第127話 悪魔のような男(1)
タティが肺病に罹ったことをカイトによって知らされたその午後遅く、僕は女といちゃつきながら暢気に居城へ帰還した兄さんをみつけた。
相変わらずの外見のよさは、僕の憎しみを増幅させるのに役立った。もしあんな容姿をしてさえいなかったら、兄さんだって女たちからちやほやされる楽な人生ばかりでなく、普通の男の悲哀というものを、少しは理解できる人生を味わっただろうからだ。
僕は臆することなく彼らに近づき、女だけを乱暴に追い払った。そして兄さんだけを自分の執務室に連行すべく、無理やり彼を引っ張って行った。金髪女は抗議の声を上げたが、こっちには見知らぬ女に義理立てしてやる心の余裕なんかない。
我が国の建国王は金髪翠眼の王だった。そしてサンセリウスでは今でもそれこそが民衆に熱望される懐かしき英雄像ということがある。金髪王の雄々しき姿こそが、サンセリウス人の渇望する父なる者の姿、神聖なる守護者、強力なる救済者――、ここでは金髪は王家の権威の象徴でもあるのだ。
しかし兄さんの金髪好きは権威への憧憬とはあまり関係がなさそうだった。いったい何が彼を駆り立てるのか、金髪女ならばそれでよく、彼は女の門地も教養もさしてこだわらない。あるのは欲望のみだ。彼はただただ動物的な本能で、金髪女に執着する。飽くなき劣情。まったく兄さんの病的な嗜好は失笑ものだ。この色狂いの変態が。僕は心の中で毒づいた。
「何だ何だ、何の騒ぎなんだアレックス」
僕が怒り狂っていることが分からないわけではないだろうに、心なしか浮き浮きした兄さんの声がなおさら神経に障った。
「アレックス。おまえは意地を張って随分私の前に顔を出さなかったが、とうとう寂しくなって自分から会いに来たとみえるな。今回はかなり長い闘いだったが……、この勝負、私の勝ちだな。
ふふふ、そう強く引っ張るな、まったく、この甘ったれめ。そんなに私に可愛がって貰いたいなら素直に甘えたらどうなんだ。
おまえも昔はよく女どもに嫉妬して、私の足に纏わりついて来たのに……最近では私のことなど毛嫌いして、寄りつきもしない。思春期になってからだったかな、そういう可愛げのない子供になってしまったのは。
それまでは、おまえというのは本当に私の周りをうろうろしている可愛い子供だった。おまえの乳母が、卑しい考えを持って自分を母親同然に扱うよう、おまえに教え込まないのがよかった」
兄さんの逃走を防ぐため、僕は彼の腕を掴んで廊下を先行していた。その間、後ろを歩く兄さんは何か言っているようだったが、頭のおかしいのがくだらないことを言っていると思ってそれを無視した。
「何日か城を空けて戻って来ると、おまえはいつも泣きながら私を出迎えていたのを憶えているか?
仏頂面のくせに私にしがみついて離れないのだが、キャンディをやるとご機嫌になってな。ところがそんなにキャンディが好きなのかと思って箱ごと買い与えてやると、意外とほったらかしなのだ。
ああ、そうそう、食が細いからそれは随分心配もしたんだ、肉は食べない、魚も食べない。例えばそう小魚のスープだったかな、おまえはこう、魚とみつめあっているわけだ。何をしているのかと思って私が観察していると、魚が自分を見ていると言って泣き出すこともあったな……はははっ、可愛い奴だと思ったものだ。
結局料理人に言って、肉や魚の原型をとどめない料理を出させ、騙し騙し食べさせたのだ。今から思えば、おまえをここまで育てることには、苦労も多かったな」
僕の執務室に到着し、部屋の中で控えていたカイトに目配せをして部屋の扉を閉めさせた。
それから、こんな状況で無神経にも思い出話を語っている兄さんを僕は睨んだ。
「そんな妄言を聞きたいわけじゃないんだ、兄さん」
僕は言った。
「僕が何を言いたいのか、お分かりだと思うけど……。
兄さん、貴方は貴方の大事な女性が肺病に罹った日に、そんな話をされて笑顔で相槌を打てるような寛大な人間じゃないでしょう? だったら黙るんだ」
すると兄さんはむっとして、こう言った。
「何を言っている、私ほど寛大な人間があるか。
おまえがそんな無礼な態度でいてもなお、私はおまえを可愛がってやっているではないか。
何でも買い与え、勉強をしたいと言えば優秀な教師をつけ、騎士業が苦手だと思えばこそ大目にもみて、今だってこうして言うなりになってやっている。これが寛大でなければ何を寛大だと言うのだ」
「じゃあ貴方は無神経すぎるんですよ、大雑把で、無神経。他人の痛みを分からない!」
僕は声を大きくして兄さんに言った。
兄さんの背中よりずっと後ろ、執務室の扉のほうにいるカイトが、さすがに僕の態度がまずいと言わんばかりのジェスチャーをしていたが、僕は気にしなかった。
「何だアレックス、たまに近寄って来たと思えば結局批判なのか。まったく、可愛げのない。
そういう話なら私は帰るぞ。さっきの女、あれは落とすのに少々骨だったのだ。子供は子供同士で遊んでいろ」
そして兄さんはカイトを振り返ったが、そこへ僕は怒鳴り声をぶつけた。
「タティをどうしてくれるんだっ!」
「何だと? それが兄に対する物言いかアレックス」
すると兄さんはすぐに僕のほうに踵を返し、厳しい表情で僕を見た。僕が怒鳴ったせいで、彼はだいぶ苛々した様子だったが、僕はもっとそうだったのでそんなことは気にならなかった。
「タティが肺病になったのに、兄さんは僕に謝りもしないのか!?
タティを抱けばこういうことになるって、予想できていたにも係わらずしらを切るつもりなのか!?」
「アレックス……、ああ、なるほどな。おまえの言いたいことは分かった。
だがいいか、私はしらなど切っていない。そんなことは、私にとってはどうでもいいというだけだ。他愛のない。あんな小娘ひとりが何だと言うのだ。あの小娘は魔力が消えた時点で、我がアディンセル家にとっても、またおまえにとっても用なし同然だ。
あれの母親には魔力がなかったが、あの小娘自身は下級貴族の娘にしては魔力が高いという話で母子を雇い入れたのだ。父方の祖母が魔力を持つカティス男爵家の出ということだったので、血筋としてもぎりぎりおまえの使用人に堪えられるかと判断した。だが消えた。血が薄まりすぎたのか何なのかは知らんが、魔力持ちの子供の半数は思春期でその能力を失うという話なのだから仕方がない。
本来であればその時点で役目を終わらせてやるところを、おまえが我侭を言って手放さないから今の今まで側に置いてやったのではないか。それを逆恨みされては堪らんよ。
それにだ、あの娘に夜伽を行わせたのは何処の誰なのだ? 私か? いいやアレックス、おまえ自身ではないか。
だからこういうことになったという事実を見落とすな。それを人のせいにするとは、馬鹿も休み休み言え」




