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伯爵の恋人  作者: 吉野華
第10章 涙の物語
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第108話 バニーガール(2)

それから僕らは舞台のよく見えるテーブル席について、一通り食事をした。クライドもたぶん若者と言っていい範疇だとは思うのだが、注文するときの手慣れた様子はさすがに僕やカイトとは違っていた。テーブルいっぱいに料理や酒が運ばれて来ると、クライドはそれを僕らに勧めた。彼はまるで僕だけでなく、カイトのことも接待しているような調子だった。

でも僕が何よりも気になったことは、給仕係の女の人たちが、料理を持って来る度に僕にすごく微笑みかけるということだった。初対面なのに、まるで僕のことが好きなんじゃないかと思うほどで、僕は恥ずかしくて下を向いた。


「下着みたいな格好で、恥ずかしくないのか……」


僕は白身魚のサラダを食べながら、彼女の後姿を目で追った。

もし僕に気があるなら、ちょっと話してみたいと思わないことはなかったが、そのときはどうしても気持ちが浮かなかった。


「ほんとにね。アレックス様、実は舞台のショーなんかよりも、給仕娘たちのほうがよっぽどエロい格好していると思いませんか?」


カイトは愉快な口調でちょうど僕らの横を通り過ぎた女性のなめらかな太股を示し、僕に取り入った。


「君は絶対そういうところを見ていると思ったよ」


僕は眉を顰めた。


「またまたあ、女の脚はいいもんですよ。挟まれたいって思いませんか?」

「思わないよ」

「でもアレックス様だって、さっきから目で追いまくってませんでした? ほらさっきの金髪娘の胸とか、尻とか」

「違うよ」


無礼で見当違いな指摘に、僕は頭を振った。


「下着で歩いてるから心配で見ただけだ。可哀想だと思って。風邪をひくかもしれないし……、誰だってそうだろう。カイトだって」

「んん、今夜はむっつりさんなんですか? こいつは本格的にご機嫌ななめですねえ。

でもクライド様の接待でもなければ、俺なんかじゃこんなところに来られないし……、今夜は嫌なことは忘れて、パーっとしましょうって。ねっ」

「パーっとなんて……、僕はこの店で働いている女の人たちが、どういう経緯で人買いに買われたのかが気になって楽しむどころじゃないよ」

「人買いって……、そりゃまた、そんな言葉を何処で覚えていらしたんです?

でもアレックス様、真面目な話をすれば、彼女たちはそういうんじゃないですよ。と言うのも、この店では給仕係にも、女優の卵とかがバイトしてるのが多いんですって。権力者に名前を売ったり、成功するためのパトロンを見つけやすいってこともあるようです。貴族専門店だから高給だろうし、だから割り切ってやってるはず」

「違う。きっと身柄を売られて、嫌々させられているに違いない。ここの経営者は誰なんだ。呼び出して文句を言うべきだ」

「ええっ、頭が堅すぎますっての」


カイトが呆れた。


「ここは所謂ナイトクラブですから、確かにアレックス様のおっしゃる通り内容のすべてが健全健康とはいかないでしょう。中には悲しい境遇の娘さんもいるのでしょうね」


それまで上品に食事をしていたクライドが、ふと僕の意見を理解するような顔をして口を挿んだ。


「でもアレックス様、そんなふうに小さなことをあれこれ想像して傷ついていては、貴方は疲れてしまうでしょう。

ここは王政府の免状を掲げてある正規店ですから、貴方がご想像されているほどの悲劇的なケースは稀で、多くはカイト殿がおっしゃるように、劇場だけではまだ食べて行かれない、でも野心ある駆け出しの女優たちですよ。女優の卵に会えるというのがこの店の売りのひとつでもあるので、確かな話です。

ねえアレックス様、もしよろしければ、どうでしょう。あの金髪の娘さんをお誘いしてみませんか? 彼女に身の上のお話を聞いてみれば、貴方の心配も幾らかは解消されるはずです」


そしてクライドは僕に笑いかけたが、僕は主張した。


「きっと嫌々させられているんだ」

「アレックス様……」

「それなのに、どうして君たちは平然としていられるんだ。不特定多数の男たちに、例外なく嫌らしい目で見られて、気分がいいわけないじゃないか。

どうして助けてあげないんだ! 可哀想じゃないか! エステルだって、いつも大切に扱われないって泣いてたじゃないかっ! どうして助けてあげないんだっ!

僕はエステルを見殺しにしてしまったんだ、僕が彼女を殺してしまったんだっ……、助けてあげられなかった、助けを求めているのに、泣いているのに、兄さんを説得もできなければ黙らせることも、僕にはっ……!」


僕が両手で顔を覆うと、カイトとクライドが顔を見合わせた。


「まだ混乱をされている。早すぎたんです」


やがてカイトが真面目な声で、クライドに話しているのが聞こえた。






不甲斐ない僕を、軍属の子弟たちが笑っているという話を聞いた。

たった一度、この手を血で濡らしたわけでもない、平民女の処刑を命じただけのことで、神経をやられてしまったのだと僕を嘲笑っているのだ。

兄さんが過剰に僕を守り過ぎたのだという意見も聞いた。

そのことで、僕がだらしないことで、兄さんまでが批判にさらされかねないとカイトが言った。あのキャバレーには国家の要人が出入りしていることを分からない僕じゃないから、カイトの言うことにただうなだれていた。


「国内には、些細なことでも閣下の足を引っ張ろうと機会を窺っている人間もいるでしょう。ウィシャート公という後ろ盾があったとしても、盤石な立場にあるわけではないんです。

それに昨今の公爵様の暗殺未遂、これだって公爵様自身の権力の揺らぎを意味している出来事ではないでしょうか。

閣下が現在どのようなスタンスでおられるのか、俺には測りかねますが……。

言えることは、本人に弱点がなくても、身内の行動だって叩かれる要因になるということです。まだ跡目の子供がいない以上、弟の貴方がそれでは――」


僕を部屋に送り届けたカイトが立ち去った後、僕は何よりも感情を処理できない自分に苛立った。

照明の落とされた部屋ではタティが心配そうに、しかし僕を遠巻きにしていた。


「……僕に優しくしないのか?」


僕が言うと、タティは囁いた。


「貴方が望むなら、わたしはいつだって……、マリーシアさんの身代わりに……」


僕は噴き出した。


「そんな嫌味を言うなんて……、タティ、君も随分だね。僕は君のために身体を張ったって言うのにさ。

ねえ、君のために女が一人、犠牲になったんだよ。

それなのに、僕の気も知らないで、そんな嫌味を言うなんてね……」


翌朝タティがうさぎのように泣きはらした目をしていて、僕は前日の夜の自分の言い草を後悔することになった。大の男が公共の場で泣き叫んでしまった恥ずかしさを、タティにぶつけてしまった、その自覚はあったのだ。

僕は二度と彼女に声をかけられなくなった。


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