第112話 悩める平和主義者(1)
まあ確かに、僕は男らしいと自分でも思っていたのだ。
少なくとも、鏡を見ればどう見ても、僕は大人の男以外の何者でもない。顔はちょっと女っぽいが、気にするほどではないだろう。母上に似てると言っても、まるっきり女に見えるなんてわけではないわけだから、これは寧ろ美形という形容が当てはまることかもしれない。用事もないのに兄さんと並んで歩く気はないが。
鏡に映っているまっ白い僕の上半身は、断じて痩せっぽちなわけではないが、確かに少々頼りない気もした。勿論そんな気がするのは只の気のせいだと思うけど、僕は謙虚なのでそんなふうに思ってしまうこともある。おまけに二の腕が細い気がしないでもないが、これはきっと僕が若いせいなのだろう。だから、たぶんそれほど貧弱ということでもないだろう。大丈夫、僕はかなり男らしいに違いない。
その証拠に、僕の着替えを手伝う召使いたちは、いつも僕のことを男らしくて立派だ素敵だと褒めていた。女性の褒め言葉は信じるべきだ。もっとも普段他所の女の人には、そういうことはあんまり言われないのだが、慎み深い彼女たちはきっとシャイだったのだろう。
身支度を済ませると、兄さんと顔をあわせるつもりはないのでその朝も私室の居間でそのまま朝食を取る。熱いスープとサンドイッチだが、苦手なピクルスを丁寧に摘まんで皿の端に除けてから、パンをかじる。僕がこの変な味のする漬物が嫌いだと料理人には言ってあるのに、こんなものを混ぜて来るのはきっと兄さんからの嫌がらせに違いない。自分だってあんまりお菓子を食べないくせに、筋の通らないことを平気でする人間は軽蔑に値する。
その後しばらく物陰からこっそりタティを見たり、部屋の中をうろうろして、彼女が僕に話しかける機会を窺うのだが、結局その朝もタティは僕に話しかけて来なかった。
僕の姿をみつけると、うつむき加減になってしまうのだ。やはり僕が薔薇を差し出すべきかと思い、近くの花瓶からガーベラを抜き取ってみたこともあった。でも近づいてこれを差し出したとして、どんな反応をされるのかということを少し考えてから、静かに花を花瓶に戻した。人間慣れないことをすると、痛い目にあうということを、僕はエステルの件で学んでいたからだ。
これはやはりタティの機嫌を取るために金目のものを贈ればいいのか……、何しろ、女の人はロマンチックとお金が好きなのだ……、でもタティはろくに宝飾品を身につけるということがない。
そう言えば僕があげた指輪はどうなっているんだと思って、出がけにタティの左手の薬指を凝視したら、そこに嵌っていたので今日のところはよしとした。
あれをはずしていないということは、タティは僕が好きだということだからだ。
僕に命令されたから立場上はずせないだけではないかと、後からちょっと思ったが、そこは深く考えるべきではないのでやめておいた。
執務室に行くと、部屋の中にいた数名が一斉に僕に敬礼をした。
ロビンが近寄って来て、手帳から今日のおおまかな予定を僕に説明していた。
手帳を熱心に読み上げているロビンは、相変わらず美人でお洒落にしていた。オールドローズの甘い香り。今日は件のフレデリック王子スタイルではないようだ。茶色の上着に白いブラウス。襟元は流行の形だ。個性的なフレアスカートも可愛いし、それにそのときは長い髪を高く結い上げて金の髪留めをしていた。
それがフェイクであれ、金という素材は割と使いどころが難しい物だが、彼女の髪の色と金の髪留めは、華美な印象を抱かせないでよく合っていた。
それからピアスは太陽を模った小さなエメラルドで、ロビンが動くたびに耳元で可愛く揺れていた。彼女は毎日のようにお洒落を楽しんでいるのだ。それを見た僕は、タティにもっと着飾って欲しいと思った。
それは僕が着飾る女が好きというわけではなく、タティが着飾るのが好きになったら、宝石とかを贈ることで機嫌を直させやすいと思うからだ。仲直りにドレスを一着とか、そういうことで済む女のほうが、ある意味では扱いやすい気がした。
「えっ? このピアスが何処に売っているかですか?
