第110話 問題点
それからしばらくまた毛布を被っていた。僕があの口達者に議論で勝ったと満悦する気持ちもないわけじゃなかったが、やがて何となく、カイトに見切りをつけられたような気がして、慌ててベッドから転がり落ちた。
何故ならカイトが本当は平気じゃないことくらい僕には分かっていたからだ。僕が言ったことはさすがに彼への思いやりに欠いていた。そして彼の僕を見る目は明らかな軽蔑に満ちていた。カイトとはつきあいが長いのだが、彼はそんな目で僕を見たことなんてなかったのだ。
支度もそこそこに私室の居間を横切るとき、タティとすれ違ったが、急いでいたことと、僕は彼女になんて言って声をかけたらいいか分からなくて、そのまま突っ切ってしまった。
タティが不安そうな顔で僕を見送ったのが分かった。声をかけてくれれば立ち止まるのに、喜んで彼女を抱きしめるのに、そうしないのは浮気な僕にうんざりして、嫌っているからに違いない。
悲しみが胸に込み上げて僕は振り返らなかった。振り返ることができなかったのだ。そんな現実に直面する勇気なんてないから。
これが僕の問題点なのだと、思わされる瞬間でもあった。何が間違っているのか、自分ではよく分からないが、昔からどうすればいいか分からないとき、もし僕が兄さんだったらと思えば、悔しいけど分かり易い……、彼はどんなに嫌なことがあっても、カイトがこんなふうに執務のサボタージュの苦情を言いに来るまで部屋に閉じこもったりはしないのだ。
それに悲しげな顔をしている女がいたら、すかさず笑いかけて薔薇を差し出すような男だ。そこには下心や人気取りという裏の目的があったとしても、そうでなくては顔がいいだけのことであれだけ女性たちに想いを寄せられたりはしないだろう。
でも僕はタティに薔薇を差し出したら、振り払われはしないかと心配して、行動をすることができない。
でもそれは僕だけが悪いんじゃない、先日もちょっと嫌味を言っただけで、タティが目に涙をためて震えていたせいでもあった。
僕には悪気なんてなかったのに、まるで僕がタティに酷いことをする悪い男だと言わんばかりの態度だったのだ。
だからこそ僕が声をかけられずにいることを、タティはそこのところをもう少し分かるべきなのだが、この行き違いはもはや収拾がつかない様相を呈していた。
こんなことになったのも、そもそもカイトがうっかりタティの前で僕の浮気の話なんかをするから悪いのだ……、しかし廊下に出ると、カイトが扉の前で待ち構えていて、状況が分からずに立ち尽くす僕に対してにやりとした。
「なんだ、起きられるじゃないですか。またショックで寝込んでいるなんて言って、ここん家はアレックス様のことになると、だいたいが大袈裟なんですよね。
ですが貴方はね、ご自分で思っているほど弱くないですよ。昔はそうだったかもしれませんが、今はもう違う。ただちょっとばかりお坊ちゃまなだけ。
でも幾らお坊ちゃまでも、貴方のサインがないと動かせない仕事が机の上に山盛りだって言ったら、もうベッドに戻ったりはなさらないんでしょうね」
カイトは偉そうに言った。
「あらん。本当に起きていらしたわ。カイト様はアレックス様のことを、操ってしまえるくらい仲よしさんなのね。妬けちゃうわ」
カイトの横には、しなを作っているルイーズもいた。生地は厚手だがやっぱり大きく胸の開いたドレスだった。先日の給仕娘たちの露出には及ばないが。
マスカラに縁取られた彼女の空色の瞳は、ときどき僕を奇妙な気持ちにさせた。
挑発的な服装ではあるが、特別若づくりしているわけでもない割には、相変わらずカイトと並んでいても大して年の差がないように思えた。
「お友だちに見捨てられたら、悲しいものね」
しかしルイーズは僕と彼女の間には厳然とした隔たりがあるとでも言いたいような、子供にでも話しかけるような生意気な調子だった。彼女は悪戯っぽく僕に笑って、それから両手で抱え込むほどの大きなキャンディの袋を強引に僕に押しつけた。
「ギルバート様からのお見舞いよ。アレックス様が一緒にお食事してくれないって、あの方、今日もため息を漏らしていらっしゃいましてよ。
あの吹雪の夜からだから、アレックス様に無視されて、もう二週間ですもの。お元気に振る舞ってはいるけれど、結構堪えていらっしゃるみたい。
アレックス様はあの夜とてもつらくて、悲しい思いをなさったわね……、でも、そのお気持ちは分かるけれど、貴方ももう少し」
「兄さんが悪いんだ。僕は彼の顔も見たくない。食事なんて、もう二度と一緒になんか取らないよ」
僕はルイーズの言葉に被せて言った。
「勝手に堪えていればいいんだ。どうせ只のポーズだろうけどね。兄さんがそんなことで落ち込む柄じゃないことくらい分かってるんだ。だいたい似たようなことをジェシカもときどき言いに来てるけど、兄さんはどうせ心の痛みなんか感じない人だ。
ルイーズ、おまえだってどうせ兄さんに命令されて、言わされているんだろう? 本当はそんなこと心にも思ってないくせに、さも僕を心配しているみたいに言ってさ。これだから大人は嫌いなんだ」
それからカイトに目を向けた。
「勘違いするなよ。僕はステイタスのために騎士を名乗ってるんじゃない」
カイトは飄々と軽く両手を広げた。
「ええ。そう願いたいですね」




