだ!」
「それにアレックス、おまえは跡継ぎを残さなければならない」
兄さんは僕が怒っていることなど意に介さず、飽くまで穏やかに言った。
「兄さんの役割を、僕に押しつけないでください。貴方がいつも正しいわけじゃない!」
僕は、こんなときでも憎らしいくらい涼しい顔をして僕を見ている兄さんを睨んだ。
「こんな会話は最低だっ! 僕は、女なんか知らなくたって構わなかったんだ。こんな酷いことになるくらいなら、タティを失うくらいなら、こんなっ……」
「アレックス。綺麗事を言うな」
今にも泣き崩れそうになる僕に、兄さんは呆れた顔をした。
「まるで夢の世界に生きている処女のようなことを言いおって。どんな言い訳をしようとも、小娘を抱いてさぞかし気分がよかったろう。
それに、何も嫌がるものを無理やりしたわけでもないのだ。何を罪悪を感じる必要がある? 小娘とておまえとひとつとなることは、本懐だったはずだ。おまえが気に病むことはない。彼女は単に――、おまえの相手をするには身体が弱かっただけのことだ」
「はじめからタティが死ぬってことを、分かっていたんでしょう!?」
「ああ、そうだよ」
「結婚を許すようなことを言って、きっとそんなことにはならないって、兄さんは分かっていたんだ……」
「その通りだよ。血筋といい器量といい、あの程度の娘ではアレックス、遊ぶ相手ならばともかく、おまえの花嫁には相応しくないからね。
私が、そんな相手との結婚を最初から認めるわけがないだろう?」
「そんなことは、あんたが決めることじゃない!」
「いや、アレックス。私が決めるんだ。
おまえはウィスラーナ侯爵家の末姫との結婚が決まっている。だから、これからはタティではなく、彼女と仲良くやりなさい。今度はルイーズがフォローに入るから、姫君が病気になったり、死ぬことは当分ないはずだ。……男子を産むまではだが」
「ウィスラーナ侯爵家の末姫?」
覚えのない女のことを言われ、僕は訝った。
兄さんは笑った。