嬉しい。アレックス様が、私に関心を持ってくださるなんて……」
「タティにあげるんだ。それタティにも似合うと思って」
僕が言うと、ロビンは何故だか黙り込んで、急に執務室を出て行ってしまった。
「サボりだぞ」
僕はロビンを追いかけろという意味を込めて、そこら辺にいたカイトに言った。
文官たちと打ち合わせしていたカイトは、苦笑いをして僕を見た。
「アレックス様、今のでどうしてそういう解釈をなさるんですかね……、いやはや」
「カイト、僕は友情と好意から、君に業務を中断して彼女を追いかける権利をあげたんだよ。この前僕にも煩く言ったように、ロビンのことも注意して来ていいよ。
……、何だったら、彼女とそのままデートしてもいいと思うし」
「すぐ戻りますよ。アレックス様じゃあるまいし」
「そんなこと言って、ほんとはロビンが好きなくせに。無理しちゃってさ……」
僕は呟き、執務室のいちばん奥にある執務机についた。
机の上の僕のペン立てやシートがいつも通りの位置であることを確認して、目の前の新聞を手に取る。紙面を広げ、ふと気になって、近くで引き続き立ち話をしているカイトの腕を見たのだが、冬服を着ていても何となくがっちりしているのが分かった。
おまけにこいつは確かにスタイルがよかった。立ち姿とか、割と背が高いから余計に見栄えがいいのだ。まあ顔は僕のほうが絶対格好いいと思うけど、ルイーズが僕よりカイトに抱きつくのは、これがめあてということなのだろうか……。
まったくルイーズは単純すぎると思いつつ、僕はちょっといたたまれない気分で自分の二の腕を触った。
「お気にされるくらいなら、鍛えられては」
やがて近づいて来たカイトが目敏くそんなことを言ったので、僕はむっとして言った。
「ふん、僕は平和主義者なんだよ。君のような乱暴者じゃないからね」
「乱暴者って。俺だって仕事以外では殺人なんてしやしませんよ」
「そうかな。でもカイトって、結構喧嘩っ早いんじゃないか。君、売られた喧嘩は買うって言ってたじゃないか」
「買いますよ」
カイトは認めた。
「でも女子供は殴りません。そのくらいの分別はつけています。まあ、ときには脅かしはしますけどね。だから乱暴者というのは心外です」
「じゃあ男は殴るのか?」
「そりゃ当然でしょう。やらなきゃ、こっちがやられちまう相手には容赦しない。喧嘩を売って来た相手に背中は向けない。弱きを助け、強きを挫く。それが騎士道ってものでしょ。俺の考えって、何か間違っています?」
「じゃあ……僕は殴るのか?」
「殴らないですよ」
「どうしてそんなことが分かるんだ?」
「愛してるから」
「タティが僕を無視してるんだ」
僕は今朝のことを思い出し、目を伏せてしょんぼり言った。
「無視? ありゃどう見ても委縮ってんじゃ」
「口聞いてくれない。無視されてる」
「そうなんですか? んー、まあ、でもどっちかっつうと、最初にタティを無視してたのはアレックス様な気がするんですが、そりゃ俺の気のせいですか?」
「気のせいだよ」
僕は言った。
「そうですか」
「僕は無視してないんだ」
「はい」
「タティは本当に……、さっきのロビンにしても、女っていうのは何を考えているか分からないよ」
僕は悩ましく息を吐いた。
「なんでこういうことになってるのかなあ。ちょっと嫌味を言ったくらいのことで」
「そりゃ嫌味ってより……」
僕が睨むと、カイトは言葉をとめて愛想笑いをした。
「いえいえ。んー、アレックス様、なんかまだ不機嫌ですねえ。まるで俺のこともイラついているみたい。ピリピリしてる」
「別に。そんなんじゃないけど」
僕は頬杖をついて、そっぽを向いた。だがそうだったのだ。
何せカイトにステイタスのために騎士を名乗っていると図星を突かれて頭に来ていたので、僕は随分しばらくの間不機嫌に過ごしていた。
騎士としての僕をあまりに軽視した発言だと無言の抗議を続けながら、だが実際のところ僕は騎士という立場が好きだったのだが、でも騎士という役割は嫌いだった。
武芸の修練も嫌いだった。どうせ戦時じゃないからそんなことは無意味だし、つまりは人生の浪費なのだ。確かに騎士団を機能させることで利益の還元はあるのだが、そんなことはやりたい者がやればいいことだ。運営だって兄さんみたいな血の気の多いのが、趣味でやっていたらいいことだった。
「肉体労働は趣味じゃないんだ」
僕は兄さんの受け売りだけで生きているわけではないが、彼と同じように自分の人生を他人に口出しされることが嫌いだし、はっきり言って苛つくので、午後になって、わざわざ僕のところに武芸の修練を勧めてくる赤楓騎士団の汗臭い面々に、はっきりそう言ってやった。




