第113話 悩める平和主義者(2)
これがもし国家間の問題であるなら、間違いなく内政干渉として波風が立っているところだろう。いや、僕が兄さんだったなら、こうした出過ぎた行為にはまず間違いなく血の雨が降っていたはずなのだ。
それも只の手下に過ぎないような連中が、僕に指図をするなんて、頭がおかしいとしか言い様がなかった。武芸が立つことがそのまま人間の順列であるかのような思想には疑問を感じるし、武力で何もかもを解決しようという思考回路も受けつけない。
だから執務室から連中を追い払った後、僕はカイトにも言ってやった。
「腕が立つからっていい気になるな」
「ぐはっ、何も俺にまで八つ当たりしなくても」
カイトは冗談のつもりなのか、大仰な身振りでよろめいてみせた。
「しかし、彼らの言い分は正当でしたよ。言いに来たのだって、各々名家の当主級ですし、貴方に苦言を伝えることに何も越権すぎることはなかったですよ。態度もへりくだったものでしたし、だから、血の雨は降らないです」
「でも、僕が訓練を怠っているなんて、奴らは何様なんだ」
「んー、でも、アディンセル家ってのは元来、王家に仕える武官の家柄でしょ。代々男子は武器を取って戦うという軍人家系なんです。王家の方を御護りするのが役割なので、アディンセル家のアレックス様は軍人になって活躍するってのが筋っつうか……」
「僕は戦争が嫌いなんだ」
僕は馬鹿らしいので、カイトの相手をするのをやめた。
これは別に正論を言われたから悔しいということじゃない。
「世界平和こそが、国家目標であるべきだ」
「終局的にはね。でも人間はまだそこまで利口じゃない。周辺に侵略目的の国々があるってのに、武器を捨てるのは間違いですよ。性善説で物を考えるのは女子供のすることです。
たまたま二十年ばかり戦争がなかっただけのこと……、でもウィシャート公爵暗殺未遂なんてことがあったんだし、もしかすると今後、情勢は変化するかもしれない。さっき彼らがアレックス様に赤楓騎士団への参加を促したのも、それを察してのことかもしれません。
アレックス様、閣下にそこら辺のことを、聞いてみてくださいよ。簡単に真実の情報が手に入るのに、まだ意地を張って口をきかないおつもりなんですか?」
「おまえは僕が黙ったら黙れよ、なんでしゃべり続けるんだ。それだと、まるで僕が言い負かされたみたいじゃないか」
「ええっ、アレックス様ってば、言い負かされたんですか?」
「……」
カイトの奴、上手いところで三枚目ぶって場を和ますのはさすがだと思うが、僕は生憎と冗談が通じる人間ではないのだ。
だから僕は怒って執務室を飛び出した。
僕にはいろいろと考えなくてはならないことがあるのに、どうも近頃のカイトはやたらと言うことが説教じみていた。まあ確かに、あいつも頭は馬鹿じゃないんだろう。兄さんがカイトの頭脳面を買っていたとは意外だったが……、つまりあいつは護衛としても参謀としても使えるということのようだった。
惨殺された彼の家族が、独り残され苦境に立たされた小さな息子に、一族が受けるはずだったすべての恩恵を譲り渡したとでもいうように……、でも僕がむっとしているのに僕の顔色を窺うということをしないのは生意気だった。
僕がこんなに悩んでいるのに、煩いことを言うなんて非常識なことなのだ。一応、カイトは友だちのような気もするので、僕はあいつの無礼を咎めたりはしていないのだが、あいつが僕に生意気な口をきくとき、たまにそうではなくなるし、今はまさにそうだった。
悩んでいるのはタティのことだ。
僕はタティが大事なんだって、マリーシアのことは今でも可愛いと思うけど、やっぱりすごく憧れているけど、でもタティを犠牲にしてまで貫き通せる気持ちではなかったんだって、それに気がついたんだって、タティに……だけど僕にはそのことを上手くタティに伝えられなかった。
彼女はいつも悲しげにしているばかりで、僕を見るたび泣き出しそうな顔をする。だから、これをどう話すべきなのかが……、とにかく僕はこれ以上タティに嫌われたくなかったし、だから上手いことご機嫌を直させたかったのだが、そのためにはいったいどうすればいいかが分からないのだ。
それに兄さんの干渉も怖かった。エステルが殺された日、兄さんは「この子供に最初にあてがうべきは」と言っていたことが胸の奥に引っかかっていた。最初、つまりそれは次があるということだ。
前々から、何でも思い通りにしたがる支配的な男だとは思っていたが、まさか僕の恋愛や人生に、まだ口出しする気が満々なのではないかと思うと、今度は何を企んでいるのかと警戒せずにはいられなかった。
アディンセル家の男が、関係を持った女の生命力がどうのなんていう話について、僕は遅ればせながら調べてみたりもした。あの話がもし本当で、父上の生涯の四人の妻たちも、兄さんの恋人の中にも、その被害者がいるのが事実なのだとすれば、僕はタティとの関係を見直さなくてはならないからだ。彼女を手放すつもりはないのだが、とにかくいろいろと対策を考えなくてはならなかった。
でも埃をかぶった先祖の手記を辿っても、それに対する苦悩が書かれていることはあっても、問題の原因や何故、そしていつからそんなことが起こり始めたのか、詳細が記されていることはなかった。結局は古くからそんなことがあり、しかしいつの時代も何とか対処が取れて子孫を残しているという事実があるのだが、それには母体が生まれながらに生命力が強い女性である必要がある、つまり畑を選ぶということだ。
タティでは駄目であるようなことを言って、兄さんとルイーズが悪質な冗談でも言うみたいに笑っていたのを思い出した。それだって本当かどうかは分かったものではないのだが、リスクがある以上、僕はタティをそんな危険に晒したいとは思わなかった。
この問題のひとつの解決法としては、僕が妾を持つことだ。身分のある妻が石女だったり、女子しか生まなかったとき、その打開策として若い妾を持つことが往々にしてあるものだ。
でもそれは間違いなくタティが悲しむ選択だろう。彼女はきっと笑顔で送り出してくれるだろうが……、それに悲しい思いをするのはタティだけじゃない、明確に子供を産まされることだけが目的の妾にされる女だって、きっと酷く悲しいだろう。どう転んでもどうにも爛れた人生の選択であるような気がして、僕の気分は重たくなった。
それにそもそもタティ自身が男子をもうけないと、結婚を許さないと言われていたのだ。
我が国では結婚とは、両家の家長と領主承認をもって有効とされるものだが、この場合タティの父親の意見はまず無視されるにしても、アディンセル家の当主であり、領主でもある兄さんが首を縦に振らない限りはどうにもならないことだった。
この難局を乗り切るには、やっぱりタティに赤ちゃんを生んで貰うしかないのだが、それをしようと思っても、そもそもタティとの仲自体がこじれていて、にっちもさっちもいかなかった。
それどころかもしうっかり話しかけて、下手に会話なんか持ってしまって、僕と結婚なんてもう嫌だなんて言われたらどうすればいいのか……。
エステルは僕との性交渉を、あんなに人がいる前で気持ち悪いとはっきり言ってくれたのだが、本当はタティだってそれを言わないだけで、僕に気を遣って黙っていてくれるだけで、もしタティもそう思っているのだったら……。
本心では、僕を駄目な男だと思っているとしたら……。




